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不安がくれた着想 〜「キモがられる勇気」後書〜

当記事は、5記事に分けて書いた創作パロディ「キモがられる勇気」のあとがきになります。
やっと自由記述に戻せるぞ…!という達成感のままに綴る、ただの雑記です。

▷ 制作のきっかけ


このnoteアカウントは、昨年11月頃からやけに投稿数が増えており、その大きなきっかけとなったのが「適応障害の症状が出て、約1ヶ月間休職した」ことでした。

自分は、どうも現職の“お役所仕事”が肌に合わなかったようです。
(詳細は、過去記事で長ったらしく語っております)
休職したのは昨年11月が初めてでしたが、過去にも医務室に駆け込んで号泣して周囲の人に業務を押しつける羽目になったことがあり、嘱託の看護師さんとはすっかり顔馴染みになりました。

症状が悪化する前に休職する判断をしたことが幸いしてか、今では以前と遜色ない元気を取り戻しています。
そして、窮地を脱した心で改めて人生について考え直し、「今年の夏で退職する」意思を上司に表明しました。
現職は6月〜8月が人事異動の集中期なので、願わくば「後任に引き継ぐ」形で去りたい…と、ペーペーなりに責任感を示したいが故の判断でした。

転職ではなく、無職となる。
時間は刻々と流れ、実感が増せば増すほど、「自分の人生、これからどうなってしまうのだろう?」との思いが膨らんでいく日々です。

この思いは、まだ見ぬ未来への希望と躍動であり、同時に、言いようのない不安でもあります。
人格の根底にネガティブ思考がこびりついた自分は、つい「限界を迎えつつある」未来を思い描いてしまうのでした。

「もしも、自分が三十路を迎える頃、本当に食いっぱぐれそうになっているとしたら…?」

そんな時、ふと脳裏に大学時代のとある友人がよぎりました。
彼女は哲学味漂う珍発言を繰り出すことが少なからずあり、自分には「いつか彼女の哲学を体系化してみたい」という、ささやかな野望がありました。

実は、一度試しにノートに殴り書いてみて、上手くまとまらなかった過去もありました。

彼女と自分を、哲学者と迷える子羊に見立ててみた時…
先述の不安と野望を昇華する、1円の金にもならないアイデアが降ってきました。


『哲人と青年の対話を通し、読者にありがたき導きを示してくれる、あの青いベストセラー
あれをパロって、謎の哲学者っぽい人が持論を説きながら彷徨える三十路を救いゆく、ハートフルストーリーを書いてみよう!
…と。

ひょんな思いつきから始まり、第1夜(鼻毛)を半分くらい書いた頃には、直感的に「これ、最後まで書けるのでは!?」と思えてきたのでした…。


▷ タイトル勘案


さて、この血迷った創作に名前を与えるにあたり、元ネタを如何に匂わせようか、頭を悩ませました。

まず、「嫌われる」をもじるか、「勇気」をもじるか。
後者をもじった場合、「嫌われる」という単語が残ることになり、このストーリーにそぐわなくなってくる気がしたので、前者をもじることにしました。

さて、この動詞(未然形)+助動詞(受け身)を、いかにもじるか。
最初は、助動詞「れる」を、受け身以外の用法で使うことも考えてみました。
尊敬の用法…いや、これでは「勇気」に繋げにくいし、三十路が尊敬の対象となってしまいます。
自発の用法…考えられる、思われる…
これも、受け身と混同されそうで上手く思いつきませんでした。
助動詞の用法は、諦めてそのままにしました。

あとは、変えられる部分は動詞しか残っていません。
「絆される」「狂わされる」…辺りを思いつきました。ついでに「狂える」とかも。

ところが、いざ名詞をくっつけてタイトルにしようとすれば、「絆される勇気」「狂わされる勇気」「狂える勇気」などなど…

いや、自分の書くものは、こんなスタイリッシュなものではない!
こんなのではなく、もっと残念さ漂うタイトルにしたい!!


