見出し画像

【エッセイ】たぶん私はDIYのサラブレッド

10月末まで#noteクリエイターフェスティバル2022 が開催されているので、便乗して書きます。

趣味はひとり旅とDIY。
自分でなんとかしちゃうという点ではどちらも同じ。インプットかアウトプットかの違いかもしれない。そんな風に考えた事ないけど。今こうして書くから思っただけで。

休みの日に何してるのか聞かれたから、机を作ってたと言ったら周りから驚かれた。こちとら驚かれた事に驚いたわ。他人からすると、部屋に合う机が見つからんから、作ってしまえっていう発想にはならないんだそう。電動ドライバーを持ってるのはマイノリティーっぽい。三種の神器の次くらいにあるもんじゃないの?

まあ、そうか。今はDIYってわざわざ言うような時代になったんだっけ。

子どもの頃から物欲はそんなに無かった。誕生日とかクリスマスに欲しいモノを聞かれても、うーん…って感じだった気がする。プレゼントを貰える日じゃなくてケーキを食べられる日という認識だったし。

何で物欲がないかって、家には何でもあったから。私が何か言えば、

「みーちゃん、うちは何でもあってえぇなぁ。」

ってよく言われてたもの。
より正確にいえば道具が揃ってただけなんだけど。

折込チラシの裏に描いた落書きが後日そのままおもちゃになったり、母屋の隣に砂場ができたり。おもちゃは私の絵の通りに父が木を切って色をつけてくれた。砂場の砂はどこから調達したのか知らないけど、ある日トラックで運ばれてきた。

冬には竹を切ってきてスキーにしたり、落ち葉集めて焼き芋したり。ヘチマでたわしを作ったり、シュロかなんかでハエ叩きを作ったり。石鹸とかこんにゃくとか、わら納豆とかヨーグルトとか味噌とか…

インターネットは無かったけど、大人に聞けば大抵のことは魔法みたいにすいすい願いが叶った。子どもの私は、あれ持ってこいとか、それ取ってこいって足になれば、みるみる形になった。

なんでも自分でやりたい子だったから、やらせろって煩かっただろうけど、ダメとは言われなかった。

あ、嬉しかった誕生日プレゼント思い出した!4歳くらいの時にマイ包丁をもらった。切れ味の良い、キティちゃんの包丁。子どもだから(というか幼児に近い)めちゃくちゃ指切ったけど。やるなとは言われなかった。

包丁はともかく、稲刈りしてて鎌でガッツリ切った傷は今も残ってしまってる。左手の薬指に。赤チン塗ったんだけどなぁ。ま、ちょんぎらなかっただけグッジョブてことで。きっと指輪も似合うよ。うん。

これはうちが特殊な訳ではなくて、それが標準だったと思う。小学校の理科だったか、生活だったかで、サルビアを育てることになると、まず花壇から作ったのを覚えてる。小学生がセメントこねてる、そういう所だった。

たぶん、他所の人からすれば何にもない所だと思う。信号もないし、コンビニもない。街灯はひとつで虫の溜まり場。自販機はモスラが張り付いてボタンが押せない。夜は屋根裏のネズミと田んぼのカエルがうるさい。

あるのは山と川と田んぼと畑。
夜の漆黒と朝の鶏。

それでも、あえて言う。
何でもあった。

手を伸ばせば届きそうな満天の星と、空と溶け合いそうなほど青い峰々。目の前に舞い降りる雉の番に、優雅に泳ぐおしどり。雪よりも白い兎、夏の憂いを慰める蛍。風の香りが季節を知らせながら、ゲゲゲと私の体をすり抜けていく。

魚を捌いたり、渋柿の皮を剥くのは、おばあちゃんでもお母さんでもなくて、おじいちゃん。
そういうカッコ良さがあった。

先人からの知恵と技術。
脈々と繋がる日々の蓄積。
たぶん私はDIYのサラブレッド。

この記事が参加している募集

#つくってみた

19,209件

#やってみた

36,685件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?