安藤理紗

安藤理紗

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千羽鶴と愛

先日とある対談で臨死体験のおはなしを聞いて、 「生きよう」と思ったこと、 そのタイミングでちょうどSNSで「千羽鶴」という キーワードを拾い 自分の中で過去の経験がリンクしたので、 書こうと思った。 中学1年生の時に、 姉が交通事故で亡くなった。 年が離れていた姉はブラジルからずっと付き合っていた人と結婚したばかりで、 事故当日、夜中に旦那さんの運転する車で京葉道路を 走っていた。 すると、なんらかの原因で旦那さんがハンドルを切ってしまい、そのまま電柱に激突した。 かなりス

    • 動機

      小学校の道徳の授業で 「いきてるって感じるのはどんなとき?」 という質問があって、 「まわりから信頼されてるって感じたとき」 と答えて、先生に「大人びてるね」と 感想をもらったのをふと思い出した。 子どもの時から人とのコアの部分と繋がりたくて なんだか必死だった。 そこにアプローチをしたくて、自分なりのコミュニケーションを重ね、 それがたとえば「信頼」というかたちで わたしに届いた感覚が持てたときはすごく嬉しかった。 そんな子どもだったゆえに 思い悩むことも多かったけれど。

      • 刹那をこえて

        ※この内容は全部きれいごとです こないだ、飲み会でわたしについて仲間が 「刹那的な感じがするんだよね」 と言ってくれた。 「刹那的」 20代の頃からかけられた言葉であるけど、 あまりピンときていなかった。 でも今やっと、自分の中を大きく占めていたんだな ということに気づかせてもらえた。 ずっと、瞬間はその瞬間でしかないからこそ味わいきりたい気持ちと その瞬間を失うことのジレンマを抱えてきた気がする。 自分が大好きだった場面を 早い年齢で失ったからかもしれない。 父にかわ

        • もうどうにでもなれ

          ※この内容は全部きれいごとです ​ これまでずっと、自分を出さないほうがうまくいくと思い込んでた。 小さいころ、生まれ育ったブラジルでは自分のエネルギーや内側のパッションをそのまま表現して形にしたりすることがすごく上手だった。 ​ わたしが笑えばまわりも笑顔になるんだーという確信があったから 毎日笑い、毎日ウキウキして過ごしていたのを覚えている。 たとえば、家にあるものや外から段ボールなどの資材を集めて車やおうちをつくったりするとか、 本当に楽しかった。 勉強も、ほかのことも

        千羽鶴と愛

          結局人と繋がるしかなかった

          自分が変わるときは必ず、 人が深く関係している。 誰かとの関わりの中で「変わる」必然性が出てきて、 「変わる!」と決めると、 結果、人に環境に「巻き込まれ」ていき、 やらざるを得ない状況が自然と出来上がっている。 もちろん自分のアクションがトリガーにはなっているけれど、 自分が「やる!やる!」と超前のめりに 自分から言い出し、川に飛び込むときは エゴが強いのか、不純な動機なのかw なぜかたいてい溺れてしまうのだけど、 渦にスッと巻き込まれたときはそのまま流れていくことに 最

          結局人と繋がるしかなかった

          私の現在地

          ※この内容は全部きれいごとです 2020年から4年間、コロナの影響もあったけど、 一部の友人と仕事関係を除き それまでの人間関係をほぼ絶った。 その間、何をしていたかというと、 ひたすらきれいごとを生きてきた。 それまでめちゃくちゃ現実的に生きてたから。 見えてるものがリアルすぎていつも息苦しかったから。 自分はなぜそう感じるんだろう? いつも自問自答していたけど、外側に答えはなくて、 結局自分の内側にしかなかった。 この現実は全部自分が作ってるって気づいた。 だか

          私の現在地