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【現代の民俗芸能】百貨店で見つけた所作を演じ直してみるまで*日常との憑依〜振る舞いに隠された『わたしたち』リサーチの記憶

2018年6月〜2019年1月、演出家・民俗芸能アーカイバーの武田力さんと京都芸術センターによって参加者非公開で行われたプロジェクト。京都・大丸百貨店で見つけた振る舞いから、現代の民俗芸能を創作、実演しました。

登壇:武田力
ゲスト:井口昌也(株式会社大丸松坂屋百貨店)
2019年1月12日 (土)14:30-16:00
京都芸術センター ミーティングルーム2

*

武田力さんは俳優でもあって、そのつながりと、偶然から、俳優、美術作家、ダンサーなども集まりました。民俗芸能の専門家とかはいません。京都芸術センターにほど近い「大丸百貨店の民俗芸能をつくってみる」ということは、当初から武田さんの頭にあったようです。

ほぼ月イチで、各数時間づつ、雑談とか大丸百貨店をぶらぶらするとか、街歩きを重ねるなか、ある時「そうだ、可能な人は大丸百貨店でバイトをしてみたらどうか」というタスクにたどり着いて、みんなでひとしきり大笑いしました。言ってみれば潜入。でもただ観察するよりリアリティが増すし、普通にバイト料もらえるし。

これは、当時考えたことの記憶と、バイト決行、民俗芸能創作、実演本番へと続く、個人的な記録です。

そんな頃、私の住む大阪を大型台風が襲いました

わらわらと出てきた近所の人。
顔見知りの町内会長さんにまじって、
そんな人いたんだという引きこもりぽいお兄さんが新鮮だった。
うちにはシアトルから来た若いカップルが滞在していて、ちょっと出てきた。
全員が、同じ気持ちだと感じた。

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あのまま、

万一しばらく一緒にいることになれば、
歌ったり踊ったりしてただろうか。

たとえば誰かが、突如
「もう、踊っちゃいましょうか?」と言ったら。

どんなふうに?
たとえば、こんなかんじで。

と、風によろけるような半ばやけくそな即興の踊りを踊り始める・・・
トタンが飛んでいく音も出してみた。

歌ってもみた。 

あー バシャバシャバシャ。

合わせてみたら案外楽しくて不安を忘れた。

毎年、台風の恐ろしさを忘れないために集まるようになった。
言い出しっぺや、動作をつくった人が誰だったかなど、
誰も覚えていなかった。

さまざまな人たちが近くに暮らす現代、民俗とはどういう集団かな? となってくる。

たまたま集まっただけなんだけど、状況のせいで、ほぼ似たことで喜び悲しむ集団、
とするなら。

「たいしたことじゃなかったりして」という仮定

人は集まると訳もなく踊ったり歌ったりするものだ
集まるとしたら近所の人しかなかっただけである
集まる時期もたまたま限られていただけである
作者が不詳とされるのは名を残すつもりも手段もなかっただけである

最初は、適当に即興をしてたんじゃないか、と想像してみる
その衝動は、芸術にも芸能にもまだならない

そして、バラバラで踊ったり歌ったりしてても別にいいけど、
合わせたほうがちょっと楽しかっただけである 

すると合わせるために「つくる」という工程が始まるが
目的は「楽しさ」ではなかったか


自然発生的に形作られたというと神秘的だけれど
一番最初のディテールは誰か一人が発案したり、
その人はちょっと演出もしたかもしれない
衝動から作業は、演劇や演舞をつくる作家と似ていないか

だから、さほど神秘的というわけでもない

誰か一人の、思いつきなんじゃないのか?
芸術のなりたちとの境目はどこだろう

祈り
  祈りはどうだろう? 芸能には祈りがある

健康を祈って我が家の体操を作ったら民俗芸能か、

いや家族体操だな


それは芸術ではなく、民俗芸「能」

芸術:二度と同じことはしない
芸能:何度でも同じことができる、カバーする

芸術:生活に必要ない? いやあるけど
芸能:生活と繋がっている

芸術:つくりだす
芸能:あるものを集めたり使う

芸術:わからないのもあり
芸能:だいたいわかる

芸術:目的はあったりなかったり
芸能:目的がある

芸術:未完成 途中
芸能:完成 成熟

芸術:負を巻き起こしてもよい
芸能:幸せを祈る 

芸術:否定もある
芸能:肯定しかない

芸術:継がない
芸能:継ぐ

芸術:廃れない そういう概念がない
芸能:廃れる

芸術:地域性は弱い
芸能:地域限定

芸術:オリジナリティ
芸能:ポピュラリティ 

芸術:本当にあるのか? 
芸能:ある

自分で始めたのに、こんな分類の意味はよくわからない
でも、芸術と芸能は同じではない


大丸をぶらぶらする

上の階に行くほど 寂しい
一階は従業員も客も比較的大きな声を出している
サンダルをみる 店員さんが付いて来た 履いてみた  目線合わさずに「気持ちいいでしょう 」って話しかけられた  

傘を広げて回してみた 他のお客さんが寄って来た みんながまわしはじめた え?

