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されど、ホワイト企業 / 中編 「対峙」

これは、仕事のストレスにより体調を崩し、休職を願い出てから復帰するまでの約1ヶ月間のエピソードです。
先日投稿した前編の続きになります。

今回は日記テイストにするつもりでしたが、勢いで書いているとどうも色々突っ込んでしまい、今回は9000字超…非常に長ったらしくなったので目次をつけています。
11月6日の出来事だけで3000字以上食い、以降は極めてどうでもいい話を挟みつつ、だんだんマシになっていく感じになっております。

適宜すっ飛ばしながら、お付き合い頂けますと幸いです。


▷ 休職願い

11月6日月曜日、朝。

何とも都合の良いことに、この日はもともと16時から上司との人事面談が実施される予定だった。
この面談のタイミングで、思いの丈を伝えようと考えていた。

伝えたいことを漏らさないように、カンペも作っていた。
我ながら、もう少し整えればnoteの記事にしてよさそうな出来だ。

実際に書きしたためたカンペ

…そういえばこのカンペ、研究室時代のクリスマスプレゼント交換で回ってきた、1000円相当の高級ノートを千切って書いたんだよな。
…このノートを回してくれたのは、2つ年下の文具マニアな後輩で、なんと自分と同じ会社に入社してきたんだった。
…まさか君がくれたノートを使って、退職を企てているとはなぁ。


皮肉めいた回想に耽りつつ、面談を目前にしたこの心は、仮にも平穏とは言えなかった。
面談が16時からということは…つまり、朝に出社してから夕方まで、普通に働かなければならない。

そう思うだけで、軽い頭痛や腹痛や動悸が闇雲に入り乱れて、この身を襲った。
朝食が喉を通るはずもなく、ただただ真っ直ぐ伸びてベッドに臥すことしかできなかった。

…ダメだ、会社には行けない。
始業時刻20分前、部署の直通番号に電話をかけた。派遣さんが取った。

「おはようございます。○○です。
課長いらっしゃったら、代わって頂けますでしょうか…」
「あぁ…うん、代わるね!こ、声、大丈夫…?

喉が潰れていたわけではないはずだが…ただならぬ雰囲気でも放っていたのだろうか。
その後、上司に代わってもらい、「腹痛と動悸が収まらないので午前はお休みを頂きたい」と伝えた。


天井を仰ぎ、時間だけが過ぎていく中、収まることのない胸騒ぎを無理やり自慰行為で鎮めていた。
本来なら会社のパソコンの画面を見ているはずの時間に、美しい女性のあられもない姿を真顔で眺めている自分が、酷く滑稽に思えた。


気を取り直して、死んだ顔面をマスクで隠し、13時前には何とか出社した。
しかし、自席に着くや否や、恐怖感に耐えられなくなった。

「ここにいれば、周りの人から話しかけられるのではないか?
電話がかかってくるのではないか?」


奮い立たせた気力は5分として持たず、パソコンを持って保健室へと逃亡した。
この部屋にお世話になるのは、もう何度目だろうか。看護師さんもすっかり顔馴染みで、何かを察している様子だった。

体調不良が出始めたので休職を願い出ようとしていること。心療内科の受診を考えていること。面談の時間まで自席での通常業務に耐えられそうにないこと。
一通り伝えた。

あらかじめ頭の中を整理していたのが良かったのか、無様に涙を流すことはなかった。
部下の不在を察知した上司から、「出社していますか?」とチャットが届いていた。
保健室の電話を借りて、上司に電話をかけた。

「ごめんなさい…
ご都合がつけばでよいのですが、面談の時間を前倒しして頂いてもよろしいでしょうか?」


面談は、執務室から遠く離れた会議室で、予定よりも2時間前倒しで対応してもらうことになった。
例のカンペを手元に見ながら、おおよそ看護師さんに話したことと同様の内容を伝えた。

