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「NZスタディツアー」の目的 やってみること、継続すること

ニュージーランド(以下、NZ)は言わずと知れた放牧酪農の先進国です。
一年中温暖な気候を生かして栄養豊富な牧草を育て、牛や羊などの動物を集約的に、効率よく飼育しています。
輸出品のうち約6割は農林水産品が占めており、特に乳製品の輸出量は、世界でもトップクラスのシェアを誇っています。 

そんなNZの放牧を生で見て、触れて、体験型で学んでいただこうという取り組みが「NZスタディツアー」です。

期間は基本的に6泊7日(うち1泊は機内)。本場の土づくり、草づくりや搾乳技術など、多くのすぐれたノウハウを一度に効率的に学ぶことができます。
参加者は通常、5名以上10名以下で募集する少人数制です。牧場内を歩き回る関係上、これくらいの人数でないと、案内人の説明が全員に行き届かなくなってしまうのです。
見学先は乳牛、肉牛農家が主ですが、参加者の方々の希望によっては羊、鹿、加工場、行政なども訪問し、回ごとに重点を変えながら、より学びの多い場となるよう設定しています。

ファームエイジ創業年の1985年(昭和60年)からずっと、年に1回、もしくは2回のペースで実施し続けており、これまで延べ300人ほどの方がツアーに参加されてきました。
かくいう私はほぼ皆勤賞であり、NZは私の第二の故郷と言ってもよいかもしれません。

ここ二年ほどは感染症の影響で行えていませんが、また時期が来れば再開したいと考えています。


今回お話するのは、このNZスタディツアーの成り立ちと意義についてです。


”飛び出した”一歩

1985年11月、まだ創業したばかり(会社設立が1985年3月)の私は、冬の宗谷岬にて、電気柵施工の大型案件に着手していました。
にもかかわらず、私は仕事の電話を受けるフリをして途中でこっそりと抜け出しそのままNZへと飛び立っていました。

NZ生まれの電気柵を販売していましたから、それまでNZに関する情報を見たり、聞いたりしたことはありました。
しかし色々と調べているうちに、これは実際に行って、NZの牧場の空気を肌で感じてみるのが一番手っ取り早いなと思ったわけです。
百聞は一見に如かず、思い立ったら吉日といったところでしょうか。 

さて、思い立ったはいいものの、当時の海外への渡航、しかも行き先はNZとなると、その旅程はある種の冒険に近いようなところがありました。前情報がほとんどありませんし、現在のように旅行会社がチケットを手配してくれる便利なサービスもありません。
すべて自分で用意して、わけもわからず防疫用の薬剤を頭から被り、わずかな情報を手掛かりに交通手段を探して移動していきます。常に手探り、目的地にたどり着くだけで一苦労。

その分、現地の農場でコンサルの方に案内していただき見せてもらったものは、すべてが非常に新鮮で、驚きの連続でした。

例えば、スコップで土をひっくり返して見せていただいたミミズ。酪農とミミズに密接な関係があるなんて、それまで誰にも教わってきませんでした。
例えば、NZの酪農家さんの、ゆとりのある豊かな暮らし。日本よりも乳価が低く乳量が少なく土地の価格も高いはずなのに、どうして。

とにかくカルチャーショックをたくさん受けました。NZ農業のすべてのキーワードは「放牧」です。
理論を体系化して実践へと結びつけて行う放牧というのはこういうことなのだと、国の経済を支える農業とはこういうものなのだと、一つ一つ見せつけられたような心持ちでした。

この規模感。伝わるでしょうか

私は、放牧にかける自分の想いが熱くなるのを感じながら、あっという間に旅程を終え、帰路につきました。


この学びを一回で終わらせてしまうのは、非常にもったいないことです。それから私は社員や友人、取引先など様々な人たちを誘って、何度もまたNZを訪れました。
現地でお願いしていた通訳の方が来なかったり、参加者が急に高熱を出して病院へ送ることになったり、行くたびにいろいろなハプニングが起こりましたが……ツアーの内容だけで一冊本が書けてしまいそうです。(笑)

