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【挫折】大学受験review【旧帝】

今から1年ちょっと前、一人暮らしとモラトリアム期間を獲得するために大学を受験しました。大学受験は自分の今までの短い人生の中で最も大きなイベントの一つだったと思うので、備忘録としての役割も兼ねて、ここで少し振り返ってみようと思います。では、高校入学時まで遡ってみましょう。

中学の頃は勉強がそれほど得意ではなかったため、志望校と自分の実力が合わず、第二志望の高校に進学することになりました。その高校は県内で4番手の公立高校。自分が妥協できるラインだったのでまあいいか、という気持ちで高校生活がスタートしました。
しかしながら、入学早々、新型コロナウイルスの影響により長期間の休校が決まってしまいます。学校に行けなくて寂しいという思いをした覚えはあまりなく、不謹慎ながらも春休みが延長したというような感覚でした。
外出などあらゆる行動が制限されるこの状況下で、私は受験勉強からの解放を存分に味わい、気ままに過ごしてました。朝は七時に起きて静かな近所の公園を散歩し、帰ってきて朝食を食べ、ピアノを弾き、本を読み、YouTubeを観る毎日。まとまった時間を利用して断食にも挑戦しました。(この断食がきっかけで不健康なダイエットに走ってしまったのはまた別のお話)勉強なんて全くと言っていいほどしていません。でも、それでいいのです。息抜きは必要ですから。
長い休校期間が明けて、いよいよ学校が再開しました。幸いにも高校は親切な人が多く、平和でした。そして高校生活にも慣れ始めた頃、文理選択の希望調査が始まります。文系か理系なら文系かなあ、という直感を信じて文系を選択することにしました。また、この時期から漠然と大阪大学の人間科学部を志望し始めます。私は定期考査や模試で点をとることが楽しくなり、秋、冬と季節を経るにつれて勉強にはのめり込んでいきました。

高校2年、そろそろ受験について真剣に考え始める時期です。2年からは京都大学の総合人間学部を第一志望に変えました。なんだか自分も頑張ったら行けそうな気がしたのです。高校2年の頃からは数学が楽しくなり、青チャートを3周していました。青チャートを3周すると、基本的な解法がなんとなく記憶できます。あとは頭の中にある解法を組み合わせて応用するだけです。また、中学の頃から好きだった英語も調子が良かったように思います。好きな英語の勉強法はリーディングとオーバーラッピングでした。

高校3年、いよいよ受験生です。2年の頃と変わらず、京都大学総合人間学部を志します。しかしながら、実はここまでの過程において重大な落とし穴がありました。それは、苦手科目の対策を積極的に打っていなかったことです。それまで見て見ぬふりをしてきた国語と世界史が思うように伸びません。(文系なのに)国語は、漢文と選択式問題に関してはまあ良いとしても、記述式問題が時間内に解ききれないのです。また、世界史は覚えることが多すぎて訳が分かりません。(日本史の方が暗記量は多いようですが)国語にしても世界史にしても、苦手を自覚したのならすぐに対策を打てば良かったのです。しかし、モチベが上手く保てずなかなか手がつきませんでした。
さらに悲しいことに、高3の夏以降は得意科目においても限界を感じ始めてしまいます。京大数学が難しすぎるのです。(青チャートの暗記だけで乗り切ろうとしたからですね)英語はまだなんとかなっていたのですが、英語だけ点が取れても仕方ありません。次第に京大は諦めようという思いが強くなっていき、元々の第一志望に戻りました。大阪大学人間科学部を再び目指すことになります。
秋からはいよいよ共通テストの対策が始まりました。共通テストの形式は正直苦手です。だいたい、やたら長い問題文やナンセンスな対話形式に何の意味があるのでしょうか。思考力を問うのならば中身のあるオーソドックスな問題に時間をかけて取り組むべきなのに、表面だけ奇を衒ったような問題を素早く大量に処理して、本当にそれで思考したことになるのでしょうか。共通テストの体制には疑問しかありませんでしたが、志望先は共通テストの配点が5割だったので目を背けるわけにはいきません。しかし、苦手ながらも共通テストの点数は対策した分だけ伸び、志望先のボーダーくらいはとれるようになっていきました。

いよいよ共通テスト本番。緊張するのかな~と思っていましたが、意外と無心で問題を解くことができました。世界史がイマイチだったのを除いて、事故という事故は発生していません。いつも通り、といった感覚でした。共通テスト全日程を終えた帰りの地下鉄でジョジョの処刑用BGM(5部)を聴いていたのは今でも鮮明に覚えています。
暫くすると、共通テストのリサーチ結果が配布されます。第一志望はC判定のちょうど真ん中。悪くはない結果でした。二次試験でコケなければ十分に合格を狙える位置にいたと思います。
しかしながら、私はあまりにもチキンでした。C判定のまま突っ込むのが怖くなってしまったのです。また絶対に浪人したくないという強い意志も手伝って、結局リサーチでA判定だった第二志望の大学を受験することにしました。

これ以上先のことを書くと私が誰なのか分かる人には分かってしまうと思うので、心の中にとどめておきます。現在は第二志望の大学に晴れて合格し、どこかしらの大学でのんびりしたり苦悩したりしながら過ごしています。
おわり





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