そうして、自分なりに行き着いた残念なタイトルが、「キモがられる勇気」でした…。


▷ 初めて人目に晒した物語文


自分は元々、小説を読むのが好きではなく、ましてや読書そのものに苦手意識を持ち続けた人生でした。
「書く」ことは嫌いじゃないのに、他者の作り出した架空には、よほどの後押しでもない限り興味が持てず…
そのせいもあってか、物語文はどうも上手く書けない感覚がありました。

今まで2回ほど、物語文を書いてみようとしたことがありました。それぞれ23歳、26歳の頃でした。
もし上手く書けたら「なろう」にでも載せてやろうかと思ったのですが…
残念ながら、どうも出来事を淡々と述べるような文章にしかなってくれず、結局は両者とも道半ばで封印しました。

今回はパロディということで既存の著作に乗っかったのと、大部分を対話形式で構成したお陰か、辛うじてサマになってくれたのかな…というところです。
自分は作家志望ではありませんが、後学のため、拙さへの言い訳および反省文をいくつか列挙します。


* 三十路の設定諸々

第1夜冒頭「プロフィール」に記載した「三十路」の設定内容は、実際の自分自身(未来形)とほぼ一致させています。
ここに書いた「借金あり」については、30歳時点だと、大学院生時代に借りていた奨学金をまだ返しきっていないことになるため、限界感を演出する意図で入れてみました。
しかし、本文中では一切言及されなかったという。
どうせ書くならどっかで出せやと、我ながら思いました。

また、第5夜で三十路が転出届を出す場面がありますが、
「住民票が◆◆区にある、つまり実家が●●大学の近隣区内にあるという状況でありながら、哲人の家やゲストハウスに泊まったりする三十路は、家族と如何なる関係性なんだ?引越し準備とか言って一瞬帰ったりしてるし…」
と、自ら心の中でツッコんでしまいました。
結局、物語の本筋にとってあまり重要な要素ではないため、深掘りはしませんでした(と言い訳しておきます)。

ちなみに、実際の地元は大学近辺ではございません。


* 登場人物の作り込みの薄さ

三十路の心を突き動かすキーパーソンとして、哲人に加えて「ゲストハウスのオーナー」が登場しましたが、こちらは完全なる架空人物です。
この人物は三十路に対し、独立フリーランスに関するヒントを与えることになりますが、今の自分にはこの手の知識が全くないため、物語上の重要度に対してかなり薄い作り込みとなってしまいました。

自身の無知を露呈させても仕方がないと思い、敢えてほとんどセリフを与えませんでした。無念です。


* セリフ、心の声等の書き分け

哲人と三十路の対話パートは、太字コロン()+ 鉤括弧(「」)で書式を統一していたのですが、他の部分…例えば、強調したい単語や三十路の心の声を出す時、カッコの使い方がバラバラになってしまいました。
他にも、対話以外の部分が語り部視点になったり、はたまた三十路視点になったり、高校時代の古文並みに主語が行ったり来たりで…
もしプロの作家だったら、如何に上手く書き分けるのだろうかと思いました。


* 哲学に関する知識不足

ここ最近、哲学に興味が湧き始めており、図書館でごく簡単な解説本を借りて読んでみたりしている段階なのですが、せめてもう少し知識をつけた状態であれば、「お芋けんぴ」に対してより深い哲学的考察を加えられたのだろうな…と、力不足を実感しています。

個人的には、哲学史の中でもとりわけ実存主義に惹かれるものを感じており、第1章後半では、実存主義の潮流で名高いハイデッガー氏のキーワードである「現存在Dasein」という単語を登場させてみました。
ただ、自分がハイデッガーの哲学を理解しているのかと問われればそんな訳はなく、ましてや「現存在Dasein」の定義さえ掴みきれていないレベルで…
実は、公開後に少し記載を修正していました。

【修正前】
鼻毛界でいうところの、現存在Daseinを失った気がしているのかもしれないね。
【修正後】
鼻毛界でいうところの、現存在Daseinでいられなくなった気がしているのかもしれないね。

