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刹那をこえて

※この内容は全部きれいごとです

こないだ、飲み会でわたしについて仲間が
「刹那的な感じがするんだよね」
と言ってくれた。

「刹那的」
20代の頃からかけられた言葉であるけど、
あまりピンときていなかった。
でも今やっと、自分の中を大きく占めていたんだな
ということに気づかせてもらえた。
ずっと、瞬間はその瞬間でしかないからこそ味わいきりたい気持ちと
その瞬間を失うことのジレンマを抱えてきた気がする。

自分が大好きだった場面を
早い年齢で失ったからかもしれない。
父にかわいがってもらうこと
唯一ずっとそばにいてくれたブラジルの
親友と離れたこと
姉と一緒にゲームしたりすること、
母親と一緒にお出かけしたりすること。。

もう物理的に2度と来ない瞬間を
嘆いていてもしょうがないよね。

人の心の移ろいやすさも、そう。
特に自分を通してその残酷さが沁みついている
部分がある。
でも気持ちの変化に伴って人との関係性も少しずつ変わっていくということだから決して悪いことではないし、自然なことなんだよね。

そんなふうに受けいれるしかないと信じている、妙にドライな部分と
その刹那に魅了されて逃れられない自分、
でもほんとうは心が痛い自分との葛藤が苦しく
感じるときがある。
苦しくても、わたしには結局、その場でしか味わえない瞬間をいかに体感するか、
そして終わったら次の瞬間にいくことが大事なのだ。
どうなってしまうかわからないけど、
いま自分が大好きな人、大好きなこと、
心を惹かれることに
向かっていくという生き方しかできないのだ。

でも、その瞬間の高揚感は2度と来ない飲み会やイベントは大好きだけど、
今取り組んでる831のイベントは少し違う意識で向きあえている。
それは、このイベントがその日を迎え打ち上げ花火のようにパーッと
終わらせるためではなくて、
終わった日からはじまることを意識しているところだとおもう。
特に運営のメンバーは、最初は不本意な部分を感じていたとしても、
今では深い部分で出来ない自分、ふがいなさを受け入れながら
何ができるのか、日々模索して行動している。
破壊と再生。。に近いのかな、
自分の思い込みを排除しながら、できないと信じていたことにチャレンジする、それを繰り返して着々と前にすすんでる。
だから、この空気感に同調して参加してくれる人も、
運営メンバーもわたしも終わったころには全然違う自分になっているはずだと信じてる。

刹那にとらわれるだけでなくて、新しい自分のためにやりぬいていく。


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