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「世に問う」ということ

さて、今日は「「世に問う」ということ」と題して、NOTEを書きはじてた"きっかけ"のようなものを書きたいと思う。結論としては、"自分を知ること"と、"世に問うこと"である。何か小難しいことを書いたが、まぁ下に具体的に書いていくこととする。


自己を知るための営み

私は思う。こうして記事として自分の考えや思考、思想といったのもを文字に起こすことは「自己対話の営みである」と。自己との対話の先に、「己を知る」こととなるのだと。

世に問うこと

そして、これをNOTEという SNSを通すことには、もう一つ意味があると思う。それは「世に問うことである」と。自分の考えをパソコン一台を通して何千、何万の人に届けることができる世の中である。正直怖いことでもある。時々インフルエンサーや芸能人の"炎上"などといったものを見かけるが、これも世に問うた結果であることもしばしばである。日常生活においても自分の考えが否定されるのが怖くて、他人に合わせてばかりの人も多いのではないだろうか。それですらそうなのだから、「世に問うとこと」は怖いと感じるのは自然なことではないだろうか。
しかし、発信できる世の中とは素晴らしいことである。私は、この素晴らしさに気がつくまでに多くの時間を使ってしまったようだ。自分を理解してくれる人がどこかに存在し、自分を求めている人がどこかにいる。そんな人に向かって、「私はここにいるよ」と叫ぶことができる。なんと素敵な世の中ではないか。

他者を知ること

そして最後に他者を知ること。他の方の記事を読むことそれはその人の自己対話を覗き見ていることに他ならないのではないか。(もちろん、記事を書いている側は自己対話と意識しているわけではないだろう。)
他の方の記事を読むことは、世を知ることである。他者を知ることである。

さて、「「自分を知る」、「他者を知る」だから何?」と感じるだろう。私もなんとなくそう感じている。
しかし、自分を知り、他者を知ることは、人生を生きていく上で、大切な意味を持つと考えているから、こうやって記事を書いているのだ。

こういう抽象的な考え方は記事に書くのが本当に難しい。そこで引用しよう。ぴったりなものがある。

"彼れを知り、己を知れば百戦殆うからず"

孫子


時代や背景は違うにせよ、この考え方は現代に通ずるところがあるのではないだろうか。
記事を書くことで知る自分
記事を読むことで知る他者
これが何にどれほど応用できるかは正直あまりわかっていない...
結局最後まで抽象的な話をずらずらと書いてしまった。


結局始めたきっかけだが、"自己を知り"、"他者を知り"、"世に問うこと"である。これを通じて、まだまだ新社会人、未熟な私だが成長していきたいと思う。だから別に「節約・貯金」にこだわりはない。ただ、社会人一年目という自分の肩書きのようなものをなんとかねじ込んだ結果、お金周りのテーマとなったわけだ。


「節約・貯蓄」と唱っておきながら、まだそれに関する記事を一つも書いていない。そろそろテーマに沿った記事を書くとしよう。

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