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千羽鶴と愛

先日とある対談で臨死体験のおはなしを聞いて、
「生きよう」と思ったこと、
そのタイミングでちょうどSNSで「千羽鶴」という
キーワードを拾い
自分の中で過去の経験がリンクしたので、
書こうと思った。

中学1年生の時に、
姉が交通事故で亡くなった。
年が離れていた姉はブラジルからずっと付き合っていた人と結婚したばかりで、
事故当日、夜中に旦那さんの運転する車で京葉道路を
走っていた。
すると、なんらかの原因で旦那さんがハンドルを切ってしまい、そのまま電柱に激突した。
かなりスピードは出ていて、当時はまだ
シートベルト規制も緩かったから、
たしか2人ともしていなかったと思う。

2人とも病院に運ばれたけど、
姉はそのまま亡くなり、
旦那さんは何日間か目が覚めず、
目覚めた後はたしか2ヶ月くらい入院するほどの
重症を負っていた。

目覚めたとき、旦那さんが

「なんで自分じゃなかったんだろう」

ってひたすら泣き崩れてたのを覚えてる。

姉と常に一緒だった母は、姉が亡くなったあとは
半狂乱になり、精神状態がかなり不安だった。
でも、冷静さを取り戻し、
何ともいえない表情をしながら
姉の旦那の病院に毎日通った。

つらいけど、
整理できないけど、
やっぱり家族だから。

そう言って毎日お見舞いに向かった。

わたしも何度も母についていった。
そのたびに

「ごめんね、ごめんね」

と姉の旦那に泣かれる。
辛くてどうすれば良いのかわからなかった。

その時、旦那さんのお母さん(姉の姑さん)が
ブラジルからいそいで駆けつけた。
でもこの事実が相当酷だったはず、
娘を失った母親や妹に毎日謝罪をしながら、
自分の息子の看病をする日々。
どれくらい酷だったか。その姑さんはとても優しい人で、息子の看病をしている間に心労が重なり、
病気にかかってしまった。
そのあと2ヶ月後くらいに亡くなってしまった。

目の前に起きてることが、
何もかも逃げだしたい現実だった。
何で姉の旦那さんが急にハンドルを切ったのかは
わからなかった。
感情の起伏が激しかった姉がケンカをふっかけたのかもしれないし、旦那が自分でイライラしていたのかもしれない。

原因が運転していた彼にあったにせよ、
でもやっぱり、心の奥では昔から一緒に過ごした家族のような存在だった。

そんか母が苦悩しながらも通い続けるのを見て、
何かしなければと思ったのをおぼえてる。
そして心から自然と出たのが、

「(旦那さんに)千羽鶴を折ってあげたい」
だった。

いまでもなぜ千羽鶴だったのか、うまく説明はできない。
でもたぶん自分なりに、旦那さんも、母も気持ちが折り合える部分を探してたんだと思う。
わたしなりの必死の愛だった。

それを母に伝えると
「。。うん。わかった。折ろう」
いっしゅん悩んだあと、快くそう言ってくれた。
2人でたしか7月の中旬くらいから、
夏休みも利用しつつ折り始めた。

そうすると、不思議なことが起きた。
いつのまにか母の友人や学校の友達のお母さん、
あまり知らない人からも千羽鶴が届くようになった。
決して折って欲しいとお願いしたことはなく、
なぜかわからないけど、協力したいと言ってくれる人が自然と続々と現れた。
ほんとうに気持ちがありがたくて、
すごく不思議なんだけど、
愛が流れてる感覚があった。

結局1ヶ月足らずで8月の頭には
三千羽鶴くらい手元に集まった。
わたしはそのボリュームの鶴をまとめあげ病室に
持って行った。
看護師さんには驚かれ、
旦那さんは涙を流してくれ、
母は「よかったね」と泣きながら笑っていた。
わたしのなかでは姉への気持ち、母の気持ち、旦那さんの気持ちが同時に少し昇華された感覚が
あり、はじめて、清々しい気分になれた。

そのあと旦那さんが退院すると、
母は「彼を一人にはできないから」と毎週末、
一年もの間、旦那さんを家に呼び、料理などを振る舞った。
ただ、その間はひたすら気まずい空気が流れ、
会話はほとんどなくほんとに息が苦しくなる時間だった。
でも痛いほど伝わってきた。
その一年は、旦那さんにとっては懺悔の気持ち、
母にとってはたぶん、これが彼との関わりが最後になるだろうという覚悟があった。

そして案の定、旦那さんはブラジルの実家に戻るからと、母にもわたしにも100万円を託して帰って行った。
それ以来一度も会ってない。

あの一年を振り返ると
いまも胸がくるしくなるけど、
母の強さ、愛の深さをこれでもかも
みせつけられた。

愛のあまり歪んでいたときもあるけど、
けどそんな母から愛を
たっぷり受け、
今の自分がいる。
いまも苦しいことはたくさんあるけど
おかげで愛だけはたくさんある。

どんなときでも許すということ、
人を受け入れることを
母の身を持っておそわった。

姉が亡くなって数年後、

きっとお姉ちゃんは自ら選んで
旅立ったんだよね。
うんそうだよね。

そんな会話を落ち着いて話せるようになっていた。

そんな母は長男が生まれる2ヶ月にがんで亡くなった。
きっと母と産まれてくる子どもと板挟みになるわたしをおもい、そのタイミングで旅だったんだと確信してる。
悲しさよりも愛を感じた。

これからも生きるよ、生きる。


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