…修正後の用法が合っているのか、未だ自信がありません。まだまだ勉強の余地がありそうです。
いつかは、「存在と時間」を読めるぐらいに成長したいものです。


▷ 哲人のリアル


さて、この創作の最重要人物とも言える「哲人」ですが、その元ネタとなった友人の人物像について、もう少し詳しく語りたいと思います。
以降は、便宜上の呼称として「おイモ氏」と表記します。


* 本当は「大学の後輩」


おイモ氏について、第1夜冒頭「プロフィール」に記載している情報は、全て現実通りです。

実際に初めて出会ったのは、大学時代に所属していたサークルの新歓でした。誕生日が一緒(1歳違い)という話になり、大盛り上がりした思い出があります。
…当時は、「唐揚げが好きすぎる子」ぐらいのイメージだったのにな…。

結局は、両者ともにそのサークルを(事実上)去ることになり、一時は疎遠になりましたが、おイモ氏のSNSの投稿から溢れかえる狂気哲学がどうも自分のツボにハマりまくったもので、お互いが社会人になって以降、再び個人的に会う仲になりました。

当然ながら、実際のおイモ氏は博士のような口調で話しませんし、何ならこちらがタメ口をきいています。
過去記事にて、一緒にイルミネーションを見に行った時の会話を再現している部分があるので、もしよければ覗いて行ってください。

ちなみに、本記事の投稿前には、1つずつおイモ氏に検閲してもらっていました。
長ったらしい創作物を一々読まされるおイモ氏の立場になってみれば、さぞかしいい迷惑だったことでしょう…笑

ほとんどは修正なしで公開しましたが、唯一、第5夜の婚姻届を彷彿とさせるエンディングについては、若干渋い反応を頂きました。

この結末にした意図としては、読み手が哲人の脳内イメージを構築する際に「結婚間近の若い女性」を思い描くことはまず無いだろうと考え、最後の最後にどんでん返しを喰らわせたいというものでした。

現時点でおイモ氏は未婚ですが、願望はあるようなのでダメとは言われないかな…と思い、上記の意図を伝えたところ、何とか検閲を通過させてもらえました。


* はみ出しエピソード① 鼻の穴


おイモ氏の特異性を語り始めたら、丸一日あっても足りないボリュームになるため、ここでは本編で語りきれなかったネタを2点厳選して紹介します。

唐突ですが、見出しに記載の通り、おイモ氏は鼻の穴に対して人並み以上の価値を見出しているようです。

これは、決してフェティシズムといった異常嗜好の類ではありません。

我々の感覚からすれば、鼻の穴の中身はティッシュにくるんで捨てるほどのゴミ溜めであり、決して「綺麗な」ものではないと思われます。
しかし、世界的にどれだけ美しいとされる人々でも、必ず鼻の穴は備わっています。
そう、鼻の穴があるからこそ、その美しい顔は成り立っており、その鼻の穴の中では、無数の鼻毛があはれなる春夏秋冬を体現しているのです。
…むしろ鼻の穴がなければ、ヴォ○デモート卿のようになってしまうのですから。

おイモ氏的には、名指しで言うとAvril Lavigne氏や広瀬すず氏の鼻の穴が好きだそうです。
他にも、Taylor Swift氏はそもそもアーティストとして大ファン(熱弁したら止まらないレベル)のようで、特に「reputation」というアルバムのジャケ写の鼻の穴が好きだそうです。

いつの日だったか、おイモ氏と二人で喫茶店に行った時に、上記内容を熱弁されたことがありました。
…他の友人の前でも同様に熱弁することがあるようで、大抵の場合、近隣の席の客が黙りこくってしまうそうです。


* はみ出しエピソード② 焼きイモ


第5夜にて、哲人が「古墳を建てたい」と語るエピソードを書くにあたり、日本の埋葬等々に関する法律や現状をネットで調べまくりました。
本編で哲人が語っていた通り、現在の日本では法的な制約古墳を建てるのは至難の業のようですね。
辛うじて方法があるとすれば、国内にごく僅かある土葬可能な墓地に埋葬し、その上に古墳を模した石積みを造り上げるぐらいでしょうか…