ただし、「退職させてください」の部分は伏せた。
通説として、「心身が衰弱しているときに大きな決断を行うべきではない」とされている。
今の状況で退職を願い出たところで、精神が混乱して前が見えなくなっているとしか捉えられないだろう。

そして何より、上司の気遣いが、良心を咎めた。

「本当にダメになってしまう前に、こうして相談してきてくれて良かった。ありがとう。
今しばらくはゆっくり休んで、心身の回復に専念してほしい。」


もしかしたらこの優しさは、ここ最近(特に自身が属する職種で)退職者が続出している状況を受け、上司としても焦りが出ていた結果なのかもしれない。
それでも良かった。今は、そのお言葉に甘えさせてもらうことにした。


「1つ、タイミングさえあれば、他の皆さんにお伝え頂きたいことがあります。
皆さんのせいではない、ということです。
穴を空けてご迷惑をおかけすること、心苦しく思います。」


結局自席には戻らず早退し、保健室から紹介してもらった心療内科に即日向かうことにした。
そこは、新規なら飛び込みで診てもらえるのだと。
心療内科なんて苛烈な予約争奪戦のイメージしかなかったのに、こんなこともあるのかと思った。


▷ はじめての心療内科

月曜日の15時頃。案内されたクリニックには、誰も待ち客がいなかった。
渡された紙に必要事項を書き込み、すぐさま診察室に呼ばれた。

序盤の印象では、特に感じの悪い医師ではなかった。その辺にいそうなおっちゃんの雰囲気だった。
例のカンペも使いながら状況を説明した。コピーを取られた。
職場での面談を済ませたこともあってか、情緒はだいぶ安定しており、余裕のある話し方をしていたのだと思う。
「一旦今は実家に帰って療養し、復帰したのち、最終的には退職したい」との旨を伝えた。


すると医師は、「あなたの会社の人は今まで何人も診てきました」と前置きした上で、述べた。

「あまり長く休まないほうがいいと思う。実家にも帰らないほうがいい
そもそも”去年の業務のトラウマが原因で…”と言ってるけど、心の病気というものは”AだからB”みたいに、明確な因果関係があって生じるものではない。
それと、会社の組織体制のあり方にあなたは不満を感じているというけど、この会社でやってく以上は避けようのないこと。心療内科を使えば上手くいく、という話でもないんです。
それが嫌だというなら、辞めるしかないです。」


自分の耳には、これが救いの言葉には聞こえなかった。
おおよそ、発言の半分以上を取りこぼしていたことだろう。
その時の自分の頭には、ただ“有休を使って数日だけ休んで、また出社しろ”という意味で飲み込まれた。

「そんな…来週や再来週にまたあの場所で働けなんて言われたら…吐きそうです…」

今日ばかりは涙を流さずに済むと思ったのに、この期に及んで、止め処なく涙が溢れ始めた。


医師の顔はみるみるうちに、手に負えないものを見る目つきに変わっていった。

「あの環境で働いてると…生きるのも嫌になってきて…事故に遭いたいとか思うんですよ…」


それ以降、自分が何を口走っていたのかは、よく覚えていない。
「あなたの言っている意味が分かりません。」という言葉を5回ぐらい食らったことは、はっきりと覚えている。

きっと、丸一日食べ物を摂取していない脳から発される言葉は、自分で思う以上に支離滅裂だったのだろう。
とはいえ、心がイカれてしまった人間を相手に「意味が分かりません」は、さすがに酷過ぎやしないだろうか?
それでも「心」「療」内科を名乗るのか?
そもそもこの医師は、例のカンペをコピーまで取っていたけど、ちゃんと読んだのか?
最終的には、「診断書を書いて欲しくて来たんですか?」と言い捨てられるさま。


「休養期間は欲しいと思ってます。
あと…ティッシュ頂いていいですか。」

医師は無言でティッシュの箱を手渡し、「分かりました、診断書書いときますよ。あと、軽い精神安定剤も出しときますんで。」と呟いた。

泣き止む時間も与えられないまま、鼻水まみれのティッシュをポケットに突っ込み、患者が4人ぐらい増えていた待合室に戻った。
5000円強の金を払って泣かされに来たのかと思うと、ただただ虚しかった。
適当な路傍に突っ立って職場の看護師さんに電話をかけ、涙混じりに愚痴をぶつけた。


