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縁もゆかりもなくても縁がないわけではない

縁もゆかりもなくても縁がないわけではない。

例えば...私の自宅から車で20~30分の距離で、東大阪市に行ける。

でも我が家の人間は東大阪市に縁がないようだ。

実際に、私は、今まで22年間大阪で生きてきて、東大阪市の人に出会うことも関わることもほとんどなかった。

東大阪市のイオンがあったころはまだ行っていたけれど、なくなったため東大阪市に出かける用事もほとんどない。

そして弟も母も東大阪市の人と出会わず関わらずじまいだ。

※父はよう知らんけど

今は特にテレビで、朝ドラ”舞い上がれ”の舞台が東大阪市なので、最近頻繁に東大阪市の話題で町工場が映ったり、花園ラグビー場が映ったりしている。

けれど、わりかし近所のはずなのに全く親近感がない。

私の心の親近感の距離的に、東大阪市の町は自宅から北九州市ぐらいの遠さがある。

けれど私は、全く縁もゆかりもないのに2年ほど前に岐阜県の人と繋がったり、2022年に、伏見稲荷大社の山頂付近の食堂で、愛知県の一宮市の人と話をしていて気が合うなと思いライン交換をしたりした。

岐阜県の人と繋がったというのは、私がNPO法人仕事工房ポポロの存在を知り、オンラインの居場所会に参加したり、法人向けにお便りを書いたりして、他府県の人だけど交流をし続けてきたからだ。

そして今年、そのポポロの人たちとようやく出会う事ができた。

また、愛知県の一宮市の人と繋がったというのは、同じソロ活女子(おひとり様で活動する女性のこと。団体行動よりも、一人で活動する方が好きな女性)として、また、私が明るくて、さばさばした性格の人と相性が良いのもあった。


だから、人生、どれだけ家から近い土地の人や場所であっても、縁がまったくなければ出会わないし、行くこともないし、出会っても自然と縁がすぐに切れていく。

逆に、縁もゆかりもない土地の人や場所でも、繋がる時は繋がるのだ。

縁とは、まことに不思議なものである。




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