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幸せにおまけはない

ウィル・スミス主演だから、いつものしあわせ感動ものでしょと思ったあなたに伝えたい。

わたしもそう思ってました。

結論をいうと違います。
なので観てほしいです。

まずもって邦題「素晴らしき哉、人生」とホリデーシーズン商戦みたいなポスターをいったん”とのげ”ましょう。
(※とのげる=岩手の方言。脇にどかす の意)

「COLLATERAL」 は「側面の、副次的な、不幸な巻き添え」を意味します。
「COLLATERAL BEAUTY」を、直訳すると「副次的な美」「副産物としての生まれた美しさ」みたいな感じ。

何の側面であり、副産物なのか?という映画です。

「COLLATERAL」をよりイメージしたいあなたに、映画を2例ご紹介します。
ひとつめは「COLLATERAL」。邦題はありません。
トム・クルーズ演じる殺し屋を乗せたタクシーの運転手が、不幸な巻き添えを食って悪夢の一夜を過ごす話です。

次は「Collateral Damage」。
これも邦題はありません。
主演のアーノルド・シュワルツェネッガーが、待ち合わせの時間遅れたら、停車中のバイクが爆発し妻子は死亡。助けるようと車道に飛び出したところ、車にはねられてしまいます。不運な事故に巻き込まれ、危険が連鎖していきます。

ドミノ倒しをイメージしていただくといいかも。

実際「COLLATERAL BEAUTY」でもドミノがシンボルで使われています。

さて「COLLATERAL BEAUTY」のあらすじです。

起業して成功を収めたはハワード(ウィル・スミス)は「すべての人をつなぐのは”愛、時間、死”だ。」と公言し、ドミノを並べるのが趣味でした。

しかし愛娘を失い、人生のドミノが次々倒れていきます。

これはいかん!と一計を案じた同僚たちは、ハワードの再起を願い、舞台俳優3人にそれぞれ「愛・時間・死」の役を演じてもらいます。

続きは映画を観てもらうとして。

劇中では「COLLATERAL BEAUTY」が「幸せのかけら」と訳されていました。

ハワードの妻マデリン(ナオミ・ハリス)の回想シーン。
病院で愛娘が生死の境をさまよい、まさに絶望の縁に立っているマデリンに、見知らぬご婦人はこう言います。

Just make sure you notice COLLATERAL BEAUTY.
見逃さないで。幸せのおまけがあるから。

この状況下においてそんなこといわれても。
ネットに動画があがったら間違いなく炎上案件です。

わたしなりに意訳すると

どんなに悲惨な状況にあっても、そこに必ず美しさがあるよ。
それに(いつか)気づいてねってことでしょうか。


東洋の陰陽思想に近いと思いました。

陰陽マークを思い浮かべてください。
陰や陽を含み、陽は陰を含みます。

これを

辛い出来事にも、必ず幸せのおまけがあるから、見逃さないで。

みたいに理解しちゃうと

幸せが当たり前でそれ以外はダメ、みたいな
無意識へのすりこみがおきちゃいそう。

みんな幸せをめざそう、みたいな。
これって結構なプレッシャーですよ。

で、さっきの陰陽マークに戻ります。
陰も陽も単なる自然現象なので
そこに善悪も優劣もありません。

だた起きてるだけ。
バランスの問題。

なので幸せのおまけが不幸なんじゃなくて

あらゆる自然現象は、常に変化して
美を内包している。

その時は意味がわからなくても
たゆまない変化の過程で
見つけることができる。


こんな風に考えられたら
結果として幸せになっていそう。

幸せはめざすものじゃなくて
気づいたらそうなってた
「副次的」なもの。

幸せこそがCOLLATERAL。

だからCOLLATERAL BEAUTYなんじゃないのかな。



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