扇子も同じように広げてみた
サングラス
帽子

上品なアナウンス

高級ブランドのある2階のトイレはゴージャスな雰囲気

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観察している私、働く人、お客さんがいる=大丸民俗

「一緒に、なんとなく歌い踊りたくなる」環境はそんなに急には作れない
というか現れない

どうしよう

なにか問題を据えてみる
雨乞いのように
お客さんの行列を乞う
「お客さんが来ない」??
害獣が入ってきた
倒産しそう
店員さんがストライキ
店員さんがあくびをした
わるい噂が流れた
商品に毒物が混入した

このあいだ考えた
逆境
そのうち歌い踊りたくなったことにして
即興から始めてみて、いつの間にか誰かが、思いつきでルールをきめて
合わせ始めるというストーリー


そういう

それは演劇かな
「大丸の民俗芸能・祈り」という公演

大丸の人は觀てくれるだろうか
前向きに誇りにおもい、祈り、継いでくれるだろうか

民俗芸能は無理でも、皮 表皮はなぞれるだろうか

この頃、メンバーのうち数人が、
滋賀県朽木古屋・六斎念仏踊りを継承する武田さんの現場を訪れました。

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バイトをしてみたらどうか! 〜労働からうまれる民俗芸能〜

年末の4日間1日数時間だけの臨時バイト。片道2時間近くかかる大阪南部から「遠いのに、なぜまた?」と不思議に思われたようですが、そこは年末。猫の手主婦バイトとして勤務しました。仕事内容の詳細は非公開です。


*以下 1)〜4)は、振る舞いをピックアップするためのタスクとヒントでした。


1)「お店や大丸ならではの身体」出来れば「言葉を発しながら出る身体」(数秒から30秒以内くらい)を意識してひろう


▶︎AB CDE 12   3  4567 89
店内のフォーメーション。テーブルにアルファベットと数字記号。両手でトレーを持って、運びながら、心の中で何度もこの記号を唱える。丁寧にすばやく正しく行き着く。指示された記号通りに移動すること。

▶音楽は流れていません。
▶フロアは、3~4間くらい。

▶廊下は端を歩く。客と目があったら少し微笑む。

▶︎従業員出入り口のドア前の、緑色の境界線で、はける時、くるっと振り向いてお辞儀。ドアから出た時もお辞儀。頻繁に見る動作。自分もする。

▶基本さっさと歩く。客の横をすり抜けるときはスピードを落とす。

▶︎「いらっしゃいませ!」と大きな声は、さあ、客が来た!の合図。お客さんに向かって言う意味もあるが、裏の(頭の後ろの)スタッフに伝えている。獲物を発見した漁師に近く、農業とは違う感じ。

▶大体、少し腰を折って聞く。注文や、質問。

▶︎薄い笑顔。あるいは、急な笑顔。
いくつかの段階のある笑顔。大丸に限らないが、あの笑顔がないと不安になるんだろう。この中でのお約束だ。

正直な顔をした百貨店の従業員は、たぶんこわい。日本では。大丸を一歩出て、ずっと薄く笑っていたら。オフィスや家庭、電車の中や駅、道路。それはこわい。

▶︎正午前あたりから数時間、速い動き。すべてが速い。慣れ。体感時間が速い。これでは人生が速く終わってしまいそうだ。人生の殆どの時間に窓がない。

▶真顔「大変失礼いたしました」。少しのミスを深刻な表情で謝る。激しくクレームを恐れています。最初は、常に笑っていればいいように見えたが、笑ってはいけない時がある。

▶背中。背中で聞く。明日私に何を教えるかでもめているのを背中で聞く。

▶かなりずっと歩いている。あるいは蝋人形のように立っている。

▶女子トイレで、清掃スタッフが「こちらの和式でしたら空いております!」と、お客さんを案内している。両手にモップと、モップを絞るバケツ。手を洗うときの水の出し方止め方も案内する。確かに、自動なのか、上に上げるのか右にひねるのか、洗面台によって違うけれど。ヌシみたいなおばちゃんのスタッフ。あれはたぶんオリジナルだ。オリジナルの動きに心が動かされる。

▶客として。ネックレスを落とした時、柱の陰から女性店員が 「ややこしい置き方して申し訳ありません」と言いながら飛び出してきた。いえ。私が誤って落としました。ここでは人間関係が少しずれるのかもしれない。

▶「あんまり深く考えんほうがええよ」すみません、ちょっと考え事をしていて、トレーを並べる段取りが悪かったかもしれないです。「深く考えずに、動く」

2)神と人とが出会う場所として「境界」という概念が民俗学にありますが、百貨店は現代の境界足り得るのでしょうか。 また、その境界の地で神は人に、人は神になるとされますが、その「変身」に必要な祭祀にかわる百貨店の機能とはなにか? 労働と、芸能・芸術の今日的な関係性とは?  

