キモがられる勇気 〜第5夜:「死してなお」爪痕を遺す〜
これは、とある三十路が哲人との対話を通し、人生のヒントを得る…
いや、そんな高尚でも何でもない物語です。
前記事「第4夜 自分の世界の中心は自分でしかない」の続きになります。
本記事は、これまでの4記事に“耐えられた”方に贈る、感謝を込めた完結篇です。
前夜までのあらすじ
●●大学の地を通じて知り合った、哲人と三十路。
住所不定・無職として長らく彷徨い、人生に“詰み”を感じ始めた三十路は、藁にもすがる思いで哲人の住処を訪ねた。
両者の対話の中で、哲人は“鼻毛”をもとに世界を認識することを提唱した。
更に、胡散臭いビジネスアカウントを相手取ったディスコミュニケーションを見せつけたり、寒空のもと夜道を歩く三十路に“ウホッ!”の一撃を与えたり、三十路の思考はことごとく撹乱されるばかりだった。
これらの妄言や奇行の全ては、哲人曰く“自分の世界”の産物であり、その根幹にある哲学を“お芋けんぴ”(または“おイモ”)と名付けているのだと。
一時は理解不能に陥る三十路であったが、哲人は三十路ならではの感性を称賛しつつ、“自分の世界”を充足させる美徳を説くのであった。
そんな三十路は、哲人と議論した日々に絶大な後押しを貰えたのだと確信し、ついに放浪生活にケリをつける決心をする。
以下は、三十路が最低限の引越し準備を済ませ、転出届を提出すべく◆◆区役所に向かった、その直後に続く。
第5夜 「死してなお」爪痕を遺す
『♪358番、の、カードをお持ちの方、3番窓口までお越しください♪』
朝から昼まで荷物の発送作業に奔走し、すっかり疲弊した三十路は、夕方になってようやく区役所に行くことができた。
水曜日の夕方の区役所は、思った以上に混んでいた。
世間でいうところのノー残業デー等々で、ちょうど早退しやすいタイミングなのだろうか。
それとも、数多の暇人たち(三十路含む)の、偶然なる巡り合わせなのだろうか。
三十路は、綺麗に書き終えた転出届を眺めながら、“こんなことなら先にカードを取っておけばよかった”と悔いた。
周囲の長椅子を眺め、0.8人分程度の隙間しか作ってくれない無慈悲な区民たちに肩を落とし、辛うじて腰掛けられる場所を探し歩いていたところ、何やら見覚えのある人影が視界に入った。
…いや、ここ数日であまりにも見過ぎた顔が、そこにはあった。
三十路:
「せ、先生!!?」
哲人:
「ああ!三十路君ではないか!!
驚いたよ。涙と感動の別れの翌日に、またもや会ってしまうとはね。」
三十路:
「本当、仰る通りですよ…。
私は今日、昼間はずっと引越し作業をしていて、やっとひと段落したので転出届を出しに来ました。
これまで住所不定生活を続けてきたものの、住民票だけはここに置きっぱなしだったんです。
先生は、今日はお仕事はお休みなのですか?」
哲人:
「いいや、今日は会社を昼過ぎに早退してきたのだよ。
少し用があって、ここで身内と待ち合わせをしているものでね。」
三十路は、少しばかり哲人の「用」が気になったが、深く問わないことにした。
哲人の掛ける長椅子には、いつしか無言の同調圧力が発生したようで、哲人の隣にあった約0.6人分のスペースは、約1.1人分に拡がっていた。
幸いにも、三十路は腰掛ける場所を確保することができた。
三十路:
「市役所って、転居とか印鑑とかの手続きの人も来ますけど、出生と死亡もここで扱われるのだと思うと…
まるで、生と死が交錯する場所のように思えてきます。」
哲人:
「はははっ。稀に見ない捉え方だね。
医師のように“ナマモノ”を扱うわけではないのだから、ここでは書面上の文字情報が機械的に捌かれているに過ぎないさ。
生には出生届と手当諸々の申請書、死には死亡届と火葬許可申請書と保険諸々の資格喪失届、というようにね。」
三十路:
「生まれるのも死ぬのも、中々に面倒なものですね。
というか、火葬にお役所の許可なんて必要なんですね。この類の手続き、詳しくなくて全然知りませんでした。」
哲人:
「…私は、燃やされることが堪らなく怖い。」
三十路:
「え、先生!?突然どうされたのですか…?
まさか…重い病気にかかっている、なんて、言わないですよね…!?」
哲人:
「安心したまえ。今の私は至って健康だよ。
ただし、私だって三十路君だって、いつの日か必ず死は訪れる。
死体ともなってしまえば、そのまま腐らせるわけにはいかないから、弔意を添えて荼毘に付されるのが我が国の常だ。
その運命が、いつか我が身にも降りかかると思うとね…。」
三十路:
「確かに…その恐怖は、私にも無いわけではありません。
死ぬことそのもの以上に、狭い木箱に閉じ込められ、炎に包まれることの方が…
想像してみれば、よっぽど怖いです。」
哲人:
「私は、古墳を建てたいのだよ。」
三十路:
「え、えーっと…??
