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夫は優しい。
私にはもちろん、家族、友だち、私の友だち、仕事仲間、まわりの人々、関わるすべての人たちに対して程度の差なく優しい。
そして海水魚たちの父としての責任感も素晴らしい。

魚はとても重い病気にかかることがある。
その一つがトリコディナ病で、体の表面に薄い膜が現れるのが特徴だ。治療をしてあげないと、どんどん弱って死んでしまう。
カクレクマノミが以前この病気にかかったが、夫は病気のカクレクマノミを淡水浴させた後、まるで外科医のような手さばきで、その子を平らなプレートの上にのせて素手で「ちょっとだけごめんね」と言いながら丁寧かつ迅速に膜を剥がしていった。
横で見ていた私は心臓が飛び出しそうなくらい緊張した。
夫は3日連続この治療?を病気のカクレクマノミに施し、見事に病気は完治した。
あれから3年経つが、そのカクレクマノミは今も元気に泳いでいる。

夫は突然コンビニスイーツやスナック菓子、カップヌードル、惣菜パンなどを買ってくることがある。
必ず二つずつ買ってくる。
「ああ〜カップヌードル、あまりよろしくないよな、スイーツは太るし」と思いつつも、実は結構嬉しい。食べる物が何もなくて空腹で困っている時に夫が買ってきてくれたこれらに何度も助けられた。
私の心の声から結末まで全てわかった上で、夫はあえてたまにジャンクフードを買ってくるのかもしれない。

夫は物をとても大切に長く使う。
仕事用に履いていた黒い革靴。
踵がすり減っては100円ショップなどでリペアグッズを買ってきて補修して履き続けた。
私が20代前半の時にプレゼントしたグレーのジャケットは20年近く着続けてくれた。

DIYが得意な夫は海水魚たちの水槽の台や、クローゼットなど様々な物を作ってくれた。
水槽の台は経年劣化したため、市販の物に替えたが、しっかりと作られたクローゼットはずっと活躍しそうだ。

料理も好きで、人を呼んで手作りの料理でもてなすことが大好きな夫。
私が今まで食べた1番美味しかった鯵フライは、夫が鯵を捌くことから始めて、1から作ってくれた鯵フライだ。
夫特製のタルタルソースも絶品だ。

まだまだ夫の素晴らしいところはたくさんあって書ききれない。
しかし夫も人間だ。
当然ネガティブな部分もある。

今までしたケンカの回数はギネスレベルだろうし、一時的に別居をしたこともある。
精神的に殺し合ったし、死を考えたこともたくさんある。
私たち夫婦を深く知っている親友たちは別れないことが不思議だったと思う。

別れる、別れないの差は何なのか?
結局自分たちが1番求めているものが相手にあるのなら、別れる必要はない。
私はそう思う。
いくらでもやり直せる。
私が夫に求めていることは優しさだ。
彼はそれを充分もっている。

地上に出てきてヨチヨチ歩いている蝉の幼虫を、「せっかく頑張って土から出てきたのに、踏まれてしまったらかわいそう」と、かなりの勇気を出して(大の虫嫌い)、木の幹にとまらせてあげたり、障害があっていつも大きな声で何かを言っていた中学生の男の子に会うたびに「オーどうした?」と明るく声がけをしたり、夫の行動に感動することは何度もあった。
私が1番好きなのは傘の話だ。
夫はある日、傘をなくしてしまった。
すごく悲しくなったそうだ。
知らない場所に置き忘れられた傘がかわいそうで、傘の気持ちになるととても辛かったという。それ以来夫はコンビニで買ったビニール傘でさえ自分の傘だとわかるようにシールを貼って絶対に置き去りにしないように心がけている。

私にも同じような経験がある。
折りたたみ傘の袋、片方の手袋。
なくして損をしたという感情はなく、落とされてしまった物たちがかわいそうで、できることなら見つかるまで探し続けたいと思うほどだった。

夫の母は夫にとても厳しかったので、夫はネガティブな思い出が多い。
しかしよく話を聞くと、いかに義母が夫を愛していたのか私にはよくわかった。
義母は料理が得意で、揚げ物でも焼き物でも色々な種類の料理を食卓に並べていた。
夫は子どもの頃、食べることに興味がなくそのご馳走をたくさん食べることはなかった。よって夫は子供の頃ガリガリに痩せていた。