そんなこんなで、人生初めての心療内科は最悪の記憶となったが、この診断書をもって11月末まで休職することが決まり、会社にも連絡を入れた。
経過観察にあたって2週間後に再診が必要になるので、それまでの間、実家に帰ることにした。


▷ 帰省 ーおかあさんといっしょー

実家では、母親、猫2匹、アホ犬1匹と過ごす時間がほとんどだった。

アホ犬のそそっかしさに辟易しながらも、猫たちをモフモフして癒されたり、学生の頃から好きだったサークルのノベルアプリを読み直したり、母親から「教育」と称してBE:FIRSTの歌唱映像をたくさん見せられたり、穏やかな時間を過ごした。

余力のある時は、母親の料理を手伝ったりもした。
母親としては、包丁を久々に握って絹豆腐の切り方すら分からないと漏らす28歳児に、もしかしたら手を焼いただけかもしれない。

そうこうしているうちに、少し前まであんなに沈んでいたのが嘘かのように、頭痛や動悸といった体調不良は消えていった。

ただし、以前と比べて格段に体力と食欲が低下しており、酒はあまり飲めなくなっていた。
缶ビール(350ml)を試してみたこともあったが、飲み切るのに30分以上かかった。

晩酌を囲めない父親は、心なしか寂しそうだった。
そもそも、ロフラゼプ酸エチル(軽い精神安定剤)服用中は、飲酒を避けなさいと書かれているんだが…。

まあ、かつての体力なら、これから時間をかけて取り戻していけばいい。

ここからしばらくは、ただの外出してみた日記を綴ろうと思う。
(話の本筋には関係しないため、次章「帰宅」までどうぞすっ飛ばしてください。)


* 11月11日(土) BE:FIRST

学生時代のとある友人が、ここ半年ぐらいでBE:FIRSTにどハマりしたようだ。
今やBE:FIRSTも紅白出場歌手、ライブのチケットは高額にもかかわらず苛烈な争奪戦となる。
友人は幸運にもS席チケットを2名分当てたようで、従前から母親による洗礼をたんまりと受けていた自分が一緒に行くことになった。

遠征先は、福井県鯖江市。
元々は四国から高速バスと特急を乗り継いで行く予定だったが、関西の実家に帰っていたため予定を変更し、ほぼ鈍行でトコトコ向かった。


…間違いない、彼らのパフォーマンスは圧巻そのものだった。
全身の筋肉たる筋肉を駆使したダンスに、音源と遜色ない正確性を保った生歌。良い意味で、人間味がないともいえる。
隣席の友人は、時折感嘆の声を上げながら、すすり泣いていた。


演目の中で、とりわけ知名度の高い曲以外で、1つ個人的に強く印象に残った曲がある。

こちらの楽曲「Spin!」は、1年少し前に発売されたアルバム「BE:1」に収録されており、計7名のメンバーのうちSOTA・SHUNTO・RYOKIの3名が歌唱している。

検索しても参考画像が出てこず残念だが、ステージの背後で流れる映像では、曲調に合わせてスピードメーターが上下するような演出がある。
何とも、当楽曲は車(レーシングゲーム?)がテーマになっているようで、それに合わせたものだろう。
この曲を生歌で聴くと、音源とは比べものにならないほど、3名はがなり散らす。

正直、初めてこの曲を音源で聴かされた時は、特に魅力を感じなかった。
そもそも自分は、音ゲー界隈に近しい女性ボーカル同人音楽ばかり好き好むタチで、この手のHIPHOPは完全なる守備範囲外だった。

