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どうしても赦せない人 Day 2

1. 因果応報はあるのか

「神様、助けて!」と叫んでも、スーパーマンは現れないし、嫌な現状は突然には変わりません。人を苦しめる人が成功していたり、親切にまじめに生きている人が不当に扱われたりすることもあります。神様とか因果応報は嘘っぱちで、正直者が馬鹿を見るのでしょうか。

いえ、長いスパンで見ると、因果応報は宇宙の真理で、神は存在します。どんなに許せないことがあっても、やっぱり神はかたときも、一人一人を見ているし、この世の裁きを逃れた人も、生きている間か死後に帳尻が合うようになっているんだと思います。因果応報は、即時払いではなく、一滴一滴の水がコップにたまり、あふれたときに初めて現れることが多いと感じます。だから、悪意、悪口、嘘、無視、差別、嫌がらせ、いじめを見て見ぬふりをすることに対して、忘れたころに利子がついた請求がくるのだと思います。

なんで自分だけこんな目に、と人生を捨ててしまいたい人もいるでしょう。SNSから垣間見る、自分を苦しめた人の善人のふりをした幸せな生活に、悔しさを覚える人もいるでしょう。でも、幸せの仮面をかぶった人たちは、人に言えない不幸であふれていることも多いのです。

自分を陥れた人が社会的に成功しているのを見て、私も内心苦しんだことがあります。だけど私に嫌がらせをしていたある人が、外見からはわからない病気を抱えていることを、偶然、私は薬局で知りました。そのとき、その人への恨みはどこへやら、気の毒だと思ったほどです。私は他言はしませんが、嫌がらせをしていた私にその病気が知られて、その人は屈辱だっただろうと思います。その病気は、その人の若さから考えて、誰かにした因果応報かもしれないし、偶然そうなっただけかもしれません。同様に、過去に自分を苦しめた人が、気の毒な境遇にいることを知ったこともありました。一方、私にとっては良い友人であったのに、その友人は別の人に執拗ないじめをしていたそうです。結局、いじめを行っていたその友人は、今、大きな悩みを抱えておられます。

嫌な出来事が起きたとき、それが因果応報ではないと言い切れる証拠はないし、悪いことをすれば悪いことが起きるというのは、どの国でも共通認識です。たとえば、「カルマ」「自業自得」「類は友を呼ぶ」「身から出たさび」「自分がしたことは自分に還る」「自分が蒔いたものは自分が刈り取る」「人にすることは自分にすることと同じ」「原因結果の法則」「人を呪わば穴二つ」「この世は写し鏡」などという概念は、世界中にあります。つまり、自分が発した同種のエネルギーを自分がいつか受け取るのは、物理法則なのです。他人に負の感情を抱かせることで、自分に負のできごとを引き寄せるのだと思います。なぜなら、理不尽なことをされたら、誰もが腹を立て、本来やるべきことができなくなってしまうからです。人を苦しめるのはとてつもない罪で、必ず収支は合うように、神が因果と向上の法則を作ったのだと思います。

だから、自分が誰かにされた嫌がらせも、自分が過去世で作った因果の解消のためかもしれないのです。あるいは悪意はなかったにせよ、今世で誰かを傷つけた因果かもしれないのです。つまり、自分だけ被害者であるという考えは捨てなければならないと思いました。長くなるので他の日に書きますが、過去世と思われる記憶がほんの少しあったので、私は輪廻転生は真実で、前世今世の目に見えない因果の糸が、今の現状に影響しているのだと思います。

望みが叶ったり、九死に一生を得たりしたときは、神様はいると簡単に信じられるでしょう。でも、理不尽な目に遭っているこの一瞬も、神は全てを見ており、今世か霊界か来世で、必ず償われる日が来ます。分霊である我々には、良心のかけらがあります。悪いことをしている人たちは遅くとも霊界と来世でその償いをして向上するようになっています。すぐに報いがくればわかりやすいけれど、因果応報は、悪い行動ほど遅く結果がやってくると感じています。それは、神が与えてくれた、正しく生きることを選択させるための猶予だろうと思います。

