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万引き家族

是枝監督作品は学生時代、「ワンダフルライフ」を劇場でみて、以来機会があれば足を運んでいる。今回はTOHO日本橋で鑑賞。ネタバレ注意。

あらすじ
東京の下町に暮らす、日雇い仕事の父・柴田治とクリーニング店で働く治の妻・信代、息子・祥太、風俗店で働く信代の妹・亜紀、そして家主である祖母・初枝の5人家族。家族の収入源は初枝の年金と、治と祥太が親子で手がける「万引き」。5人は社会の底辺で暮らしながらも笑顔が絶えなかった。冬のある日、近所の団地の廊下にひとりの幼い女の子が震えているのを見つけ、見かねた治が連れて帰る。体中に傷跡のある彼女「ゆり」の境遇を慮り、「ゆり」は柴田家の6人目の家族となった。しかし、柴田家にある事件が起こり、家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれの秘密と願いが次々に明らかになっていく。

参考URL

1週間ほどたつのに、まだ余韻がぬけない。なので、お昼休みにパンフレットを買ってきた。メインキャストのインタビューや監督のプロダクションノートも読めて800円也。お得です!

「子どもの心をもったでくのぼうのお父さん」を演じたリリー・フランキー
15歳の時是枝監督の「ワンダフルライフ」をみていた松岡茉優
誰よりも家族のひとりひとりをつなげていた安藤サクラ

反芻するにつけ、よくこれだけのメンバーを集めて、物語にはめこんだなと。呆れと感心がまぜこぜになる。パンフレットに感動の衝撃作、なんてかかれていたけど、そんな陳腐な言葉じゃ表現できない。パルムドール受賞、おめでとうございます。



・好きな場面の覚え書き


安藤サクラの演技がどこをとっても100点満点
好きな人にはこうするんだよ、と抱きしめながら泣く場面
音だけの花火を見上げる5人、樹木希林の横にはいりこんでくる松岡茉優。おばあちゃんにすり寄っていく仕草が猫みたい
走り去るバスのなかから(おとうちゃん)とつぶやく城桧吏
会見する夫婦、山田裕貴のスーツの着崩し方、妻に向ける威圧感、まともじゃない雰囲気
高良健吾と池脇千鶴の警察ペア。詰問は「八日目の蝉」を思い出す
その辺にあるものをはおった感満載の家族たちの着こなし
松岡茉優のエセジェラートピケ
海岸ではしゃぐ家族をみてつぶやく樹木希林(ありがとうございました、かな?)
土砂降りとそうめん
一周回ってモザイク模様がアートなお風呂
甘味処にて、ばあちゃんと孫の会話
「店での名前、さやかっていうの」「意地が悪いねぇ」「誰に似たのかな」
ビー玉を数えているじゅり、なにかをみつめるじゅり
観客の胸を締めつけておわる


・虚ろな時代

松岡茉優の闇が深いといコメントをいくつかみた。「家族」のなかで最も恵まれていて中流階級の生まれなのに、なぜあんな場所(JKリフレ)に身をやつしているのか。もし物語の舞台が1990年代後半だったら納得がいく。私が高校生だったころ、97年~2000初頭にかけてはこういうタイプの女子が多かった。部活やアルバイトにうちこまず、とくに好きなアイドルや趣味もない。自分の居場所探しという体で売春まではいかずとも、出会い系サイやリフレもどきのアルバイトで小遣いを稼いでいた。決して学校での評判は悪くない子たちばかりだ。当時の自分は、アンバランスにおとなびていく彼らをみながら、消費される側に回るのは、女性ばかりなんだなと、ぼんやり感じていた。

隣人への無関心が当たり前になりはじめたころで、虐待もよく耳にした。
身近な例として、同級生の女子は高校3年間、継母からモラハラを受け続けて卒業後祖父母の家に移っていった。風呂を毎日使わせない、継母の連れ子の前でなじる、大学にやる金はないといわれ続けたらしい。別の女子は、母の無関心がつらくて拒食症になった。病院につれていってと本人が何度頼んでも、「体裁がわるい」「あなたは病気じゃない」と言い続け、彼女の心の病を認めなかった。ちなみに私が通っていたのは都内の私立高校で(ありがたいことに)松岡茉優演じるあきと同じような家庭環境、それ以上の
金持ちの子どもたちが多かった。虐待は貧困家庭に限ったものではない。

95年から2000年の5年間に、児童虐待の通報は3000件~2万件へと急激に増加している。少子高齢化の流れに反比例して。
参考URL 児童虐待 最悪の12万件 16年度、26年連続で増加


・家の在り方

散らかり放題な家の中。玄関にまで段ボールが積まれて、台所もテーブルももので埋まっている。一時期、ゴミ屋敷とまではいかずとも、実家がああいう雰囲気だったので、みていて息がつまった。私の田舎の家は広かったけれど、東京のマンションは狭くて、それでも4人家族には十分の住処のはずだった。父は口だけの綺麗好きで、母と妹は片付けが苦手。20年は着ていない両親の洋服や、つかっていない家具什器、どんどん増えていく持ち物にスペースをとられるばかりで、嫌気がさした。成長するにつけ、自分だけの居場所がほしくなる。「捨てられない家族」を捨てたくて、18歳のとき家をでた。思いあがっていたと思う。生意気だったと思う。親の苦労を知らない、とんだクソガキだった。その後、一度両親の離婚に伴い同居をしたけれど、数年前再度ひとり暮らしに戻った。友人に相談した結果「親を死ぬほど憎む前に離れたほうがいい」という結論に至った。いまも東京に住むかれらの家にいくと、ひと晩過ごすことはまれだ。あそこで死にたくない、と心のどこかで願ってるから。

鑑みると「万引き家族」のひとたちは誰もが幸せそうにみえる。お金がないと言いながらも狭い範囲でやりくりし、日々笑いながら生きている。お互いを責めあったり、暴力的な(モラハラふくめ)やりとりがない。コミュニケーションも相手を傷つけない範囲で軽口をたたき合う。余裕はなくとも、根本的に優しいひとたちだ。素直に羨ましいと思った。とらえ方に差はあるだろうけど、私にとってあの家族の軸は安藤サクラで、刑務所の面会で「みんなでいるあいだ楽しかったよ」という場面、決して子どもたちに涙を正面から見せない気概に泣かされたし、心底しびれた。


パンフレット表紙にもなっているこの写真は存在しない。あの家はかれらだけのもので、踏み込めないのだ。誰かが望んだ景色だったんだろうと考えるだけで、胸が詰まる。


見て損はない作品です。なにも感じないかもしれない。なにかを感じたら、誰かと語ってほしい。

以上です。


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