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鉄フライパン

「日本製が魅力で商品には間違いないとのことでお客様が購入しておりました場合、日本製でもこんな程度かと思われてしまうことが弊社としても大変悲しいです。」

商品を販売していて、取扱店舗の方からこのようなメールをいただいた。

悲しいのはこちらの方だ。

30年にわたり産地で調理道具を中心に、商品をデザインしてきて、クライアントが恐れるのもこういう指摘だ。欠点があっても利点があるのだからと考えた商品開発をすると欠点の方を指摘される。そして商品はどんどん説明を省いても良い簡単なものになり、価格で競争する悪循環になる。

売り場の人が商品の性格を理解しておらず、望まない人に販売することで起こると考えている。作り手と使い手の間の「売り手」が重要だと実感している。

私のデザインしたフライパンはハンドルが四角い断面形状である。まぁ四角をベースにした角丸である。これはフライパンの中身を器などに移し替えるときに丸だと滑りやすいのでこうしている。もちろん丸の方が作りやすい。旋盤と呼ばれる木を固定して回転させ、そこに刃物を当て削る機械で加工される。丸棒(回転体)であれば加工しやすいというのは想像しやすいでしょう。では角丸の四角い形状はどのように加工されるか想像できるだろうか。

旋盤は削る材料を固定して回転させ、そこに刃物を当てる。回転軸は中心で動かないものが普通だが、この軸が偏心する旋盤があるのだそうだ。私自身は見たことがない。岐阜県の工場で加工している。材料自体は竹の集成材だ。竹は木べらにもよく使われ水に強く腐りにくい性質を持つ。

本体に取り付ける金具はステンレス製である。木柄の中でネジが腐食することもない。他社のフライパンと比べ、ハンドルが傷みにくいように距離を長めにとっています。そして本体側には炎よける2ミリのステンレス板が金具に溶接されています。木柄の外周よりも2ミリくらい小さなサイズです。多少ずれても本体よりはみ出すことは無いです。ネジを締めたときにハンドルにかかる力を受け止める役目もしています。

他の製品では口金と呼ぶ薄い金属のキャップをかぶせたものが多いです。木柄だけでも良いし、口金をかぶせても良い。でも他に良い方法は無いのだろうかと考えて選んだのがこの方法。

その欠点が上の写真のようにハンドルの熱除けの板がずれてしまう事。これは丸いハンドルやせめて熱除けを丸ければずれているようには見えない。もしくはネジで固定してあるのだから、クリアランスを大きめにとってネジで締めるときに調整できるようにすることも出来るだろ。

丸棒のハンドルにするくらいならわざわざ作ることないし、ハンドルがぐらつくのも嫌だ。そもそも木と金属のように異素材を切削とプレスで加工し、ネジで固定しリベットで取り付ける、という製法で完全にずれをなくすことは無理だ。この点は使う人にも理解してもらえると考えた。

他社のフライパンだって工夫はしている。もっと見た目にも差別化はできるはず。では何故どれも同じような見た目をしているかといえば、こうした小さなこだわりは使う人に伝えてもらえないからだ。私たちの場合、製品のこだわりや同時に欠点も伝えてもらい納得したうえで購入してもらうために、小売店を自分達で選んでいるつもりだ。

私たちは新潟市役所近くの医学町ビルに店舗もある。同じビルでは様々な作家のものを販売する人や自身で定期的に販売をする作家さんが集まる。作り手と使い手の間には優れた売り手が必要だと実感させられる。EC販売が急成長する中で「逆張り」とも思える売り手の魅力を肌で感じている。

そう考えているだけに、長く商品を販売してもらっていて、今までも同じズレがある商品を沢山売ってきたであろう小売店の方に今さら「悲しいです」などといわれては本当にがっかりだ。

新しい製品を作るときに何が新しいのか、見た目だけだとしたら残念な商品だ。何か他の製品が変えられなかった事を変えるから意味がある。たぶんそれは本当に小さな差で、多くの人にとっては価値などないものかもしれないし、時にはマイナスと感じる人もいるだろう。けれど別の人からは大きく歓迎されることもある。なぜ今までなかったのか、ずっと待っていましたとか言って下さる人もいる。私達つくる側にとってはそれが心のよりどころであるし、その最も理解者であるのが小売店の方々だと思っている。そこまでがチームとして機能して、はじめてものは定価設定されると考える。

そうでないならじしゃECサイトで直販する方が良い。私自身は作り手と売り手と協力できる小さな集団を生業としていく。自分が考えたものを製品として世に問うための仕組みをデザインしないとならない。

もちろん工場にも今回の事は伝えてある。伝え方を間違わなければ、時間はかかるけれども少しづつ改良はされる。それが日本のものづくりだ。不良品と不良品ではないにしろ気にする人も必ず、居て改善する必要はあるというのは次元が違う。トイレに「汚すな」と書くより「綺麗に使って下さりありがとう」と書くのと同じ。そうした配慮ができない人がお客さんのケアができるとは思えない。

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