「お金を飲む事は出来ますか?」
我々が普段当たり前のように使っている「お金」。
何かを得たいと感じた時対価としてそれを利用していますが、
果たして「お金」とは一体何なのでしょうか。
田中 学さん著の「きみのお金は誰のため」に感化されて。
お金が生まれる前、我々の先祖は食料等の物々交換によって何かを得ていました。
しかし食料同士で交換を行うと、鮮度が異なる・価値が釣り合わないといった問題が発生します。
よって人々は「布・塩・貝・砂金」等比較的価値の下がりにくいものとの物々交換をするようになります。
※「財」「貯」「貨」に貝が使われているのもこの時の名残
ここで問題になったのは、この金の配合率を変えるなどの偽造が簡単にできてしまい、適正な取引が出来なくなってしまったのです。
よって我々はどんな時でも同じ価値を持った「貨幣制度」を作り使うようになったのです。
さて、同じ価値を持った今の「貨幣制度」。ここで考えて頂きたいのは「お金自体に価値はあるのか」という事です。
あなたがスターバックスで購入したその「オペラフラペチーノ 790円」は果たして本当に「お金」と交換したものでしょうか?
元々、お金自体はあくまでも何かを得るための「チケット」に過ぎないものでした。
にも関わらず、我々は「お金自体に価値がある」と考えてしまいがちです。
実際には「お金というチケットを使って」「フラペチーノを製造してくれている人の労働」に対価を払っているという構図なのです。
そして、再度考えてほしいのはフラペチーノは飲む事はできるが、お金は飲む事はできません。
お金によってフラペチーノを飲む事が出来ているように錯覚しますが、
実際にはその先にフラペチーノを作っている人がいるからこそ「私の飲みたい」という欲求や問題が解決されているのです。
つまりお金自体に価値があるわけではなく、問題を抱えている人がいて問題を解決してくれる人がいる。その構図が社会そのものなのです。
そしてその社会で「働く」ということは、お金を稼ぐ為ではなく「誰かの役に立つ」ということなのです。
今着ているその「服」は、今「電気が使えている」事は、少なくとも「誰かに問題解決をしてもらった結果」なのです。
そう思うと少しお金(誰かの貢献の証明)を使ってみようと思いませんか?
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