だからこそ、だろうか。
ドスの利きまくったラップを大音響の中で耳にしていると、今までバカ真面目に生きてきた自分の心の奥底で反骨精神がふつふつと沸き上がるような、えも言われぬ快感があった。
加えて、曲の盛り上がりに合わせて急上昇するスピードメーターの演出を見ていると、『低速ギアからアクセルを思い切りぶん回し、うるさく回転数を上げて猛加速…!直線やらコーナーやら入り乱れた道を爆走!!』みたいな…
そんなイメージが湧いた。


…心地よい妄想に浸るのは自由だ。
もっとも、自分は免許上、普通自動車ではAT車しか運転できないのだから、上記の妄想はバイクで構成されている。
もし、歌詞通りに「片っ端から巻き込むSpin」してしまえば、アクセルターンなんぞできるほど器用でない自分は、すぐさま振り飛ばされてあの世行きだろう。

実世界では安全第一だなぁと思いつつ、自分のプレイリストには「Spin!」が追加されたのだった。


* 11月14日(火) すみっコぐらし

すみっコぐらし。

それは幼子にとっての可愛いマスコットであり、同時に、社会に疲れた大の大人たちの心のオアシスでもある。
実際に自分の周囲にも、すみっコに魅了されつくした友人(同い年)が複数名いる。

さて、すみっコぐらしといえば、今年11月に新作「映画すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ」が公開された。
実家に帰っている身だから、平日昼間でも自由に行動を取れてしまう。
後ろめたさを感じつつも、心のオアシスを求めて近場のイオンに向かった。

※以下、若干のネタバレを含むのでご注意ください。


序盤、工場のような謎の建物を見つけたすみっコたちは、訝しく思いながらも中へ入り、誤って何かの装置を作動させてしまう。
すると、どこからともなく現れた建物の主「くま工場長」は、長らく停止したままになっていた装置を再稼働させてくれたことに感謝を述べ、一緒にぬいぐるみを作ってみようと持ちかける。
すみっコたちはくま工場長のオペレーションのもと、協力して可愛いぬいぐるみを完成させてみせた。

そして、ここからが面白い。

くま工場長は、すみっコたちに馬車馬としてのポテンシャルを見出したのか、マイクロバスというすみっコの世界に釣り合わない文明の利器を引き連れて、すみっコたちの住処を訪ねて来たのだ。
どうやって住処を割り当てたのか。
そんなことはさておき、「うちで一緒に働かないか」と。

すみっコたちは考える間も与えられず、バスに乗り込み、再びかの工場へとドナドナされていく
なお、ドナドナ先では制服貸与・美味しい賄い付き・寝泊まり場所の保障とあり、待遇は素晴らしく良いと言えるだろう。
なのに、自分の脳内では、何故か“ARBEIT MACHT FREI”の文字が、柔らかなパステルカラーで彩られていた。

不穏な前触れは、概ね想像に近い展開を見せた。
“本日のMVP”なんて掲げて競争を煽りながら、すみっコたちに課せられるノルマは日々重くなる。
生産数の増減に一喜一憂しながら、事務机に向かい頭を抱えるくま工場長。

…これは、現実世界に対する痛烈な風刺なのだろうか。
…このまま、みんなおかしくなっていってしまうのだろうか。


しかし、すみっコぐらしは可愛いマスコットであり、心のオアシスである。

この後の詳細な展開は伏せるが、すみっコたちが力を合わせて、無事皆が救われるハートフルな結末を迎えてくれた。

心を癒してくれてありがとう、すみっコぐらし。
自分も、もしすみっコぐらしの世界に飛んでいけるのなら、まめマスターに転生してすみっコたちに美味い珈琲を淹れてあげよう。
そして、喫茶すみっコのバイトの「おばけ」とは、冥界について語り交わしてみたいものだ。


* 11月17日(金)〜20日(月) 睡眠紀行

弟の学生生活が残り半年を切り、下宿を引き払うまであと少しということで、母親と共に弟宅を訪れることにした。
元々は金曜と月曜に仕事を休んで四国から遥々向かう考えだったが、自明の理由により、関西空港発のLCCを滑り込みで予約して行くことになった。