おイモ氏にこの記事を検閲してもらった時、「勉強になりました!」と言われると共に、仮に(無念にも)火葬されるケースを想定した際の野望を語ってくれました。

  • 最後のお別れの際、棺の中に花ではなくを入れてもらう。

  • そうすることで、炎に包まれたおイモは概念として世界に飛散し、芋は焼き芋となってモクモクと香ばしい煙を上げる。

  • ここにて、実体「芋」と概念「おイモ」の融合体…「焼きイモ」が完成する。

  • 葬儀においては、上記に限らず、“隠れ○ッキー”ならぬ“隠れおイモ”を散りばめたい。


…半分くらい、送られてきたメッセージをそのまま転載してしまいました。
今の自分には、まだちょっと理解が追いつきませんでした。


▷ 小ネタ集


最後に、わざわざ書くほどでもない内容ですが、本編中に散りばめた小ネタを解説します。

* 第1夜「ヒトを俯瞰せよ」

  • 章題の元ネタ:「トラウマを否定せよ」

  • 「人生詰んだ〜ダレカタスケテ〜」の一心で…
    鉤括弧の後半を久保○リカさんの声で再生してくれた方は、おそらく自分と似たような青春を過ごしたのかなと思います。

  • 地球よりさらに“大いなるもの”
    正直、クトゥルフ神話の知識はほぼゼロなのですが、“大いなるもの”という表現は見たことがある気がして、三十路に「某架空神話を彷彿とさせる…」とコメントさせてみました。

  • (鼻毛が)某グラサンの黄色頭のように、武器として重宝されるケース
    最初は「某某某ー某・某ー某某」と書こうとしたのですが、あまりにあからさまなので、上記表現にとどめました。

  • 強制的な平準化が図られた結果、血に洗われる世界
    鼻毛カッターで負傷するのを「」穴にしたのは、言わずもがな共産主義国家のオマージュです。
    一部のネット民はソ連国歌や国旗をすっかりオモチャにしておりますが、その手の界隈を見たことがない人もいるかも…と思い、一応「デェェェェン」の部分にリンクを貼っておきました。
    共産主義クラスタが喜びそうな動画で、自分が一番好きなものを貼っておきます。(意味不明注意)


* 第2夜「ペースに乗せる関係構築」

  • 章題の元ネタ:「すべての悩みは対人関係」

  • スコッティに関する「メーカー間の自由競争を…」のくだり
    ティッシュ1箱は極端すぎる例ですが、今の自分自身がお役所仕事に辟易している気持ちをここにぶつけてしまいました。

  • うほうほごっこ相手のアカウント名
    おイモ氏の知人で、何ともいけすかない世渡り上手なクソ野郎がいるらしく、せめて創作の中だけでも痛い目に遭わせてあげることにしました。
    おイモ氏曰く「顔面が某セクシー大臣綿棒を足して2で割ったような感じ」とのことなので、アカウント名を「シンジロー」、IDを「cotton swab(綿棒)」にしました。

  • 哲人の最近の夕飯
    適当にGoogle画像検索で芋料理を拾ってこようと思いましたが、一応フリー素材を謳っているサイトの方がいいかな…と思い、ちゃんとフリー画像を取ってきました。
    ちなみに4枚目の飲み物は、第3夜への伏線です。自宅におイモ氏が遊びに来てくれた時に撮りました。

  • うほうほごっこ相手がリンクを貼ってくる場面
    「このままではいけない」「だからこそ」…
    …あのお方の構文を再現してみました。

  • 目標は、哲人28号まで作ること
    元ネタは、昭和30年代の漫画「鉄人28号」です。自分がJR新長田駅前で特大モニュメントを目にしていない限り、このオマージュを思いつくことはなかったでしょう…。


* 第3夜「余計な羞恥を切り捨てる」

  • 章題の元ネタ:「他者の課題を切り捨てる」

  • お目当てのササミチーズカツ
    自分が大学(院)生の頃は、学食に行けば必ずあると言ってよいほど、ササミチーズカツはド定番メニューした。
    ふと、今もあるのかどうか気になりググってみたところ、東大生協のページで「メーカー終売となった」との記載が見つかりました。
    これは、東大のみならず全国区の話なのだろうか…?
    今の学生は、ササチーを食べられない日々を送っているのだろうか…?