(武田さん、なんてむずかしいことを・・・)

日常との憑依


▶年末の百貨店はとても忙しい。身体の疲れの限界で実感したこと。適度な笑顔で、たいへんお待たせしました、と、料理をテーブルに置く一瞬に、自分も、年末で混み合い、サービスが遅れ、待ちくたびれている客も料理を見て、料理の存在を感じる 。料理が神で、私(大丸)と客が人であったとしたら、一体化する。私にとって変身、同化に必要なのは疲れ、トランス。空腹で、水を飲む時間がなく、ルール通りに体を使った。

客は、神である料理を食べることによって同化する。変身。


3)トークゲストとして、大丸百貨店の井口さんにお越しいただきますが、実演が大丸の芸能であるかどうかではなく、より広い視点で、現代における芸能の意味や近代とはなにかを考える時間になればと思っています。


現代における「継がれる」「安心」「場所」「過去と未来と祈り」「老舗=老い?」「突飛なことは起こらない、必要ない」の意味はなんでしょう。これらは、すべて失われているように思います。

近代から現代における大丸の祈りとはなんでしょう。「ここに、ものが、ずっとありますように」「ものが人を幸福にしますように」。「ここが幸せへの境界でありますように」違いますか。聞いてみればよかった。そうだったとして、未来もそうですか。

求人情報を音読、あるいは歌詞とするのはどうか。

「予祝(よしゅく)」をつくるのはどうか。予祝は、豊作などを、予め祝うと実現するという祈りのかたち。「継がれる」「安心」「場所」「過去と未来と祈り」「老舗=老い?」「突飛なことは起こらない、必要ない」を、先に祝う。

4)労働と芸術(芸能)とが、どういった関係を築けるかも、このプログラムの大事な観点だと思っています。いわゆる普通のバイトと、芸術なり自身の関心事項をもってバイトに臨むときとでどう変わったか。

(とりあえず普通にバイト。あとで考える)

▶報酬を得るための身体と言葉を捉えて発表してみる=農作業の動きが踊りになる=漁業の網をひくとき力を入れるときに発する言葉が歌の歌詞になる。

▶この場合、観察すること自体は労働ではない(報酬は得ない)。仕事が増えているが、仕事中に考察(観察も)するのはほぼ不可能。忙しいから。それは、農業も林業も漁業も、大丸でも、きっと同じで、労働中は表現はしていない。だから普通にバイトしました。
▶観察、つまり、このリサーチに、仮に報酬が生まれる場合、また複雑。

▶大丸の従業員が観ても、希望や祈りが込められてると感じれるのが民俗芸能ならば、じぶんは、確かに4日間、従業員であった。想像してみる。100年以上、ここで同じ振る舞いが行われているのだとしたら。

▶彼ら(自ら)の所作を描いてみる。そのために時間と思考を巡らせたから。祈りや希望が感じられるか、繰り返しセルフカバーする機会があるのかは、今のところ不明だ。




こんなふうに、われわれは、それぞれが考えたことをできるだけ共有しながら、大丸百貨店の民俗芸能をつくり、実演しました。

わたしは、少し腰をかがめて料理をテーブルに置く瞬間を
何度も繰り返しました。
客と私の境界で料理が神になった瞬間でした。

もちろんダンスのようにでなく、演技のようにでもなく、無心に、でも人を、観客も含めた人を感じて意識しながら。

目指しましたが、むずかしい。

もしかしたらトランス状態になるまで繰り返したら、いったん無心になれたかもしれないけれど。

とりあえずそこまで だけ。

わたしたちは、それぞれに、靴紐を結んだり、素早くラーメンを運んだり、はい!と、明るい声で返事をしたり、丁寧にお辞儀をしたり、いらっしゃいませ!とうたいながら、フォーメーションは自然に。邪魔はしないように、でも、お互いに反応もしながら。

抽象と具象。神と人。労働と芸能と芸術。

説明は崩壊。
実験は途中。もちろん未完。
それはプロジェクトの最初からイメージされていたんだろうと思います。

映像、残ってるのかな? 
しらないんです。


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