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[PoleStar1] 月猫-07

 カフェを出るとウィルはぼくの頭を撫でた。
「一体どこでそんなものを見つけてきたんだ?おかげで大騒ぎだよ」
 ぼくはそう言うウィルにネズミをあげた。ぼくが狩ったはじめてのネズミだ。はやくもとの家に帰りたいという気持ちの表れだったのだが、ウィルにそれが伝わったのかよくわからない。
「うぁあ。あ、ありがとね」
 ウィルはそう言うとネズミの尻尾をそっとつまんで逡巡した挙げ句、ポケットから取り出したハンカチでそっとぼくの戦利品を包んだ。
「これどうしよう……」
 ウィルがネズミの死骸を持って困っていると、カフェからヘレナが出てきた。まだ、カフェの中では騒ぎが続いているようだった。慌ててカフェからぞろぞろ出てくる人たちもいて、ぼくらはカフェの出口でその人混みをやり過ごした。
「あなた、またロックくんのリード離したの?何かあったら大変じゃない」
 ウィルの近くに来たヘレナがそういった。ぼくが勝手に行動したことに対して怒っているらしい。
「いえ、ええ。ほんとですね。つい、地球に見とれてしまって」
「そのネズミ、どうするの?」
「ミラー先生に預けに行こうかと思います。今回同行してくれた獣医なんですが、こういうの好きな人なので」
「私も行っていい?」
「仕事は大丈夫なんですか?」
「今日はオフだから。まぁ、オフとは言ってもここにはビーチもスパもないからさ」
「研究者も大変ですね。じゃあ行きましょう」
 ウィルはぼくを腕に抱えたまま、壁についている光る板をしばらくいじっていた。いつも仕事で使っているのと同じようなものだが、ぼくには彼が何をしているのかよくわからない。ぼくは大人しく抱えられていることにした。久しぶりに狩りをしたからか、眠くなってきた。
「こっちです」
 ウィルは片手にぼくを抱えて、もう片方の手にハンカチで包んだネズミを持ってあるき出した。歩くと言っても、空の上では地上よりも体が軽いのでぴょんぴょんとジャンプしながら移動するのだ。ぼくはウィルの動きに揺られて眠くなり、そのまま寝てしまった。

                 *

「ふむ、このハツカネズミは月に適応した進化を遂げているようだ。大変興味深い。ほら、骨と筋肉が少ないかわりに皮下脂肪が地球のものよりずっと多い。おそらく3世代目くらいだね」
ミラー先生とかいう人間はぼくの戦利品を解体しながらそういった。ぼくが目を覚ましたときは、ネズミはすでに半分に切り分けられていたのだ。ウィルにあげたのにミラー先生という人間にとられてしまった……まぁ、また捕まえればいいだけの話だ。
「骨のほとんどが折れているのが残念だね。しかし第一基地にもネズミがいて、独自の進化を遂げているとわかったのは大発見だよ。こんどは生きている個体を捕獲してみたいね」
 白い服を着たミラー先生という人はそう言った。ぼくは退屈なので、窓際で毛づくろいをしていた。狩りのあとと食事のあとは必ず毛づくろいをすること、というのはもう記憶もおぼろげな母に教わったことの一つだ。ハーネスが邪魔なので、前足をペロペロして顔を拭うだけにしておいた。
「ロックはカフェの倉庫で見つけたようですよ」
 ウィルが言った。
「そういえば、研究者の間でずっと噂になってたの。壁の中から音がするとかって。もしかしてネズミだったのかな」
 ヘレナはそういって、茶色の髪をかきあげた。ふわっと、空の上特有の動きをするのをぼくは思わず目で追ってしまう。猫の習性というやつだ。
「第一基地と第二基地は避難通路でつながっているから、もしかしたらそこから通ってきたのかも。第二基地って輸送品のチェックがずさんらしいから、地球の微細生物を輸入しちゃうらしいのよね。生態研究室に影響が出るかもしれないから、これから基地の間で大問題になるかも」
「ネズミ捕りの罠を持ってくるんだったな。しかし、ハツカネズミ程度なら即席の罠でも捕まえられそうだね」
 ミラー先生とヘレナの話は難しくてよくわからなかったので、ぼくは毛づくろいをしながら窓の外を見た。

                                                              *

 ひと眠りした後も窓の外はずっと夜だった。空の上は夜しかないのだろうか。おひさまはどこにいったのだろう。もしかして、飛行機に乗っているときに追い越してしまったのだろうか。窓の外には白い地面と真っ暗な空、変な模様の月しか見えない。雲の上を歩けると思ったのに、雲すら見当たらなかった。

 そのとき、カフェにあったものよりずっと狭い窓の中におかしなものが現れた。ぼくは毛づくろいを止めて窓の外を見た。

 外に人がいたのだ。


続きます。

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