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【短編小説】港のデヴァイン


 化け猫というのはお化けで、お化けは目に見えないものが化けて姿を現したわけだから、わたしは人のように見えるけど人ではないってわけか? カウンターの中からママが凄んだ。イッセイ尾形の演じる浅川マキを太らせて、さらに年とらせてお笑いを混ぜたようなミバで、わけか? と言われたら誰でもびびる。
 落ち着いて見ると、目は半笑いだ。客が持ち込んだミニコミ誌の、一風変わったバーの紹介コーナーに「化け猫風のママが迎えてくれる」と書かれていたのを自分でネタにしているのだ。
 わたしは、ママの姿を密かに、ピンクフラミンゴのデヴァイン、と思っている。
 今となっては、がら空きの遊覧船か、近場行きの客船しか着かなくなった、さびれた港に、たった一軒残った外国人向けの船員バー。「ウーゾ」という店の名前は、ギリシャの地酒の名前だ。バンパクの頃には、と、西成の日雇いのおっちゃんたちはよく口にするが、ママの口癖でもある。万博の頃、1970年頃には、港はたくさんの外国船でにぎわい、一度船が着くと、たいてい荷下ろしのために一ヶ月は停泊していった。日が暮れると店は外国の船員たちでいっぱいになった。客はギリシャの船員が多かった。ユーゴスラビアやフィリピン、ソ連、韓国の船員たちもいた。
 今は、そこだけ濃厚な空気がとまったような気配がして、初めて入るにはかなり勇気がいる「化け猫バー」だ。
 あ、猫? 化け猫は、もとは猫か。じゃあ、人間のわたしはどこに行ったか?
 ママの話はまだ続いていた。うーん、どこ行ったんでしょうねえ、とわたしは思い切り愛想良く相づちを打ってみる。ああ、猫か? わたしはそこの猫に化けたか。わたしと猫がチェンジしたのか。猫が化けてわたしの姿になって、わたしはあの子に化けたわけね。じゃあ、二人とも死んでいるわけか?
 飼い主に似て、どてっと太った白猫が、ボックス席のビニールのソファで、黙って寝ている。
 いつものことながらの、ママのくどい話につきあっていると、くいっとドアが開いた。一見の客が一人で入ってくるのは珍しかった。
 いらっしゃい、とカウンターにおしぼりを置きながら、ママが「システム知ってる?」と凄んだ。チャージが二千円、あとはショットで五百円ね。本人は凄んでいるつもりはないのかもしれないが、初めての客に、そのミバでそのセリフだとさっさと帰れと言っているようなものだ。
 入ってきた時は気づかなかったが、男は、ふつうの客とは様子が違っていた。頭が骸骨だった。まっ白で乾いたかんじの顔というか頭は、身長とのバランスから見ると小ぶりで、後頭部が出っ張った美しい形をしていた。彼は、つやのある生地の灰色のジャケットをつるっと脱ぎながら、ママの説明に「はい」と返事をした。


 魚はありますか。あと、冷酒と、酢の物をなにか。と骸骨は言った。
 あのー、うちは食べるものないのよー、ピーナツとおかきならあるけどねっ。ママは、ものすごく濃いブルーのアイシャドウのまぶたで、ぴゃっと瞬きをして、一瞬むっとしたように思ったが、べつにそうでもないのかもしれない。おなかすいてるの? 何か作ろうか? ピラフは? ピラフ、エビピラフ。おいしいエビピラフ作ったげよーかぁ? しつこくすすめている。「では、それをいただきます」と骸骨が静かに言うものだから、冷蔵庫にいつからあったんだか、緑と赤と黄色のミックスベジタブルと、縮こまったように凍った小エビの袋を取り出した。フライパンの上でじゅうと溶かす。骸骨は、取っ手をゆするママの尖った赤い爪を、興味深そうに目で追っている。塩コショウとマーガリンの、古くさいような懐かしいような匂いがした。
 「ピラフを食べるのは生まれて初めてです」と骸骨は言った。「あらー、お兄さん、ピラフドーテイ?」。出た。さすがに初めての客には遠慮しているのか、いつもの下ネタは、ソフトめに始まった。「初めての味、教えたげるわー」。骸骨は何を思っているのか、また「はい」と答え、ひとすくい、スプーンで口の奥に置いて、かた、かた、と2回歯をあわせた。それから、少しずつ、ゆっくりと、二口ほど口に運んでは、酒をのんだ。味覚は、どうなのか。満足なのか。目は空洞だったが、案外、機嫌はよさそうで、からりとしていた。
 「精力つくのよー」と、ママはまったく相手の様子などお構いなしだ。ミックスベジタルで精力がつくなんて、怪獣じみたデタラメを爆走させる。
 それから骸骨は、バーボンのロックと、ギリシャのアニス酒と、スクリュードライバーをすすめられるがままに飲み干した。わたしも、何だか同じくらいを飲み干した。ディカプリオに似てるわー、お兄さん、ディカプリオだわー、と、唐突にはしゃぐママ。ディカプリオ…。ひょっとすると、ママには男の姿が骸骨に見えないのか、ひょっとすると、わたしにだけ? そう思うと不安になってきたが、いつのまにか、時間が遅くなったり早めに進んだりし始めていた。紫色のガラス玉の照明器具。
 お兄さん音楽好きでしょ、聴きたかったら、かけてねー、とあごで指した先にジュークボックスがあった。1曲100円、3曲なら200円にしとくわよ。「That’s the way」「メリージェーン」「Yellow submarine」。骸骨が選んだ。
 踊っておいでよ、二人で。は? 何してもいいのよー、見ないから見ないからー。すでに、視界ははっきりしたりぼんやりしたり、記憶をなくしてはいないが、そのうちなにがなんだかわからなくなってきて、紫色の灯りが、うらうらと揺れる。わたしは、ほぼ十二頭身の美しい骸骨と寄り添って踊り、にゃにゃっ、と、耳元で猫が鳴いた。

 薄暗い店の奥の、プールサイドにあるようなビニールベッドでうっかり眠り込んだ。明け方、目を覚ますと、ママと骸骨がボックス席に並んでコーヒーを飲んでいた、卵はどうしてますか、と骸骨の声がしたような気がしたが、聞き違いかもしれなかった。
 おはようございます、と言おうとしたが、あたまがズキズキして声が出ない。
 死んだ祖父が、どっかの外国にかぶれて、ミルクコーヒーのカップに食パンを突っ込んで、ぼとぼとにしてかぶりついていたのを思い出した。祖父は、毎朝、生卵に醤油をかけて飲み、93まで生きた。卵を割る、こんこん、こんこん、かしゅ、という音。
 気がつくと、ママと骸骨は消えていた。わたしは、ふと、二人はもう帰って来ないかもしれないと思った。あの骸骨は、いつか交通事故で死んだどこかの猫で、ずっとママに化けていたのであって、ママはもう、とうの昔の、バンパクの頃に、しんでいて、今は、そこで寝ている白猫に化けているのかもしれないと思ったが、思い違いかもしれなかった。


(終)

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