久々の北海道。美味いものをたくさん食べて、広大な大地を堪能せねば。

…なんて、できれば良かったけれど。
残念ながら自分の体力はそこまで戻っていなかった。

確かに、美味いものは食べた。
ジンギスカンにスープカレー、激ウマ回転寿司に某有名えびそば。
ベタと言えばベタだけど、どれも最高に美味かった。

しかし、一つ美味いものを食べに行くと、疲れがどっと襲ってきて、静かな場所で休んでいたい以外の感情が湧かなかった。
特に酒を飲んだ時は、うたた寝の度を超えて眠りこけてしまった

辛うじて目が覚めていた時は、自分もよく分かっていないなりに、弟と一緒に紙を広げて新NISA制度の勉強会をするなどしていた。

…こやつも、もう少しすれば立派な社会人になるのかな。
かたや彷徨える無職(未来形)、かたや激務の高収入。

いやいや、コンプレックスなんて気にし始めたら、キリがないだろう。


滞在中は、ほとんどの時間を弟宅またはホテルで寝て過ごしていたと思う。
まるでカビゴンのような日々だった。せめてこれで、可愛いポケモンが一緒に眠りに来てくれたらよかったのに。
新千歳空港との行き来を除き、札幌市街地から外に出ることはなかった。

これほど後悔に満ち満ちた北海道旅が、他にあるだろうか。

『次に北海道に行く時は、仕事を辞めて旅人になって、新日本海フェリーにバイクを乗せて、各地をしらみつぶしに回ってやる…!』

悔しいと思えば思うほど、心の中で燃えさかる夢は大きくなっていった。


▷ 帰宅 ーひとりでできるもんー

2週間という日々は長いようで短いもので、再診予約を入れていた22日はすぐさま訪れ、実家から四国に戻った。
先々週のことを思い出すと再診は憂鬱に他ならなかったが、意外にもすんなり終わった。

「実家に帰ったんですよね。たいぶ、顔色がよくなりましたよ。
あの時は、目線が定まってなかったなって思って。私も、堅苦しく言い過ぎたなって反省しました。

12月から復帰で大丈夫でしょう。一応、薬はまた2週間分出しときますね。」


医師は終始笑顔だった。先々週と同一人物だとは思えなくて、こちらが面食らった。
本当の情緒不安定は、貴方の方じゃないんですか…?』
なんてジョークは、胸の内に留めておこう。


同日の夜、上司と待ち合わせをして、面談兼ディナーということで近場の洋食屋へ行った。

心療内科での話、実家に帰っている間の話に始まり、思った以上に話が弾んだ。
上司は、すっかり一般女性レベルの胃袋と化した自分を見て「この量で大丈夫?足りる?」と心配してきたが、そんなどうでもいいことで心配できるくらいには、穏やかな時間だった。

会話の中で、上司が「次に異動する時は…」というセリフを放った時は、心の中で「そんな日は訪れませんよ」と思ったが、今は何も言えなかった。

上司の本心が「健康でいてほしい」という善意なのか、「辞めさせてたまるか」という策略なのか、鈍感な自分には読み取れなかったが、今日という日は上司に負担をかけず、穏やかに終わらせたいと思った。


「今日は色々お話しできる時間を作って頂いてありがとうございました。美味しいご飯もご馳走様でした。
また12月1日から…最初は在宅勤務からですが、よろしくお願いします。」


本当に出社するまでの日を実家で過ごすかどうかはずっと迷っていたが、結局一人で過ごすことにした。
社会復帰を果たすにあたり、実家の猫をモフっているだけで親が家事を仕上げてくれる生活は、身のためにならないと判断した。
まずは洗濯機ぐらい、自分で回さねば。

休んでいられるのもあと1週間少しとなり、体力的に無理のない範囲でせめて有意義に過ごそうと努めた。
一人カラオケに行ったり、岩盤浴に行ったり、図書館に行ったり、猫カフェに行ったり、自転車で近場の気になる店に行ってみたり。