2. 神とはなにか

海外では、神とは、キリストやアッラーのような名前を思いうかべる人が多いです。でも、日本では、八百万の神、仏や観音様、太陽や自然や宇宙、先祖霊や守護霊、あるいは何かしら目に見えないエネルギーなど、多様な種類があります。答えがあるのではなく、誰もが、信じたいように信じていいのです。しかし、誰かに題目や、洗礼や、占いを頼んでも、幸せになるとは限りません。自力解決ではなく、他力だからです。

私が考える神とは、万物に命を与え、自らは法則として君臨し、宇宙のあらゆるエネルギーの源であり、五感を越えた能力の源泉であると思います。宇宙は正確に自転公転を繰り返し、生命は自然治癒力を持ち、生まれながらに呼吸や消化や成長ができ、自然界はお互いに影響を及ぼし合い、その全てが緻密に関係しあう世界を作り上げた全知全能の存在、それが神だと思います。どの宗教にも共通する、偉大なる何か、大霊、愛なるもの、それらが神であるけれど、神は特定の儀式や教義を必要とせず、ただ存在し、我々に因果と向上の法則として自由と責任を与えているのだと思います。

神はどんなことでもできるので、その分霊である人間は、天使にも悪魔にもなれます。しかし、神は真善美であり、愛と調和と癒しを基調としており、自分が与えた分霊に対して、進化向上を促しています。つまり、人間には善と悪の選択肢が与えられているけれども、因果は必ず現れ、その後非常に苦しみ、反省し、謝罪し、改心して償わなければ、向上しないのです。私たちは、神の分霊だからこそ、どんなにつらくても、必ず立ち上がれる強さを秘め、選択する自由があるのです。

3.何を選択するのか

私たちは、常に選択しています。個人的な選択肢は、他人より自分に影響を与えます。

  • 朝何時に起きるのか。朝食をとるか、とらないか。

  • バスで行くか自転車で行くか。帰りに買い物するか、しないか。

  • 過去にとらわれて時間を使うのか、未来の目標に向かって行動するのか。

  • 家に帰って掃除するか、勉強するか、ネットをするか。

  • どこの大学を受けるか、就職するか、など。

対人関係の選択肢は、関与する他人にも影響を与えます。

  • 苦手な人にあいさつをするか、気づかないふりをして通り過ぎるか。

  • 遅刻したとき、本当の理由を言うか、言い訳をするか。

  • クラスで誰かが疎外されているように感じたときに、その人に声をかけて安心させるのか、見て見ぬふりをするか、強い方に迎合するか。

  • 友達といつ会うか、誕生日にプレゼントを渡すか。

  • 付き合っている人と結婚するか、別れるか、など。

法的制裁を免れるかどうかを別として、他人だけでなく、社会全体や環境に損害を与える選択肢もあります。

  • ネット中傷、ストーカー、いじめ、暴力など、誰かの心身を大きく傷つける行為。

  • 万引き、無賃乗車、不正受給、オレオレ詐欺など、誰かに金銭的なダメージを与える行為。

  • ゴミを分別せずに捨てたりポイ捨てしたり、食べ物を無駄にしたり、環境を汚したり、動植物を粗末に扱う行為。

これらは、一つ一つが因果応報を生み、負の感情や行為を他人に向ければ、同じ種類の負を引き寄せ、死後は同じような低い層に行きます。だから、霊性が低い人は、他人を苦しめることによって、自分をさらに苦しめることになるのです。

そのような人に、赦せないようなひどいことをされたら、恨みを持つのは当然です。しかし、恨むという選択を続けることで、恨むことがあなたの本質に変わってしまい、霊界では恨みの層に行くことになります。仕返しをしなかったあなたの霊性は、もともとが高いのです。だから、悔しさ、恨み、怒り、憎しみを、どこかで昇華させてほしいのです。きっとあなたは自分のなかで答えを見つけられる日が来ます

注記

以上は、私のブログのまとめです


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