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日本人を定義してみました

日本人の定義は何か――という話になると、とかく血統国籍、あるいは生まれ育ちなどを基準とした定義になりがちである。しかし血統や国籍では、少し頭を働かせればいくらでも矛盾を思いつくし、生まれや育ちでは日本で育った外国人と区別がつかなくなってしまう。
では日本人とはどのように定義されるべきだろうか。
筆者は、日本人の定義は<日本史にアイデンティティをもつ人>だと考える。これは次のように考えてみればわかる。

この国が日本と呼ばれるのは、雛祭鯉幟を実践し、学校で古文漢文を学ぶ人々が住んでいるからである。そしてなぜそれらが実践されているるかといえば、日本史を「われわれの歴史」と思っているからであろう。
(日本史を「われわれの歴史」と思っていない人々が、それらを実践することはない)

このように考えると、日本人とは、雛祭鯉幟古文等々そうした実践を自然とできる人、すなわち日本史を「われわれの歴史」と思い込んでいる人だと定義することができるのである。

日本人とは血統でも国籍でもない。日本国に忠誠を誓っている人のことでも、日本が好きな人のことでも、日本の経済に貢献している人のことでもない。日本人であるということと、そうした個人の意思嗜好能力は、まったく関係がない。

いつの日か、この国の上に住む人々にとって日本史が「われわれの歴史」ではなくなり、日本文化が心理的に無関係なものとなったとき、そこが日本と日本人の終焉になる。

(参考)
「国家への忠誠」は無意味である(帰化制度について)