A.Toi @国家・国民・民族、認識論・存在論

社会の統一と社会の個性とを生みだすような、集合的感情と集合的思想とを維持し、それらを一…

A.Toi @国家・国民・民族、認識論・存在論

社会の統一と社会の個性とを生みだすような、集合的感情と集合的思想とを維持し、それらを一定期間ごとに再確認する必要を感じないような社会は、存在しえない― E・デュルケーム(1858-1917)  ※試験運用中です

最近の記事

少子化対策は2.0を念頭において議論すべき―日本の少子化議論の誤り

■ 現状の少子化論は、すべて無責任な議論である少子化をめぐる議論で、筆者が長年、疑問に思っていることがある。 それは少子化問題の「解決」となる出生率2.0という数字が、目標値としてなぜ置かれていないのかという疑問である。 なぜなら2.0という基準が不在だと、無責任な提言がいくらでも言えてしまうからだ。 たとえば高校大学・保育園の無償化、第三子に1千万、消費税廃止、デフレ解消、事実婚、選択別姓、育児休暇をとりやすく…といった種類の提言がそうである。 なぜこうした提言が無責任な

    • ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』

      【本書概要】 1. 社会道徳の基盤は直観であって理性ではない。直観は理性で制御できないがゆえに拘束力を発揮する。 2. 人間の脳は、社会維持のための自己抑制をこの拘束性の高い直観道徳で身につけるように進化した。 3. 直観の源泉はその社会が慣習的に育んできた社会的事実である。リベラルはそれを変更しようとする。 4. 直観道徳を失った社会は社会道徳を理性道徳により多く依存せざるを得なくなるため不安定化する。 5. 社会の基底的秩序を理性によって組み立てられると考えるのは合理主

      • 日本人を定義してみました

        日本人の定義は何か――という話になると、とかく血統や国籍、あるいは生まれ育ちなどを基準とした定義になりがちである。しかし血統や国籍では、少し頭を働かせればいくらでも矛盾を思いつくし、生まれや育ちでは日本で育った外国人と区別がつかなくなってしまう。 では日本人とはどのように定義されるべきだろうか。 筆者は、日本人の定義は<日本史にアイデンティティをもつ人>だと考える。これは次のように考えてみればわかる。 この国が日本と呼ばれるのは、雛祭鯉幟を実践し、学校で古文漢文を学ぶ人々が

        • ルソーの一般意志と全体意志の違いについて

          ルソーは『社会契約論』で一般意志について次のような説明をしている。 この説明について、まず(Ⅰ)の意義については誰でも容易に理解できよう。党派性に基づいた法律だと特定の人々だけが有利となってしまうので、法律は党派性のない一般意志に基づいて制定されねばならないという意味である。 問題は(Ⅱ)の意味である。一般意志は(特殊意志の総和である)全体意志とは異なる――これがいったいどういう意味なのか。 筆者があたった何冊かの本の限りでは「丁寧な議論によって合意できたところが一般意志

        少子化対策は2.0を念頭において議論すべき―日本の少子化議論の誤り

          「権利」の根拠とは何か(D・ヒュームの場合)

          今日われわれの社会においては、さまざまな「権利」の主張がなされる。 しかし権利というものは、他人に対して作為・不作為を要求するものであるから、その性質上、むやみやたらと認めることもできないはずである。 ――では認められるべき「権利」の正当な基準とは、いったいどこにあるのだろうか? D・ヒューム(1711-76)は「権利」の根拠を―これから述べるように―<人間の論理>(人間本性)から生じる社会的で自明的な慣習(convention)に基礎づけようとした。 すなわちヒュームは、

          「権利」の根拠とは何か(D・ヒュームの場合)