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「・・・・←これは何個?」
1、2、3、4。我々は意識せずとも当たり前の様に数を数える事ができる。
しかしながらこの「数」というものは世界には存在しないモノである。
「いや、何個か数える事ができるんだから存在する」と言われるかもしれない。
だが10の1000乗個や-1個のリンゴを簡単に数える事はできるだろうか?
数の概念は我々が生み出した仮想的なモノに過ぎないのである。
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ではこの「数」とは人間が生来保持している機能なのだろうか?
答えは「ノー」だ。
例えばアマゾンのある種族は1、2、3、4等の数の言語を持たず、
「多い」「少ない」の言語のみである。また、視覚的に見えたモノの数も3つまでしか認識する事が出来ない。
さらに例えば赤ちゃんに対する実験(人形の数を増減、見せたリアクションにより認識の有無を判定する)では、同様に3つまでの認識しか出来ていなかったという。
つまり「数」とは我々が成長していく過程で「学習」しているものである。
そして、その「数」は古来に発見され受け継がれているといえる。
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この「数」がどのように発見されたかを考えると、それは古代人が火を使い始めた頃に遡る。
火を使い始めた古代人は、二足歩行をする事で手を自由に動かせるようになり、必然的に調理をする様になる。それまで消化にかかっている時間や
夜の危険な時間が自由に活動できるようになり、人々とコミュニケーションをとる時間に充てる事になる。
又、これらの活動により脳の容量が増え複雑な思考を後天的に得る事が出来るようになる。
具体的には食料を蓄えたり道具を備えたり、(食料を得るため)日数を数えたりするようになるのだ。
これは他の動物では出来ない(※リス等が食料を備えるのは本能的なモノであり生まれた瞬間からできる)活動であった。
この時の計画をする為に「数」が必要であり発明されたと考える事が出来る。
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現在我々が利用している10進数やその他5進数、20進数等は5の倍数であるが、これは古代人が「指折り数えていた」証拠といえるだろう。
又、これは我々が二足歩行であり、目の前に手があった事が作用していたと
考えられている。
もし、四足歩行で歩いていたら我々は現在も「4以上」を知らなかったのかもしれない。
さて、ここまでで990文字である。と数えられている事に感謝してもいいだろう。