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映画:TheMule(運び屋)をみて

クリントイーストウッドが監督で2018年に公開されたTheMule(邦題:運び屋)という映画。

主人公のアールは花を卸売りする農家だが、業界のネット化による変化についていけず、事業がうまくいかなくなる。財産とおぼしき家も差押えられ、廃業してしまったところが映画のスタートだ。

生業としていた仕事で途方にくれてしまっていたとき、孫娘の結婚式で出会った初対面の若者にドライバーのバイトを紹介される。詳細がわからず紹介された場所に行き仕事を終えると、莫大な報酬金が入った封筒を手にする。明らかにあやしい感じがするその仕事は、メキシコの麻薬組織の麻薬をディーラーに流す運び屋だった。

仕事も家庭もうまくいってない・・・そうしたよくないことが重なっているときに悪い話を持ちかけられて手を染めてしまう、ということは実生活でもありそうなエピソードだと思ったが、なんと実話をベースにした映画というから驚きだ。それにおじいちゃんの運び屋というのも意外すぎる。


運び屋の仕事をしていくなかで、アールが寄り道をしていくところがとても好きだ。

寄り道をするので、当然運び屋の仕事としては最短ルートをとることにならない。むしろ効率が悪くなり、目的達成を阻害するリスクも増えるので、一見するとダメな運び屋に思える。しかし、その寄り道が結果的に運び屋としてもすごい成績をおさめるし、そこからうまれる出来事がアールに関わる人の人生を大きく変えることになっていく。

アールは無意識に差別発言もするし、家族も省みないし、女遊びもするし、世間一般ではダメな大人とされてしまうかもしれない。


人生、過ちに気づいて行動をあらためることもあれば、過ちと知って続けてしまうこともある。運び屋を続けることは、犯罪を犯してしまうという点はもちろんよくない。ただ、何をもってアールが運び屋の仕事を続けさせてしまったのだろうと思うと、その「人の居場所」っていうものが何か重要なキーワードとしてひっかかる。


運び屋をはじめたばかりの頃は、アールがギャングの若僧に軽んじられる場面がある。でも、その受け応えのなかにも、単に若僧になめられたくないといった表面だけの見栄だけでなく、誰に対してもひとりの人間として接するといった彼の信念というか生き様を感じた。そのギャングを思って説教をしする場面をみてそのように感じられた。


今は、注意をしたら殺されることすら珍しくない世の中だ。相手のことを慮って発言をして、耳の痛い発言をされた相手が心を変えるということはどれくらいあるだろう。

自己実現や目標達成のためのミッションをこなすように生きたり、承認欲求とかコスパを求めて効率よく生きるとか、そういう風潮が感じられる昨今に、目の前にいる困った人がいたら、自分のことなんて気にせずただ助けて、自分の思うがままに生きて、発言する。そんなスタイルはとてもかっこいいし、尊敬さえする。

アールという人間がもつ魅力が、いいところも悪いところも感じられるおもしろい映画だった。

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