私がGoogleを退職して、ファッションの仕事を始めた訳

自分を好きになる理系ファッションアドバイザー、Kaori です。

忘れもしない2010年の10月1日、十年前の今日、私はGoogleに入社しました。

イギリスの大学は9月卒業。だから、入社日が10月。10年前の今日、私はファーストキャリアをGoogleにてスタートした。それがどうして、無縁だったファッションを仕事にすることになったのか、の軌跡を詳しく記します。(道のり①、②よりも細かく書いています)

私の人となり、ファッションに対する思いが伝われば幸いです。

Googleでがむしゃらに働いた時期

当時のGoogleは名が知れていたものの、「Googleって新卒採ってるの?」という位、新卒の就職先としては珍しいものでした。Google Japanでは2008年に新卒を採用し始め、私で3代目。つまり、90%以上の社員が中途採用。
新卒だった私は電話の取り方・メールの書き方・挨拶の仕方、ビジネスマナーのいろはを全く知らない状態で入社しました。つまり、周りは即戦力だらけなのに、私は無知の無力。

早く先輩たちに追いついて、自分も早くチームの役に立つのだ!好成績を出すのだ!、と頑張っていた時期がありました。同僚たちと励まし合いながら、終電間近までオフィスに居たあの時期が、今思うと懐かしい。

Google思う様に働けなくなった時期

不器用で、組織の理論も大人の事情も理解できていない割には、そこそこ順調に仕事をし続けていた。健康体だったし、体力もあったし、何より負けず嫌いだったからかも知れない。とある事を経て、仕事に対する体力・気力の双方を一気に失うことになった。妊娠だ。私の場合、妊娠初期は吐き気もあり、常に眠かった。脳内糖度も酸素もとてつもなく下がっていた。

「こんな仕事、やってみない?」

上司から、チームから、そんな相談をされた時は、いつも「はい!!」と言ってチャレンジしていた。ここに来て初めて、言わなければならなかった・・・・

できません

この一言が、とても重かった。

医者の指示と周りの理解もあり、一時休職していた。

上手く行かなった1度目の復職

第一子を出産し、職場に戻ったのが28歳の春。育児ノイローゼ気味でメンタルを病んでいた私には、職場に戻れることは心の救いになると思っていた。けれど、そうではなかった。

妊娠前のように○○を出来ない自分、「他のママさんは△△してるよ」というプレッシャー、”グローバル”な仕事ゆえの時差のある会議※(しかも子守をしながら)、上司との折り合い

様々な理由から、私の心も体も更に病んでしまった。ここで再び休職せざるを得なくなった。1度目の復職は失敗したと言える

このまま退職していたら、Googleを嫌いになって辞めていたのかもしれない。

※当時のチームは、日本人は私のみで、残りはアメリカとアイルランドに居た。そのため、「チーム会議」はビデオ会議だったし、夜中の会議も日常だった。

メンタルの治療から復職するまでの間

育休に病気休職と、「働いていない」時期が長った。会社に全く貢献もせず、ただのお荷物。社会のお荷物。そう思うことが、とてもとても辛かった。

今振り返ると、あの時の私は決して「社会のお荷物」なんかではなかった。少なくとも、一人の子供の母親であった。完璧なママからは程遠いが、少なからず育児をしていた。大切な仕事なのに、あの時の私はそう思えていなかった。

復職したい。自分も社会のために、会社のために、何かをできる人なのだ、と再確認したい。このままじゃ嫌だ。

体調も良くなって着た頃、復職を強く願うようになった。時差のない会議をしたい、同僚が日本にいるチームが良い。大変幸運な事に、これが叶うチームに異動することができた。

成功した2回目の復職

第二子の育休明け、私は新たなチームに異動した。前のチームに比べれば天国のようだった。
まず、同僚が同じ日本オフィスに居る日本時間の17時までに仕事を終えられる(夜に作業することもあったが、あくまで補助的に)。日本人のチームメイトも居るので、仕事のフォローがしやすい。ワーキングマザーとは、子供の看病などでどうしても担当できない仕事が出てくる。責任感に押しつぶされ、もう一度病気になることだけは避けたかった。自分のためにも、家族のためにも。
そしてこの時の同僚・上司、とにかくワーキングマザーである私にこれ以上ない配慮をしてくれた。勤務時間も体力的にも、以前程は働けない半人前な私を、温かく受け入れてくれた。限られた時間内に行った私の仕事まで評価してくれた。働くお母さんとしては、最高のチーム・最高の環境だった。

それでも私は退職に踏み切ることになる。

潮時:体が「行きたくない」って言ってる

給料も高く、最高の環境なのに、なぜ辞めると悩んだのか?