参加してくださった方は、例えば、酪農家として戦後日本初の天皇賞を受賞した池田さん。
海外旅行未経験ながらツアーの第一回に参加し、初日の夜に「一日でもう元をとった」という頼もしい言葉を残してくださった方です。
例えば、牧場全体に価値を見出し多方面に発信し続ける、十勝しんむら牧場の新村さん。ツアーに参加されたのはなんと学生のころで、当時から新たな学びへの意欲がとても旺盛でした。

日本で今、本格的に放牧酪農に取り組んでいる方の多くが、ツアーへの参加経験者かと思います。それくらいNZの放牧技術のレベルは高く、見習うべきところが山ほどあるものです。


何事も続けてみるものだなあ、と

そうこうしているうちに「NZスタディツアー」の名も少しずつ浸透していき、周囲からは「NZといえば小谷さん」といったような印象を持っていただくまでになりました。
テレビで珍しくNZ特集などが放送されると、ほうぼうから「今、NZのことやってるよ!」と電話がかかってくるほどです。まあ、それだけ他にNZに注目している人がまだ少なかったということでもありますが。

日本の酪農関係者をNZへ毎年ご案内しているということ。この継続は少なからずそのまま小社の信用に直結しており、それがまた次のつながりを生んでいるものと思います。
例えば、グラスファーミングスクールの開催や、産学官連携のNZ北海道酪農協力プロジェクトへの参画などです。
小社の社員も、これらの取り組みを経験することで、より多くの学びを得ることができています。

実は、NZコンサルのガビン・シース博士から、ツアーを断られたこともあるのです。
当時の日本の酪農・畜産界の進む方向といえば、①濃厚飼料をたくさん与えて ②とにかく乳量を増やすことで ③立派な牧場経営者になれる というものでした。
そんな環境で暮らしてきた方々がいきなり先進的な放牧の現場を見ても、いまいちピンと来ないことも、人によっては当然あるわけです。
対して、NZスタディツアーで解説をしてくださるコンサルの方々は、いずれもその道の権威ばかり。
わざわざ時間を割いて高度な放牧システムの講義をしているのに、受講者からは「放牧と濃厚飼料、どちらがいいんですか?」「放牧って本当に必要なんですか?」という質問がいつまでも出る。
これでは確かに断られても無理はありません。

「もう日本からのツアーは受けたくない。彼らに私のコンサルの必要はないよ」と、ガビン博士は言いました。
私はその言葉を受け、「申し訳ない。けれど、今は無意味なようでも、この学びの場は必要なんだ。いずれみんな、理解してくれる日が必ず来るから」と言って彼を説得し、関係を継続していただけるようお願いしました。

“みんな”が理解してくれる日は、残念ながらまだ訪れないかもしれませんが……確実にあの頃よりは、志を共にする人は増えていると感じます。

それから5年後、日本に放牧を広めることを目的にグラスファーミングスクールが開催されることとなり、ガビン・シース博士にはメインコンサルとして現在も貢献していただいています。


赤道を越えた経験

NZから帰国し、私が再び宗谷に戻った日の天候は、猛吹雪でした。
昨日までの温暖なNZの景色の記憶と目の前のホワイトアウトとを交互に見比べて私が感じたことは、「人間、やろうと思えば何でもできるんだな」ということです。

何かを実行に移す前はたいてい、それができない理由をいくらでも挙げられます。
今回の場合で言えば、会社を始めたばかりだから(当時、創業7か月)。大型案件の途中だから。費用がかかるから。用意が整っていないから。単純に遠いから。
しかし私は、そういった理由を振り切ってNZへ向かいました。その結果、膨大な学びを得て帰ってくることができました。

そういったチャンスに出会っているのはきっと、私だけではないはずです。
想いが行動となり、行動したことによって未来が創られる。もちろん失敗もたくさんありますが、失敗も含めて、その繰り返しが多ければ多いほど、豊かな人生を送れるのではないでしょうか。
今はそう思っています。


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