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せともの祭と教育と

私の住む愛知県瀬戸市に昔からある大きな祭
それがせともの祭である。昔は親からお小遣いをもらい友だちと屋台をはしごできる。とても楽しい祭であった。


瀬戸市的には、地域の名産品であるせとものを安く売れる祭。昔はとんでもない人出があり、名鉄瀬戸線は一年の内で一番忙しそうであった。けれどもそれは昔の話。今は茶碗ひとつ買うのにわざわざせともの祭では買わない。ダイソーに行けばかわいいデザインのものが100円で買えるのである。

昔は、少しいいものを安く大量に買えることが魅力であった時代。多くの人はそれを求めて、列をなし、大量に重い陶器を購入し、真っ赤な電車に荷物いっぱいで帰っていった。

時代は変わり


いま瀬戸にはアーティストの方が多く移り住んでいる。一点物の作品を作り上げ、個人でブランディングをして、高い値段で良い作品を売っていく。

https://youtu.be/FDox3IyGjF8

つまりビジネスモデルが変わってきたのである。せともの祭自体もこういう感度の高いアーティストの方にプロデュースしてもらえればかなり面白い祭に変わっていくと思うのであるが、昔ながらの組合の方の頭がかたく話が進まないそうである。

教育の世界と置き換えて考えてみると

これ教育界も一緒だなと感じた。
一斉授業スタイルで、全員同じ少しだけいい品質のものを効率的に作り出そうとする。そのスタイルをなかなか捨てられず、変えていこうとする若手をつぶしにかかる。

不登校の子たちはそのスタイルに嫌気がさしている。みんな一緒に、みんなで同じことをやろうという謎の圧力が嫌なのである。

リクルートスーツ姿の就活生。同じ髪型、同じ色のスーツ、同じ色の靴。
なんでそろいもそろって同じにしないといけないのか理解に苦しむ。

教員時代にも集合研修に赤いコートを着ていったら「辞めていくやつはいいよな」って言われたことがあり、違和感をとても感じた。辞めていくやつしか赤いコートは着てはいけないのか...

なんだよそのつまらない考え方!!別に辞めるから着ていったわけではなく、着たいから着ていっただけである。

先生方がこんな考えだから、きっと教室は息苦しいのであろう。もちろんそんな先生ばかりでないことはよく知っている。個性を伸ばし、楽しくやってくれている先生たちもたくさん知っている。

けれどもリクルートスーツの謎文化。これこそが日本社会の没個性。没自由である。

先日大学で講義する際、ビーさんに短パン。ティシャツで行った。
学生から先生っぽくないですねと笑われた。けれどもそんな自分が好きである。
奥さんからはクビになるからちゃんとして!とやんわり注意されたが、これからも暑い日にはこれでいきたい。

これからは1点もののアーティストを育てる

教育もこちらにシフトしていく。個人でブランディングを行い、作品を売れる人へ。そのためにはみんなと一緒のことをやっていてはうまくいかない。

不登校できるというブランドを活かして生きていく。
自分の意思をもてるというブランドだ。学校なんていってやるか!っていうアーティスト的な考え方。パンクでロックな子どもを育てていきたい。

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