夫と結婚して義母の手料理を何度かいただいたことがあるが、エビフライを出された時はびっくりした。
我が母は、大量に作ることができる天ぷらは良く作っていたが、手間のかかるエビフライはおそらく作ったことがない。
しかもそれ以外にも義母は何種類もの料理を小さな台所でせっせっと作ってくれた。
もし夫はこれを当たり前だと思っていたとしたらとんでもない話で、愛がないとこんな面倒なことは絶対にできないのだ。

結婚6年目くらいだったと思う。
もう乗り越えることが不可能だと思えることが起こり、私は義母に夫と離婚することを話しに行った。
義母は私に何度も頭を下げて謝った。
でも最後に毅然とこう言った。
「でもあなたが(息子を)選んだんでしょ?」

義母は普段そんなことは絶対に言わない人だった。
初めて義母の心の底からの言葉を聞いた気がした。
それは、息子を守る母親の思いだったのかもしれない。

結婚というのは良いことも悪いことも当然あって、お互いが同じだけ責任をもっているのではないだろうか?
もちろんそもそも結婚自体が間違っていて、離婚した方がよい夫婦もいる。

私はまだまだ当時未熟で、頭ではわかっているものの、夫を信じることができるようになるまで長い時間がかかった。
長い時間がかかったが、夫の優しさが少しずつ二人の溝を埋めていった。

直近13か月の間に私は合計半年近くイタリアにいる。
交際11年、結婚23年。
ここまで長い期間を夫と離れて暮らすのは初めてだ。

そしてわかったことがある。
私は今まで言葉ですべて解決できると思っていた。
だから納得ができないことが起こると人としての道理、常識や夫婦としての理想などを挙げて夫を言葉だけで変えさせようとしていた。

昭和以前の日本人の男性は、愛は態度で示せば言葉に出さなくても良いと思う人たちが一般的で、言葉で示さないとわからないと主張する女性たちが増えていったのだが、もちろん言葉は必要だ。「愛してる」の一言があるのが理想だ。
しかし果たして言葉だけで伝わることはどのくらいあるのだろうか?

53年間生きてきて、強烈に記憶に残っていることの数々は言葉より行動だ。
感動の言葉には行動が必ず伴う。
自分のために他者がしてくれたこと。
夫が私にしてくれた数々のこと。それは照れながら言ってくれる「愛してる」より記憶に残っている。

人を言葉だけで変えることはできない。
変えることができるのは自分自身だけ。
視野を広げて前に進んでいくと、見えなかったものが見えてくる。
前に進めば人はいくらでも変わることができるのだ。
しかしそれには自分自身の優しさ、強さ、そして周りの人に対しての感謝の心が必要だ。
自分をつねに成長させていくこと。
そこにエネルギーをかけることはとても幸せなことだと思う。
夫は私の真っ直ぐなところが好きだという。

私は懸命に何かに取り組んでいる夫の後ろ姿を見るのが好きだ。
「これでだいぶ使いやすくなったでしょ?」
夫は今までこの言葉を私に何回も言ってくれた。
愛がないとできないことを夫はたくさんしてくれている。

義母は2年以上前に亡くなったが、最後に夫と二人で北海道旅行に行き、空港で見送った私に「息子をよろしくね。あなたには足を向けて寝られない。」と言って、何度も何度も振り向いてその都度私に手を振ってくれた。
それが元気な義母との最後の時となった。 

これからの人生、まだまだ夫とたくさんのことをしていきたい。
大切な言葉はたった一つ。
「ありがとう」は人と人を温かな優しい気持ちにさせる素晴らしい言葉だ。
たくさん言えることに感謝したい。
そして、多くの日本人にとって使用頻度の低い最高の言葉は、心から言いたい時に言いたいと思う。昭和生まれの日本人はどうしても照れてしまう傾向が強い。
イタリア語なら照れずに、むしろ堂々と言えるのに。
今は帰国後の夫の手料理を楽しみにしつつ、イタリアでの総まとめをしている。

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