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データからの最適解

わたしはわりかし本は沢山読むし、他人の論文も沢山読む方です。

もちろん個人的には研究書や参考書類も読みますが、あまりに考え込む方だから、単に単行本なども気分転換に読んでいる感じです…

前は自分でも論文書いてましたが、最近は色々な学校の講義にお邪魔して講師をしたりしています。

ただ、本業が副業禁止なので、全て無償の社会貢献活動として、講師をしたり、研究が講じて上場企業役員向けのビジネス・コーチングしたり、価値共有型企業倫理施策をもとにしたコンプライアンス施策や企業文化変革のお手伝いに波及したりしています。

まあ、今回はそういう話ではなく、論文のデータに関してちょっとだけ…

いっちゃあ悪いけど、データかぶれ論文とわたしが一方的に思うものがある…

結局取れるデータには限りがあって、その測れるものから分析して最適化をしているに過ぎないわけで、測れないものからの最適化はできていないんですね…

な~んてことを思いつつ、その論文のデータ取得の意味について疑義を感じた次第で…

そんな複数の論文とにらめっこしていて、さきほど休憩でYoutube見てたら、同じようなことを喋っているものに出くわしました。

最後の方で、データについて語っておられるけど、まさにそのとおり…

いや、昨日もある方に昨今のマーケティング論文は審査を難しくしている旨のお話をしましたが、それとは別に、採れるデータに限りがあるので、本当に採れるデータだけで分析したものが、その時々の最適解になり得ると考えること自体愚かなことでもあるわけで、あくまで傾向的なところを探れる程度と最初から思っていた方が、全体の道筋を見失わないかと…

論文のフレームはしっかりと満たしているけど、どうも最初の疑問点と結果が結びつかないというか、シックリこないものが最近多くなったように見受けられるのはなぜなんだろう…

そんなことを思いつつ、このモヤモヤを解決するよい考えがないかと思う昨今です…

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