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[PoleStar1] 月猫-11

「もう帰るの?地球が満ちるまで待っているのかと思っていたわ」
 次の日、家に帰るというウィルがいろんな研究者の人に挨拶にまわっていたときにカルミアさんがそういった。カルミアさんの研究室だというその部屋はたくさんの花であふれていたが、全部作り物だった。
「当初はその予定だったのですが、ロックのストレスが心配なので、早めに帰還しようと思います」
「残念だわ。でも、本物の猫と触れ合えたのは良かった。ね、ディーリー?」
 ディーリーは相変わらず顔の部分だけ黒くて丸くてつやつやしていた。いつもあの格好なのだろうか。黒い部分の下はどうなっているのだろう。気になったけど、ぼくはそれを聞くための言葉を持っていないのでじっと観察するだけにしておいた。

「ああ。シェオルで再現されている猫のモデルはもう少し修正する必要がある。とくに筋肉の質感と、温度が違う」
「生き物なんだから当たり前でしょ?個体差だってあるし」
「自然の造形を完璧に再現するのは俺たちの存在意義の一つだぞ。俺のアバターだってまだ未完成だ」
「あなたのアバターの完成度はテストの評価外よ」カルミアさんは言った。「ドールも熱を持つんだから、ちゃんと確認しておきなさい」
「わかってるよ。常に温度は監視している」
 カルミアさんとディーリーは、ぼくにはよくわからない難しい話をしていた。この人達もきっと研究者という人なんだろう。彼らの会話はぼくにはよくわからないことが多い。ぼくはウィルの言葉がわかればそれでいい。

                                                               *

 「それじゃあ、元気で」
 そういって、ディーリーはぼくの背中をトントンと叩いた。ぼくはそれに、しっぽをピンと立てて応える。ディーリーはちょっと見た目が変わっているが、いい人だ。ぼくはそう理解した。空の上にはきっと世界中から人間が集まっているから、変わってる人もいるのだろう。

 ぼくたちがカルミアさんの部屋を出たとき、廊下の角から人間が飛び出してきた。ヘレナだった。ぼくは空中に浮かんだヘレナと目があった。
「よかった!まだいた!」
 そう言いながら彼女は柔らかい廊下の壁に肩からおもいっきりぶつかっていったが、すぐに立ち上がって体勢を立て直し、こちらに向き直った。
「あ、あのね、私……」
 ヘレナはウィルに近寄っていった。なにか言いたそうなのに、なかなか言わない。
「あらあら」
 それを見ていたカルミアさんが、ぼくを持ち上げた。両脇をつかむ手はやっぱりひんやりしている。
「私達は部屋で待っていようかしらね。ほらディーリー、中に入って」
「なんだっていうんだ?」
 そう言いながらもディーリーは部屋に入ってくると、カルミアさんの机に飾ってあった作り物の花を一本取った。

                                                               *

 ディーリーが持った花は非常に興味深い動きをするので、ぼくはそれにすっかり魅了されていた。ブーンと低い音が響く部屋で、ぼくはディーリーの操る花を捕まえようと必死になっていた。
 「へー、上手じゃない」
 「俺は世界中にあるすべての猫動画を毎日分析している。イエネコの生態と感覚器官についてもシミュレーションしている。このくらいできて当然だ」
 ディーリーはそう言ってひょい、と花を宙に浮かべる。ゆっくり降りてくるそれにぼくが飛びつこうとしたとき、花は下に勢いよく落ちていった。前足が無意識にそれを追いかけるが、間一髪、ディーリーに取られてしまった。上に下に、右に左に、前に後ろに。ぼくはディーリーと遊ぶのにすっかり夢中になっていた。
 しばらく格闘して、ぼくはようやく花を前足でとりおさえることに成功した。思わずガシガシと噛みついて、ようやくそれが虫ではなくて作り物の花だということを思い出した。すっかりハンターの気分になっていたのだ。

 ぼくとディーリーのハンターごっこが第二ラウンドに入ったとき、部屋のドアが開いてウィルとヘレナが入ってきた。ウィルはなにやらニヤニヤしているし、ヘレナはうつむいている。二人も廊下で遊んできたのだろうか?
「まったくもう、これだから生き物は」
 カルミアさんはそんな二人を見てうれしそうに言ったが、ぼくにはその言葉の意味はよく理解できなかった。


もう少し続きます。

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