見出し画像

50代ですが只今不動産独立開業準備中 (10.泣く子も黙るカミソリのマサ(仮名))

「1ヶ月様子を見てたけど、あんた全然ダメだな。👹👹
全然わかっとらんよ👹👹」

30才。色々と学べそうな不動産会社に採用されて
ちょうど一月が経とうとしていた頃、
当時上司でセンター長だった上野(仮名)さんに呼び出された。😩😩

上野(仮名)さんは続けた。👹

「あんた、1円も稼げてない今の自分が
まだ何者でも無いっていう自覚はあんのか❔
それとももう一人前のつもりか❔
どっちだ❔👹👹」

「一人前ではありません。。。。」

「そうだろ👹まだ契約もしてない今のあんたは
回りの奴らに食わしてもらってるんだ👹
だったら、もっと自分から進んで店の仕事とか
率先してやるんだよ。👹👹わかったな👹」

上野(仮名)さんは声を荒げる事もなく、
静かに淡々とタバコの煙をくゆらせながら
(※当時は事務所で平気でプカプカしていたのです。❗️🚒)
含むように私に言って聞かせてくれた。

『店の仕事』のメインはチラシの印刷だ。☀️

印刷対象は、
新規物件の依頼を受けた後、
土曜日の朝刊に折り込むチラシと、
物件担当が自ら
近隣にポスティングに行くチラシである。

チラシの印刷量は、大体まる2日間朝から晩まで
輪転機を回しっぱなしが必要な位のボリュームで
毎週のルーティンになっている。🏘️

それを率先して一手に担う事にした。(担わされた🤔❔)

印刷するチラシは1000部単位で紙に包み、包んだら
チラシを1枚外側に張り付け、赤マジックで
【1000部】と書いて一丁上がりだ。🏅

この作業を週のうち2日間、延々と朝から晩まで繰り返す。

ワイシャツにインクがいつの間にかベトっと付いている。😭
捌くときに紙で手が切れて流血する。😭
夜になってもガッチャンガッチャン回していると、
先輩の出口(仮名)さんから
「ちょっと、電話聞こえないから少し止めてくれよ❗️」
と、あからさまに迷惑声で注意をされる。😩

しかし、
きれいに刷れば反響がたくさん来る筈💥
これも立派な大事な仕事なのだ💥
この間に先輩方はお金になる仕事をしているのだ。💥
「これではまるで印刷会社に就職したようなものではないか。🤮」等とは間違っても思ってはいけない。💀

と自分に言い聞かせて作業を続けた。🏋️

が、やはり不動産屋なので

『印刷よりもお客様対応に時間を費やしたい。』😙
『早くこの立場から抜け出さねば。』🤔

という気持ちは日増しに強くなっていく。

印刷を一手に担い始めた頃を境に不思議と
お客様が繋がるようになり、契約がとれ始め、
そして半年後には単月の成績で表彰されて
しまうところ迄一気に成績が延びていった。🙌

その結果。

私がお客様の案内、契約準備、契約等で忙しくなり、
この印刷業務については、店の皆でシェアして
行くことに変わって行くのだが、
成績が右肩上がりになったのも
上野(仮名)さんの指導があったからこそ
のものだったと、今でも上野(仮名)さんには
本当に感謝しか無いと心からそう思っている。🙇

上野(仮名)さんについてだが、
高校卒業後、九州から上京し下町の印刷会社に勤めたが、
そこの社長が印刷業の傍ら不動産の建売事業を始めたい。
ということになった為、(スゴイですね🙂)
上野(仮名)さんが宅地建物取引主任者の資格を取り、
建売り事業をスタートさせたそうだ。🌞
(すごい流れですね🙂)

手探りで始めた建売り事業だったが、もともと水に合って
いたのだろう。あれよあれよという間に業績は右肩上がり。
(ホントスゴイです🙂)
下町で相当に荒っぽいエリアであったにも
かかわらず上野(仮名)さんの名前は同業者間に知れ渡り

『カミソリのマサ(仮名)』

の異名で恐れられていたそうだ。

(え、何その異名❔何の世界の話ですか❔って
普通思いますよね👺
でも複数の証言があり間違いなく事実です。(🤔)

私は、部下として仕えた3年間、
上野(仮名)さんから声を荒げて怒られるような
事は一度もなかったが、その間2回だけ
上野さんのマジギレモードを目の当たりにしたことが有り、

(※なるほど、これが『カミソリのマサ(仮名)』か❗️❗️❗️)

と震えが止まらなかった記憶がある。😩

私はこれを

「喉輪で電車道事件」
「お前もう電話要らないだろ事件」

と名付け、その時の光景は今でも鮮明に覚えているが
これについては別の機会に紹介させて頂きたい。
(マジすごかったです。😵😵😵)










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?