【ニュースコラム】複雑に交錯する遺族の想い―オウムと京アニ

―情報の取り扱いについて考えさせられる話

オウム真理教の教祖で、2018年に死刑が執行された麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚(執行時63歳)の遺骨について、東京家裁が17日、元死刑囚の次女(39)に引き渡しを認める審判をした。執行前、元死刑囚と繰り返し面会をしていた次女が、引き取るのにふさわしいと判断したとみられる。

本の出版やテレビやインターネット番組に出演するなど、積極的にメディア露出しているのは、アーチャリーと呼ばれた三女である。

現在の次女と三女の距離感は不明だが、少なくとも四女は違う動きを見せている。

松本元死刑囚は執行直前、刑務官から遺体の引き渡し先を問われ、四女(31)を指名したとされる。これに対し、次女は元死刑囚の妻(62)らと連名で、妻への引き渡しを求める「要求書」を法務省に提出。公安当局は、妻が教団への影響力を失っていないとみて、遺骨が教団の勢力拡大に利用される恐れがあると警戒していた。

オウム真理教は、いちおう仏教を標榜していた。実際、仏教では、釈尊の骨が仏舎利として、いわば信仰の対象となってきた。

一方、次女側とは別に、教団と距離を置く四女側も家裁に引き渡しを求めており、四女側は今回の審判を不服として、東京高裁に即時抗告する方針。四女は「遺骨のある場所が教団の聖地とならないよう太平洋に散骨したい」との考えを示していた。

現在も名前を変え、形態を変えるなどして、オウム真理教の残党は存在し続けている。後継団体「Aleph」は、大学などで勧誘活動を続けている。そこから分派した「ひかりの輪」は、上祐史浩が代表を務め、脱麻原をアピールし続けているが、実態はまったく脱麻原とはなっていない。また、「山田らの集団」という後継団体も存在している。

この辺りは、ご存知の方も多いと思われるが、非常にやっかいなのが、いわゆる一人オウムと呼ばれている人々。彼らは、団体に所属せず、未だ説法テープなどを聴きながら、麻原への帰依をむしろ深めているという。

オウム問題は消えて終わったのではなく、現在も燻り続けている。何かの刺激を与えれば、また燃え上がる蓋然性も少なくない。麻原元死刑囚の遺骨が、その刺激になることも十分に考えられる。四女に遺骨が渡されることを念願して止まない。

こちらも、大変痛ましい事件であった。

本日18日より、事件後に初めて京都アニメーションが製作した映画「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が公開され、エンドロールに被害者の名前も表示されたとのこと。

読売新聞の紙面では、そのひとり高橋博行さんの父親が思いを語っている。かなり過酷な内容もあった。

この事件では、マスコミの被害者やその遺族の取り扱いが問題となった。もちろん、まずは遺族の方々の気持ちに寄り添うことが、何より尊重されなければならない。

しかしながら同時に、人間の想像力というのは、思いのほか働かないことも理解しておく必要がある。

被害者の方の人生や、被害の具体的状況を知って、ヒドイという感情が生まれ、受け手にようやく僅かな当事者意識のようなものが生まれる。

当事者意識のようなものを積み重ねることによる抑止効果は、決して少なくないと思う。それは、戦争体験を残すことの重要性からも明らかである。

交錯する遺族の想いを如何様に受け止めるか。

真摯に受け止めつつ、自然と湧き出たヒドイという感情を大切にしながら、また同じようなことが起こらないよう活かすこと。それが、苦しい胸中を語って下さった遺族へ報いることになるのではなかろうか。

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