ずっと外に出ていると疲れるから、家でゆっくりする時間も多めに取って、珍しく昼寝してみたり、たくさん文章を書いたりした。
前々投稿の後半も、前投稿も、本投稿の9割方もここで仕上げた。


11月最後の日には、とある神社を参拝した。
今や「天空の鳥居」として香川県屈指の観光スポットと化した、高屋神社である。

土日祝は自家用車で来れない

美しい街の風景を望み、神前で手を合わせ、頭の中では「健康」の二文字を思い浮かべた。


大丈夫…きっと大丈夫。
終わりがあると思えば、まだもうちょっと頑張れるはず。


▷ 復帰 ー在宅勤務リハビリ

前日の夕方に社用PCを受け取り、当日の朝は普通に出社していた頃と同じ時刻に目覚ましをセットした。
薬の副作用…なんて言い訳ができたら楽だが、あまりに眠くて中々起きられず、ベッドで30分以上這いつくばっていた。
こんなnoteなんか書かずに、もう少し早く寝ていればと反省した。

始業時刻になり、久々に社用PCを立ち上げると、当然ながらえげつない数の受信メール。
まずは1ヶ月近くの情勢把握をするところから始めようと思った。

…これだけのはずだったが、1日では済ませられなかった。
特に、自分が深く関わっていた(関わるべきだった)案件は、怖くてメールを開封できなかった。
ただただ送信者と件名を流し読みして、周囲の人たちが穴埋めをしてくれていたことを痛感した。
嫌いな先輩でさえも、憎めない立場になってしまった。


途中から気疲れが募り、社内掲示板を探り、全く知らない人の訃報一覧をあれこれと見ていた。
中には、自分の親より若い親族を亡くしている人もいた。

この人たちは、まだ「老人」にも至らない親族を亡くして、どんな思いで生きていることだろう。
もし自分がその立場だったら、いよいよ気がおかしくなってしまいそうだ。

…でも、こうして残された人たちだって、何とか足掻きながら生きている。
自分も、仕事が辛いぐらいで人生に絶望するんじゃなくて、長期的な視点をもって、生きる道をしぶとく模索していかねば。


見ず知らずの人々の訃報から教訓を見出すなどしていたところで、ふと我に返り、再びメールを読む作業へ戻るとたちまち終業時刻を迎えた。
ずっと家にいてほぼメールを見ていただけなのに、どっと疲れが襲った。

続きはまた来週の月曜から…と思いながら、暫し居眠りを貪った。
予定では、ちょうど1週間後に本復帰。
「まだ時間はある」と自らを宥め、空腹を満たしに行くべく、この日初めて外の空気を吸った。


▶︎ おわりに

当初、こちらの中編は「日記テイストの軽い感じで、読むのに5分もかからないもの」をイメージしていたのですが、上司に事情を切り出す当日の心情表現に凝り始めたら止まらなくなり、またこんなものになってしまいました。
しかも、BE:FIRSTの楽曲紹介やすみっコぐらしの映画紹介をしつつ自分の妄想が挟まるなど、内容があちこち行ってて、仕事の資料とかだったら速攻で切られるやつですね。

だからこそ、noteで書きたいものを書いている時間は、自分としては結構好きです。
こんな趣味の文章を最後まで読んでくれる人がもしいらっしゃったら、前編に引き続き感謝感激の極みです。もしかしてじゃなくてマジでファンですか?

さて、いつか書くはずの後編では、本復帰から退職までの葛藤など、諸々の感情をぶち込んでみようと思っております。

そもそもビビリの自分が「辞めます」なんて言い出せるのか?
言えたとして、上司一同はどれほど引き留めてくるのか?
今の自分には、何とも言えません。


それではまたいつか、「そろそろコイツ辞めたんじゃね?」と思った頃に、覗きに来てください。お待ちしております。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

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