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[PoleStar1] 月猫-08

 ぼくはこの空の上の家に滞在している間、なぜ人は外に出ないのか、外に出るドアがないのか考えていた。おそらく、空の上はものすごく寒いから、人間は外に出ないと思っていたのだ。ぼくは今までに何度か山に登っていたから、高いところに行くほど寒くなることを知っている。空の上ならきっともっと寒いのだろう。
 しかし、窓の外にいた人は袖のないドレスを身にまとっただけの軽装だった。ドレスと長い金色の髪をゆらゆらと揺らしながらその人は窓に近づいてきた。ぼくはこの窓が開かないことを知っているので、知らない人が近づいてきても恐れずじっとしていた。そのとき、ドレスの人とは別に小さな白い人影もいることに気がついた。顔がある部分は黒くツヤツヤしていて不気味だった。顔以外はぜんぶ真っ白で、変わった形の人間もいるものだなとぼくは思った。

                 *

「ああ、カルミアさん」
 ぼくの視線に気づいたヘレナがそういった。カルミアさんというらしいドレスの人が、窓の外から手を振っているのが見える。悪い人ではなさそうだ。ウィルの方を見たが、彼は後ずさっていた。窓の外に人間がいるのがそんなにおどろいたのだろうか。やっぱり、空の上はものすごく寒いのではないだろうかとぼくは思った。
「カルミアさんはISSAのスペクター側の研究主任ね。後で紹介するから。……どうしたの?」
 ヘレナがウィルに訊いた。
「いえ、ちょっとびっくりして。本物の人間かと思った」
 ウィルはそう言って笑った。
「スペクターの中でもカルミアさんは例外的にリアル寄りのドールなの。本人の強い希望でね。とは言ってもまだ不気味の谷を超えるほどの出来じゃないから、近くでみたらちょっと不気味かも。あ、今の本人には内緒ね」
 ヘレナはそういうと、壁についた光る板を触った。ちょこちょこと板をいじっていると、そこから声が聞こえてきた。
「ヘレナちゃん!その子!その子がロックくん?」
「そうですよ」
「今から行くから待ってて!そこから動かないでね?」
「待ってますよ。ミラー先生の検査がまだ終わってないので」
 ヘレナは光る板に向かって喋っている。人間の会話は複雑なので何がどうなっているのかぼくにはよくわからないが、あの光る板を使えば外と会話できるのかもしれない。

「やった!行くわよディーリー。本物の猫を近くで見るチャンスよ!」
「いや、俺は別に……」
「何言ってるの、あなた猫好きでしょ。ロックくんと触れ合うのもテストの一環にするからね!」
「横暴だ……」
 ヘレナが板を触ると、もうそこから声は聞こえなくなった。

「カルミアさんという人は」
 ウィルが言った。「変わってますね」
「見た目に騙されちゃだめだからね。あの人は二百年近く生きてるモンスターなんだから」
「すごいですね……スペクターを近くで見るのは初めてです」
「彼らも本物の猫を見るのは初めてかもね」
 ヘレナはそう言って笑った。「どうなるのか、私もたのしみ」
「私は生き物以外に興味はないね」ミラー先生が言った言葉には、誰も何も言わなかった。

                                                           *

 ウィルはぼくのそばに来ると、頭をなでなでしてくれた。ぼくはウィルの手のひらに頭をごりごりと押し付ける。暖かくてやわらかくて気持ちよかった。

 その後ぼくはハーネスを外され、ミラー先生とやらに全身をいじくり回された。なにがなんだかわからないが、とにかく大変なことが起きている気がしてウィルに助けを求めたのだが助けてはくれなかった。医者とかいう全身をいじりまわす人間は嫌いだ。
「ふむ。とくに健康には問題なさそうだね。心配なのは筋力かな。地球に戻ってからしばらくは不自由な思いをするかもしれないよ」
「ひと月は仕事を休む予定なので、その間にリハビリさせようと思います」
「うん、大事をとって様子を見たほうがいいね。ストレスもたまるだろうから」
 ミラー先生とウィルが会話している間、ぼくは部屋の隅っこに避難した。なんでミラー先生はぼくに意地悪をするのだろう。


続きます。

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