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-統合失調症と私-

発症した当時、母に連絡を入れてくれた子とは疎遠になってしまった。
その時のおかげで私はこうして今も生きていられていることを、その子に直接お礼を伝えられずにいた。
何を電話口でしゃべったか全く覚えていない、でもごめんなあ、の声が忘れられない。
今でも色々とやらかす私、少しずつ成長していけたら…と思う。
病気になって、自分だけが…と思いがちだけど、周りの人たちの力が無ければとてもやっていけない。分かったようでなかなか分からない。
だいぶざっくりと書いたので、この十何年のことは書ききれないことも多い。
人と関わることで傷付いたりするが、癒されたりもまた人と関わることで生まれたりする。
私は音楽にもさまざまな場面で助けられた。
新型コロナウイルスの影響で、家の中で出来ることがあると良いものだ、と思わされた。
私には手芸や絵を描く、ゲームをする、テレビを観る、音楽を聴くなど、趣味の面で救われた。
作業所や支援センターが開所していることもまた、救いだった。
2回目の入院から退院したその後はひと月に1度ペースの通院のみ、毎日の服薬を欠かさないことでどうにか現状を維持している。体調がすぐれないことはもちろんあり、精神科以外の病院に行くこともたまにある。
疲れ過ぎた時、幻聴が聞こえるのもたまにあった。
幻聴を認識出来たのは、割と最近だった。幻覚で眠れない時もあった。
好きなことをして過ごすのも大事だが、私の場合、作業所で作業をすることで、工賃をもらい、生活リズムを整えるのも大事だと思った。
今の作業所は趣味の延長みたいな作業もあったりで、それも楽しい。
ただ、商品として販売するものを作ったりするので、時にプレッシャーを感じてしまうこともある。でもそれも、自分の為になっていると思う。

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