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ピアノコンクール”記念出場”再チャレンジ

中1の娘トラにとって初のピアノコンクールがあった。(見出し画像のコンクールではありません。また身バレ防止のため少しタイムラグあります。)

というのも昨年、小学校の卒業記念にと出場を予定していたコンクールは流行り病により中止。
練習していた課題曲は発表会で弾いたので無駄にはならなかったものの、コンクールの空気をぜひ体感して欲しいという講師の強い勧めで、再チャレンジすることとなったのだ。

出場したのは本選のみの小さなコンクール。
当初乗り気でなかったトラは、「知名度の低いコンクールだからレベルは高くない」という講師の言葉に乗せられ出場を決意。
指定課題曲が無く、自由曲1曲だけ弾けばいいというのも決め手となったようだ。(中学生はソナタ程度という難易度指定はあった)

だが出場を決めたところで、所詮のんき者のトラである。
1日せいぜい20分という練習スタンスはコンクール直前になっても全くブレず、口出しするとキレるので「本番で己の甘さを思い知るのもいい経験」と思い放置。
案の定、本番では見事に鼻をへし折られる結果となった。(もちろん無冠)

ところで、初のコンクールを親の立場で体験してみてつくづく感じたことがある。
それは、トラのように趣味でピアノをやっている子が"記念出場"をするなら(趣味レベルでコンクールに出ることの是非はともかくとして)やはり小学生のうちだったな、ということ。
小学生と中学生では課題曲の難易度が異なるというのもあるが、それ以上に小6と中1では出場者の演奏水準も雰囲気もまるで違っていたからだ。

高学年の部では大人顔負けの演奏をする子がいる一方で、トラと同じく記念出場組とおぼしき子や緊張からミスを連発する子もチラホラ。
また昨年中止となったコンクールの課題曲を弾く子も数名いて、トラは「いいなぁ、小学生は去年の曲が使い回せて。私もこの曲なら得意だったのに~。」とボヤいていた。

ところが中学生の部になったとたん、ガラリと様子が変わる。
中学でピアノを続ける子は少数派ゆえ出場者数はぐっと減るものの、個々の演奏レベルは非常に高い。
そのレベルは、もしや音高や音大を目指す子しか出ちゃいけないのか?と思わせるほどで、トラのようにお気楽趣味でやっている(と思われる)子はまず見当たらないのである。

それだけではない。 
ハイレベルな演奏をする彼女らは、おそらくピアノだけでなく勉強やスポーツも突き抜けているのだろうと思わせる意志の強さと気品が漂う。
彼女らの印象をひとことで言うなら、「全方向に発達良好な人々」。
ノンバーバルな情報感度が良すぎる私だけに、その見たては大きく外れてはいないと思う。

また付き添いの母親達も随分様子が違う。
中学生の部の母親達の多くは、いったいこの田舎のどこから?と思うほどエレガントな人々で、私達親子とは明らかに異質。
小学生の部に来ていた母親達はもう少し庶民寄りな雰囲気だったから、同じコンクールでもこうも違うのかと驚いた。

そんなわけで、記念すべきわが子の初コンクールだというのにわが子の演奏よりも周囲が気になって仕方がないという、HSP気質を発揮しまくりな1日であった。

さてコンクールを終えた今は、未知の世界を体験し、またわが子の力量を知ることができて良かったと思う反面、もう二度目はないだろうと思っている。(本人ももういいと言っている)
トラ自身ピアノは好きで続けているものの、あのように本気でピアノに向き合っている人々の真剣勝負の場に混ざるのは、やはり場違いというか失礼すぎた。

そんなことはないと言う音楽家はいるだろうし、そういった考えがクラシックの敷居を高くしているのも知っている。
親が子の限界を決めるなという意見もあるだろう。
しかし、凡人のわが子には学校行事の伴奏やピアノ教室の発表会で楽しく弾くのが身の丈に合っている。

多少ピアノが弾けるからと勘違いしたわけでは決してなく、その凡人具合を見極めるための初コンクールでもあったのだと、言い訳させて欲しい私なのである。

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