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50代ですが只今不動産独立開業準備中 (5.不動産屋になった時の話。)

「うちは、元板前とか、元トラックの運転手とか、元ホストとか
色んな奴いるけど皆年収○○○万円とか普通に稼いでるから😈」

「でも、遅刻したら反響一回飛ばしだからな。
遅刻だけはすんなよ❗️」😈

「で、❔ いつから来れる❔」😈

いつから入社したい、とかそういうレベルまでの話は
まだ何もしていないし、そもそも冒頭で
今日は詳しいところのお話を伺いに来ただけの旨も伝えていたし、
そんな中で、もう入社が決まっている前提で、
遅刻したら反響云々言われても、、
気持ちは完全にドン引きしていた。😰😰😰😰😰

目の前で大きな声で迫力満点に話していたのは、
ヤマト住宅(仮名)の営業部長。
私の立場は「営業マン募集」の求人広告を見て
応募してきた業界未経験者もうすぐ30才男性。である。🙂

ちなみにこちらの営業部長の方、
昔「塀の中の懲りない面々」というベストセラー小説
を書かれた作家の先生によく似ていて、迫力の有るダミ声等
は、元ホンモノであった作家の先生に比べても遜色無い。😰😰

私と言えば、
それまで、旅行代理店、保険の調査会社と
転職してきたが、やって来た仕事は固定給の
ルートセールスの営業マン。

地道に毎日を生きて来た小心者であり、
そもそもが
歩合の営業等という弱肉強食の恐ろしい世界
(※当時は本当にそう思っていた。😩)
とは無縁の人生であった。

前職で営業から管理職になってしまい、
お客様と接する機会が無くなりストレス三昧。

「営業がやりたい❗️やりたい❗️やりたいよう❗️」💨💨💨

と言う気持ちが押さえきれなくなり、

どうせやるならお金が稼げる業界で。
という程度の理由での不動産会社への応募であった。

「少し家族とも相談しますので。。」

腰はおもいっきり引けてしまい、
こちらの会社にお世話になることは無いかな、
と、思ったものの一方では、
この面接で勢いが付いてしまい、
2日後にもう一社面接に伺った。🙂

「君はやれそうな気がするよ。一緒に頑張ろう❗️」👼

そういって入社を促してくれたのは、
常磐ハウス(仮名)の営業部長の方だった。

こちらの部長さんは、髪はオールバックと七三の中間で、
往年の映画全盛の頃の俳優さんかと思わせるダンディかつ、
爽やかな印象の方であった。

話す内容や話し方も丁寧で分かりやすく紳士的である。👨

一旦持帰り妻とも相談し、
こちらの会社でお世話になることに決めた。🙇

募集広告では、

基本給+歩合給と完全歩合が選べる事になっていたが

「君なら全然できそうだし、完全歩合の方が
年収も高くなるから、その方が良いと思うよ。🙂」

という営業部長さんのお奨めに従い 

「完全歩合」

を選択したが、
これが幸か不幸かその後の運命を大きく左右することになる。🙂

3ヶ月後の月末、

私は常磐ハウス(仮名)を退職した。

理由は

3ヶ月で1件も契約が取れず、
更にものになりそうな案件も無い。
このままでは貯金が底をつく非常事態。😰

完全に不動産仲介業を舐めていた。
すぐに契約くらいとれるであろうと
過信があった。😩

ルートセールスでは成績優秀だったが、
これは全く別の世界だ。😰

まずはリセットして、それ程稼げなくても良いから
固定給があって基礎から学べるところでやり直そう。👊

と思ったからである。
(※というよりも追い詰められたからである。)😢

そして、その後に必ずリベンジしたい。
絶対しないと気が済まない。

とも思った。👊

威勢の良い事を言っているが、実際は
この3ヶ月は人生で初めての無力感に苛まれた3ヶ月であった。

回りの先輩たちがどんどん購入申込書をとってくるのが、
魔法のようにしか見えなかった。🙂


そして私は、
固定給があって基礎から学べる大手の不動産会社に
入社することになる。😀

3ヶ月だけ経験したと言っても
ほぼ未経験と言っても良いレベル。
30才の未経験者である。🤖

奇跡の連続と感謝しかない奇跡の出会い等のお陰で、
売上で日本一になるのは、更に14年後の事であるが、
そこまでの間も、上がったり下がったりの連続で
順風満帆という言葉とは無縁の世界であったが、
それについては機会があればお伝えしたい。

本日はここまで。

読んで頂いた方、ありがとうございました。

無いと思いますが、
万にひとつも何か教訓になること有りましたら幸いです。🤔

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