あのー…。お気持ちは察しますが…。
そもそも、土葬って法的に大丈夫なんでしょうか?」
哲人:
「実は、法的に禁止されているわけではないのだよ。
ただし『墓地、埋葬等に関する法律』によると、遺体なり遺骨なりを葬る際は、公的に許可を受けた墓地にしか埋められない。
その上、日本の火葬率は99%を超えるものだから、土葬を受け入れている墓地はごく一部の都道府県にしか存在しないようだね。」
三十路:
「ちょっと待ってください、詳し過ぎじゃないですか!?
いくら何でも、そこまで逝き急がないでくださいよ…!」
哲人:
「ははっ。焦らんでよいよい。ちょっとした雑学をひけらかしたに過ぎないさ。
まあ実際、現行の法律のもとで古墳を建てることは難しいね。
これはあくまで、“自分の世界”の中での、幸せな妄想の一産物だよ。」
三十路:
「はっ…。そういや昨日は、存分に“自分の世界”を語り交わしましたね。」
哲人:
「他にも、死にまつわる野望として、古墳よりかは実現しやすそうなものもある。
…私は、若かりし日の重加工写真を、遺影に使いたいのだよ。」
三十路:
「…先生がよく分からないことを仰るのには、すっかり慣れましたけど。
やっぱり、訳が分からないです。」
哲人:
「若いうちに、とびきり写りの良い写真を撮っておき、心ゆくまでバッチバチに加工しておく。
そして、私が何歳で死ぬことになろうと、葬式の場で初めて、これを人目に晒すのだよ。」
三十路:
「…参列者は、さぞかし困惑することでしょうね。」
哲人:
「そう!まさしく、それが狙いさ。
趣旨としては、サイクリングゴリラに近いものがあるね。
葬儀に参列した私の子孫や関係者は、あからさまに違和感を放つ遺影を目にして、哀しみを通り越した何とも言えぬ記憶を、脳裏に刻まれることになるんだ。」
三十路:
「先生の爪痕は、死してなお、後世に遺されゆく…」
哲人:
「さすが三十路君、私好みの表現を使ってくれるね。
私は、己が人生をもってして、世に爪痕を刻むことに歓びを見出していきたいと思っている。
それは、必ずしも“歴史に名を残したい”という意味ではない。
私という存在は、死へ向かう1秒1秒の尊き時間と、自分の世界をもって、いつまでも爪痕のカタチを探し続けるのだよ…!!」
三十路:
「死へ向かうなんて言われると、いくばくかドキッとしてしまいますが…
先生の言葉は、まるで人生を周回したかのように達観していて…胸に沁みるというか、常人には辿り着けない領域のようなものを感じます。
ははっ…まさか、私の方が先生より1年長く生きているなんて、とても信じられませんよ!!
それはそうと、話を戻してしまうのですが…
先生の子孫、ですか…。
先生もいつかは、目標の“哲人28号”に至る源流を生む…
いや、産む時が…」
『♪384番、の、カードをお持ちの方、3番窓口までお越しください♪』
待ちに待って、ようやく三十路の番号が呼ばれた。
せっかく話が白熱したところ惜しく思う気持ちを抑え、三十路は哲人に軽く会釈をし、窓口へ走った。
三十路は疲れ切った職員に応対されながら、十数年後にAIに奪われそうな仕事の有り様をぼうっと見つめていた。
数分後、無事に転出届は受理された。
用が済んだ三十路は、哲人に再度別れを告げようと、元の椅子に戻ろうとした…
その時だった。
三十路と歳の近そうな見知らぬ男性が哲人に近づき、何か話しかけていた。
哲人は立ち上がり、鞄から何かを取り出そうとした。
「ああ、これが哲人の言う“用”だったのか…」
何となく納得していた、その直後。
哲人の鞄から出てきたものは、遠目に見ても、パステルカラーに彩られたA3大の書面であると視認できた。
「ま、まさか…!!」
三十路は心臓をバクンと跳ねさせ、ここ数日の記憶を辿った。
…独居にしては、広すぎる一軒家。
…「いつまでも居候させるわけにはいかない」と言われたこと。
…ニッチな哲学に傾倒していながら、職業は安全牌 - 会社員であること。
…区役所の記入台のカレンダーで日付を確認したら、今日は大安だったこと。
全てに合点のいった三十路は、改めて哲人の方に目をやった。
議論に夢中になるあまり、左手から放たれる貴金属の煌めきに気が付かなかった。
「今は、哲人たちに話しかけるべきではない…」
そう判断し、三十路は「後日、感謝と祝福の手紙を書こう」と心に決め、区役所を後にした。
すっかり陽の落ちた大安吉日、外気は連日お馴染みの凍てつく寒さに包まれていた。
三十路は、今夜の新幹線で転居先の街へと向かう。
哲人は、今頃記念撮影でもしている頃だろうか。
5日ばかりを共に過ごした二人は、前を向き、それぞれの選んだ道へと歩み進む。
おそらく当面、この二人が再会することはないのだろう。
この物語に、エピローグは無い。
もしかすると、三十路は職を見つけられないまま家賃を滞納しているかもしれないし、哲人は“おイモ”の定義をめぐって、かの男性と大喧嘩しているかもしれない。
そんな酸っぱい未来を描くぐらいなら、ここで締めておくのが美しいと思えた。
両者の未来に、どうか幸ありますように。
三十路に自らを委ねた語り部として、切に願った。
ー完ー
さて…あとがきは、書きたいことが多すぎるため、別記事として公開しようと考えております。
ひとまず、ここまで哲人と三十路を見届けていただいた貴方に、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。