  • 薄っぺらいローストンカツ
    学食のローストンカツといえば、貴様は駄菓子なのかとツッコミたくなる薄さを何かしらのソースで誤魔化しているアレだった…
    今も変わっていないのだろうか…?

  • ベンチにツナギ姿の男が座ってるやつ
    勿論、元ネタはみんな大好き、最近アニメOVAが発売された「くそみそテクニック」です。
    ただ、ウホッ!と発するのは阿部氏ではなく道下氏の方ですね。

  • 某せぇるすまん
    会話パートの「先輩」の元ネタとなった職場の先輩が、陰で「笑ゥせぇるすまんに似てる」と言われていました。至って標準体型の方なのですが…目と口が…。

  • 某睡眠計測ゲームで画面中央にのさばっている巨体
    勿論、元ネタはみんな大好き、ポケモンスリープ界の唯一神カビゴンです。
    会話パートの「後輩」の元ネタとなった職場の先輩は、顔立ちしかり体格しかり、実写版カビゴンなのかと思うほどの風貌なのです。

  • 何年か前に流行ったポップス
    自分が三十路になる頃は、打ち込みピアノが入り乱れた某心中ソングも5年前の曲になるのかな、と思うと…
    時の流れは容赦ないものです。


* 第4夜「自分の世界の中心は自分でしかない」

  • 章題の元ネタ:「世界の中心はどこにあるか」

  • 素晴らしいアウフヘーベン「おイモ」
    まだXがTwitterだった頃のある日、いつもの如く“きのこたけのこ戦争”系のツイートが拡散されてきて、おイモ氏がそのツイートを引用して「おイモ」と3文字だけ呟いたことがありました。
    すると、おイモ氏の学生時代の知人と思しきアカウントから、「これがアウフヘーベンか(真顔)」というリプライが付いていたのです。
    個人的に、このリプライがえらくツボってしまったので、本編でもパクらせてもらいました。

  • ニッチな世界観と特殊性癖の饗宴
    ここで「饗宴」という表現を用いたのは、いにしえの哲学者プラトンの著作の表題を匂わせることで、しれっと哲学味を出してみたかっただけです。
    正直、「饗宴」がどのような内容なのかは存じ上げておりません。勉強不足です…。

  • 権力、財産、地位名声に心惑わされ…
    哲人が有り難い言葉を投げかけてくれる部分ですが、ここを書いている時、自分の脳内では何とも世界観にそぐわない「シル・ヴ・プレジデント」が流れていました。
    1番サビの直前です。


* 第5夜「「死してなお」爪痕を遺す」

  • 章題の元ネタ:「「いま、ここ」を真剣に生きる」

  • 358番のカード
    この手の呼び出し番号は大体3桁が多いと思うので、自分が嫌いな3桁の数字を用いることで、長時間待たされる三十路の苛立ちを表現してみました。
    …詳しく言うと、ナンバープレートが358の車が、個人的に気に食わないのです。
    なぜ358が人気ナンバーなのか、一応調べたことがあり、「仏教思想に基づく」といった説もありましたが、圧倒的に有力な説は「縁起の良い数字の寄せ集め」のように見て取れました。
    わざわざ希望ナンバーとして、ろくに思いも込めず好き好んで競合相手の多い数字を選ぶような人間には…まるで、おイモ氏とは真逆の“凡庸さ”を感じてしまうのです。
    この記事を読んで頂いている方に、どうか358の持ち主がいないことを願っています。
    ちなみに、三十路が持っていた「384番」には、特に意味はございません。



以上にて、本テーマの連続投稿は終了となります。

本編で約32,000字、本記事あとがきで約8,000字。
今の自分の実力を出し切った連続長文投稿にお付き合い頂いた、素晴らしき変態の貴方に、心より感謝申し上げます。

改めて、本当にありがとうございました。
また血迷ったら、当noteに遊びに来てください。

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