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[PoleStar1] 月猫-10

 そのあとも、ぼくはウィルと一緒にいろんな部屋へ行って、いろんな人と写真を撮った。そのほとんどが白い服の研究者で、彼らは何人もいた。ぼくは何度もなんども撫で回されて、毛がボサボサになってしまった。

 その日の夜──夜と言っても部屋全体が明るくなったり暗くなったりするだけで、窓の外はいつでも真っ暗だったが──、ぼくはウィルと一緒に部屋でつくろいでいた。久しぶりのふたりの時間。ぼくはウィルの膝の上で、ボサボサになった毛皮を一生懸命毛づくろいしていた。ウィルはまた光る板を見ている。久しぶりに家に戻ったような気分になって、すこし嬉しかった。軽くなった体はまだ変な感じだ。だから本当は早く、元の家に戻りたいと思っている。
「あれ?ロック。ちょっとお腹ハゲてない?」
 ウィルは毛づくろい中のぼくを持ち上げた。ぼくはふんわりと空中に浮き上がる。両脇を掴まれてぷらぷらと揺れていると、頭がぼんやりして眠くなってきてしまう。
「うーん……やっぱりストレスかな。もう一回ミラー先生に見てもらってこようかな」
 ウィルはそんなことをいうが、ぼくはもうミラー先生に意地悪されるのは御免だったので身を捩ってウィルの腕から脱出した。

 その後しばらく、ぼくたちは狭い部屋のなかで追いかけっこをして遊んだ。空の上なので走るのも思いっきりやってはいけない。慎重さが重要なのだ。勢いよく床を蹴るとすぐに壁にぶつかってしまう。でも、部屋の壁は柔らかい素材でできているのでぶつかっても平気だった。ぼくはウィルから逃げ回り、ウィルはぼくを追いかける。ぼくらはなんども飛んでは壁に床に天井に、ぶつかった。ちょっとたのしかった。ぼくが疲れてウィルに捕まるまで、追いかけっこは続いた。

               *
 
 「うん、これはどう見てもストレスだね。なれない月の環境で、しかもたくさんの知らない人に囲まれてたら猫だって疲れちゃうよ。ねぇ?」
 ぼくを診察したミラー先生はそう言って顎をカリカリしてきた。この前みたいにひどいことはされなかったので、ぼくはおとなしく顎をカリカリされていた。気分がよくなってくる。ミラー先生も意外と悪い人なのではないかもしれない、とぼくは思いはじめていた。
「早めに地球に戻ったほうがいいでしょうか?」
 ウィルはミラー先生にたずねている。ぼくには地球はなんだかわからないが、前の家に戻れるということなら大賛成だ。思いっきり走ったり、虫を捕まえたり、毛布に潜り込んで寝たりしたい。
「私はそのほうがいいとおもうね」
 ミラー先生はウィルに話している。
「猫は環境の変化によるストレスが大きい。とくに今回は前例がほぼないからね。慎重に判断する必要があるね。君だって、飼い猫に何かあったら嫌だろう?」
 ミラー先生はそう言った。先生の話は難しくてぼくにはよくわからない。だからまた毛づくろいをしようとしたらウィルに止められてしまった。お腹の毛が少なくなっているからだめなんだそうだ。

 
 というわけでぼくは首に変な輪っかをつけられて毛づくろいができなくなってしまった。そのかわりにストレス解消として、部屋の床の木の板で思いっきり爪とぎをした。気分がよかった。ウィルには怒られたけど、こんな気持ちのいいことを止められるわけがないのだ。バリバリと爪が床板を削ってゆくと、かすかに木の香りが立ち昇る。ぼくはそれに鼻を近づけてにおいを嗅いだ。どれくらい空の上にいるのか忘れたが、もう何日も外にでていない。ぼくはすぐにでも木にのぼったり、草の間を歩いたり、虫を捕まえたりしたかった。

                                                             *

 部屋にもどってお昼ごはんを食べていると、ヘレナが遊びに来てくれた。彼女は最近よくぼくたちの部屋にやってくる。仕事用だという白い服を着ているときも、隙を見つけてやってくるのだ。ぼくはごはんを食べたあと、ヘレナと遊んだ。ウィルがぼくのおもちゃを持ってきてくれていたから、それで遊んだが、空の上だとやっぱりいつもと違ってへんな感じだった。何もかもが動作がゆっくりで、ふんわりしているのでちょっと退屈だった。でも、ぼくは毎日遊びに来てくれるヘレナのことをすっかり気に入っていたので、退屈でも楽しかった。


もう少し続きます。

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