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統合失調症を患って早何年?な私の曖昧記憶なポンコツ頭でゆるっと書きたいと思います。 一…

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統合失調症を患って早何年?な私の曖昧記憶なポンコツ頭でゆるっと書きたいと思います。 一番古いものから順に読んでいっていただきたいですm(*_ _)m

最近の記事

-統合失調症と私-

このエッセイ?を読んでくれた仲間の方たちが、「辛かったね、でもそういった経験があるから今の〇〇さん(私)があるんじゃないかな?」と言ってくれた。 確かに、差別的に思われることも多い精神疾患について、誰でも目に出来るよう発信するのは勇気がいることだったとは思う。 でも少なくとも、全く同じ障害では無いにしろ、そういった肯定的な意見をくれたことに関して、発信した意味はあったのかもしれない。 あとは、リアル過ぎて途中で読むのが辛くなった、という声もいただいた。自分と重ねてしまったと。

    • -統合失調症と私-

      服薬治療でこれまでずっと自分に合っている薬ばかりだったかというと、そうではなかった。 副作用で生理不順が起きたり、食欲が増して太ったりもした。主治医もあれこれと考えてくれて処方してくれた。 脂質異常がみられ、今の薬が合うまで何度か薬が変わった。その時その時で自分の回復状態もあるので、今合っていても、また段階によっては変わるかもしれない。現に眠剤(睡眠薬)は、1錠の半分(半錠)に減薬が始まったところだ。 薬が変わってすぐに合っているかいないかの見極めは難しいと思う。そういう時の

      • -統合失調症と私-

        とある朝方、夢で例の子に電話をしているところで目が覚め、母に話したら、お家を訪ねてもいいかもしれないということになった。 その日、勇気を出して、その子の家を訪ねた。 その子のお母さんに会い、思いのたけをぶちまけて、「気にしないで、お互い様だから」と言われて、長いこと胸をつかえていたものがとれた感じがした。 そして、「連絡してみて」と電話番号とメールアドレスを見せてもらった。すると、電話帳に残っていたままのものと変わらなかった。 私の方で逃げていたのかもしれない、夢がひとつのき

        • -統合失調症と私-

          発症した当時、母に連絡を入れてくれた子とは疎遠になってしまった。 その時のおかげで私はこうして今も生きていられていることを、その子に直接お礼を伝えられずにいた。 何を電話口でしゃべったか全く覚えていない、でもごめんなあ、の声が忘れられない。 今でも色々とやらかす私、少しずつ成長していけたら…と思う。 病気になって、自分だけが…と思いがちだけど、周りの人たちの力が無ければとてもやっていけない。分かったようでなかなか分からない。 だいぶざっくりと書いたので、この十何年のことは書き

        -統合失調症と私-

          -統合失調症と私-

          まとまりがないが、統合失調症は再発の可能性が高いらしい。母と3回目の入院は無いと思いたいと話している。 1回目より2回目の入院が長くなったイコール、3回目はより長くなるかもしれない、今の病気の関係で同じ病気や他の精神障害の人の入退院の多さを嫌という程知った。 調子がいいからと、処方されている薬の服薬を勝手にやめたり、自分で量を調整して飲むのはとても危険。 あと、生活のリズムの乱れ。体内時計が狂うのだと思う。 心の病は他の誰かから受けた言葉を軽く流せず、いつまでも引きずることが

          -統合失調症と私-

          -統合失調症と私-

          作業所に通う前は無気力で日中も横になっていたり、ボーっとしてうまく会話にならなかったりした。(話の途中、今まで何の話をしていたのか忘れて、言葉が出なくなる、言葉がつまるような) 通い出して、慣れてくると、自然と会話もスムーズさを取り戻せた。 訳あって初めて行った作業所を離れ、今は市内の別の作業所で頑張っている。 移るまでの間、地域活動支援センターという場所にお世話になり、現在も利用させてもらっている。 そのセンターの利用も、最初の作業所に通っていた頃、作業所からとても近かった

          -統合失調症と私-

          -統合失調症と私-

          閉鎖病棟と呼ばれる、ひと部屋に何人かいる所へ。 何も分からぬまま知らない環境に置かれ、パニック。 症状(ひとりで言葉遊び?連想ゲーム?思ったことを脈絡なく言い続けたり)と思われるもので、病棟内に置いてあったマンガ雑誌を破いて外に撒いたりもした。 保護室と呼ばれる、一人隔離される部屋にものちに2回入った。暴れた為だ。 でも慣れてくると、OTという作業療法の時間を楽しみ出したり、病棟でもミサンガを編んだりと。 入院は2回している。 2回目は薬を勝手に調子がいいからと飲まず、家族に

          -統合失調症と私-

          -統合失調症と私-

          その時の私は、パソコンのインターネットのよく分からないページを開いて、訳の分からないことを言っていた。 アパートに駆けつけた母、そして仕事場の何人かの心配になって駆けつけてくれた方々がすごく不安になっていたのがおぼろげながら覚えている。 というか必死に声がけをしてくれていたと思う。 夜中、引きずられるように救急隊の人に抱えられて、救急車に乗せられた。 人生初の救急車、そして病院に着いて先生と話すも、勝手に市内の歯医者にいると思った。 グレープフルーツのような苦い飲み薬(液体)

          -統合失調症と私-

          -統合失調症と私-

          仕事の入っている日に無断欠勤。 店長代理から電話が入るも、「死にたい」と言っていた。おぼろげ。 もちろん「え、何で?!」という反応。 電話口で泣いて、その日はそのまま休んだ。 SNSでは訳の分からない書き込みや(荒らしともとれそうな…分かるかな?荒らし。時代…)ネガティブで攻撃的な言葉などが増え、友人に電話をかけまくり、そのうちの1人が異変に気づいて私の母に連絡を入れてくれた。 彼女との電話で、その子が泣きながら「ごめんなあ、ごめんなあ」と謝られたところだけ覚えている。

          -統合失調症と私-

          -統合失調症と私-

          高校、短大と進学。 だけどやりたいことも見つけられず、友人がバイト面接に行くのに付き合ったら、私も呼ばれてバイトが決まる。 接客業だった。 当時は通っている短大が情報(IT?)系だったのもあり、パソコン並びにインターネットを始めていた。 今のようにスマートフォンは普及していない時代。 仕事が終わって帰ると、夜パソコンでネットをする日々。 SNSも友人に誘われて始めた。 そのSNSにのめり込んでいって、ある日。

          -統合失調症と私-

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          ※あくまで私のケースです。 記憶は曖昧な所も多いです。 イントロダクション ヘリコプターがやたら飛んでいて、私を監視していると思い込む テレビの登場人物が身近な人を元に演じられていると思い込む 妄想、幻覚、幻聴… 拒食(食べなくても生きられると思い込む) …などが自分の中での現実だと、何故か思い込む。

          -統合失調症と私-