体が「行きたくない」って言ってる

これが一番の理由だった。私は当時、子育て・Googleでのお仕事・ファッションの勉強を同時進行していた。どれかの比重を減らさなければならない。子育てを辞めることはできない。ファッションの勉強も辞めたくない。

給料を減らす代わりに仕事量も減らしてもらう(パートタイム社員になる)事も考えていた。が、1度目の復職にて、それを失敗している事を考えると押し切る事ができなかった。パートタイム社員になったら時間的負担は減るけれど精神的負担は減らない。

私は皆みたいにフルタイムで働いていない

この負い目が付きまとう事を知っていた。

子育てを辞めることはできない。
ファッションの勉強は辞めたくない。宿題に何時間もかかろうと、私は決して辞めたくなかった

最高のチームで、最高の環境下で、辞めれてよかった

退職後に思うことは、これに尽きる。全ての条件が完璧だった。それでも、私の体は「違う」と言っている。

むしろ、最高の環境で、最高のチームだったからこそ、私は退職を決断することが出来た。

1度目の復職を失敗したまま、退職していたら、会社や上司たちに恨み辛みを言い続ける社員だったかもしれない。会社を大嫌いになっていたかもしれない。

最後のチームに居たのは、たったの半年間。短すぎて、上司や同僚にも迷惑をかけたであろう。本当に申し訳ない。

それでも、私にとって、必要な時間だった。笑ってさよならを言えるために。
※実際の送別会ではめっちゃ泣いてました。

お世話になった会社に、多くの素敵な出会いをくれた会社に、「ありがとう」の気持ちを持って、退職することができて本当によかった。

ひょんな事から、10年前にGoogleに応募書類を送った。当時はリーマンショック後で就活が難しかった。更に、私はイギリスから遠隔で就活するハンデもあった。今では一般的になったビデオ面接も、当時はどこも実施していなかった。あの時、Googleだけが、ロンドンに居る私のビデオ面接をしてくれた。
採用時から最後まで、感謝の気持ちを持って退職できて、本当に良かった。今でも私はGoogleを応援しているし、Google製品を愛用しています。Gmail、Googleカレンダー、Google Photo、Google マップ、Androidなどなど。

退職後

退職後はゆるゆると、マイペースでファッションの仕事をしています。あなたに似合う色を伝えるカラー診断はこれまで100名以上診断しました。けれど、まだまだ!もっともっと勉強をし、経験を積んで行きたいです。

体の声を聞いたことで、収入は減ったけど、楽しく思える仕事をマイペースでできるようになりました。心の安寧の方が大事。

ファッション以外にも、大学に行ってキャリアの話をしたり、ライターとしてお仕事を頂いたり、子育てをしたり、様々な活動をしています。

有名な大学に入り、好成績を修め、大企業に就職する。ついこの間まで、私はそんな人生を歩んで来ました。それが唯一の正解だと思い込んでいました。
ファッションに出会って、これまでとは全く異なる選択をしました。

違う生き方をしてもいいんだ。型にハマらなくてもいいんだ。

そう思いながら、この仕事をしています。
自分を認める、好きでいる。そうでなければ、つい「型にハマる方が楽」と思ってしまいます。私にとってファッションとは、枠や思い込みを外してくれる存在です。

私の人となり、ファッションに対する思いが伝われば幸いです。

今日からファーストキャリアを始めたであろうイギリスの新卒者たちよ、幸あれ!

よろしければサポートをお願いいたします。理系ファッションアドバイザーとして精進していくための研究費用として使わせていただきます。