別に乗り越えてもない
自分が社交不安障害だったときの話。
"だった”と過去形にしたのは今その傾向があまり見られないからだが、寛解したとも思ってないし、またいつなってもおかしくないだろうと思っている。
しかし、一度この状態を味わったことで、ふとした時に「今パニックになりそうだな」という紙一重の瞬間を察して回避のメンタルコントロールをすることができるようになった。
反対に、あえて不安状態に持っていってパニックに入ることもできる。たぶん。したことはないが、できる。
ビュッフェ形式のイタリアンレストランに行った時のこと。
そこはピザやサラダ、ドリンクなどは完全にセルフで取っていくのだが、パスタはカウンターキッチンのようなところで店員さんに作ってもらう形式の店だった。
私はもちろん店員さんと話すことができないので、母親に「あれとあれお願い」と言って代わりに取ってきてもらっていた。19歳の頃の話だ。
とても不甲斐なく。自分は惨めであることの証は、母親に頼んで取ってきてもらったパスタだった。おいしかった。
社交不安障害は鬱と併発することがあるらしい。
自分は病院ではそこまでの鬱症状はないと診断されたが(恐らく自殺企図や自傷行為の経験がなかったため)、人生の先が何も見えず、社会と接することもできないのに落ち込まない人間がいるはずがない。
心理学部に入学した学生が不安障害になった。
それだけの話。
冒頭で「いつまたなってもおかしくない」と述べたが、少なくとも今はならないだろうと考えている。
他人を舐め腐って生きているからだ。
「たいていの人間は自分より脳みそを使って生きていないし、たいていの同性より見た目が優れている」と冗談抜きにして思っている。
そして、この思いが自分を支えている唯一の柱、文字通りの大黒柱なのだ。
思えば、不安障害期間に魅力的な他人と出会わなかったのは幸運だった。 他人を自分の支柱にすることは、破滅への近道だから。
以上。
(筆者は「社交不安障害になったことがある」というだけで、心理学や精神障害についての専門的な知識などは勉強しておりません。なので、あくまで個人の感想・意見として受け取ってください。)