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絶望の胡麻和え

極論、あえて、逆に。何とも甘美な響きである。

皆がiphoneを使う、皆がインスタをやる、
だからこそあえて別な手段を講じる事が面白いのだ。

例えば「冬に逆に扇風機をつける」、「私は極論固形物を食べなくても生きていける」、「あえて鉄板を胸ポケットに入れる」とかが思い浮かぶ。

さて、こんな「他者とは違う」「私は特別だ」、なサイヤ人的思考だが、本当にそう思っているのだろうか?

なぜ私にとって「極論、あえて、逆に」が「甘美な響き」になるのか。それを考える。

■あえる①

高校3年生、夏。
偏差値37でオンラインゲームの「REDSTONE」を寝ずにやり続けて大学受験に失敗した。あえてだったのだ。

そこから浪人時代に入る。学習塾に通うまでの通学で英単語帳だけでは飽きるので、読書もすることにした。
逆に曲がった背骨が椎間板ヘルニアを発症した。あえてだ。

2日に最低1冊は読み漁っていた。ジャンルは恋愛・ホラー・ミステリー・雑学・ビジネスなんでもありだ。bookoffで見つけた本をひたすらに読んだ。その数およそ700冊。
おそらく、社会のレールから外れている事に対する焦りと、自分の中に何かを詰め込むことで安心感を得ようとしていたのだろう。

しかし、これは効果だった。

世界に無数にある経験・知識・言葉を本でほんの一部実感できてしまった。宇宙に飛ばされた点の恐怖感である。
同時に「私は世界を知る事・感じる事が永遠に出来ない」絶望した。

しかし結果大学には受かった。絶望しながら。

■あえる②

大学2年生、夏。成人したばかり。
世間ではお酒を飲んだり、タバコを吸ったりと未成年ではできなかった事にチャレンジするんだろう。
だから私は18禁コーナーで「エロゲー」を買うことにした。あえてだ。

そこで出会ったのが、『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』というゲームである。

『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』は、ケロQから2010年3月26日に発売されたアダルトゲーム。 モエカす以降、ケロQブランドとしては実に6年ぶりに発売された新作。「すばひび」と略される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E6%99%B4%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%8D%E6%97%A5%E3%80%85_%E3%80%9C%E4%B8%8D%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%80%9C


#noteで感想を書かれている方がいたので貼っておきます

その映像や楽曲も素晴らしいが、ストーリーはあまりにも特殊だ。多感な時期にはやらない方が良いと断言できる。色々歪んでしまう。

さて、この『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』自体にも大きく影響を受けたが、その作品内で引用が出てきた「フラットランド」と言う本に出合った。

『フラットランド』は、イギリスの教育者エドウィン・アボット・アボットによる小説である。1884年にロンドンのシーリー社から刊行された。 架空の2次元の平面世界「フラットランド」を舞台として、ヴィクトリア朝文化における階級格差を風刺したものだが、その一方で次元の本質を追求した作品となっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89_(%E6%9B%B8%E7%B1%8D)

階級風刺と共に次元に関するこの小説だが、ここでも衝撃を受けた。
本の中でこんな感じの記載があったはずだ(雰囲気だけで私の創作です)。

あなたは一次元の点Aだ。点Bが重なってきたので挨拶した。
点A:「おはよう」
点B:「おはよう、今日も小さいね」
さて、実はこの点Bは「点」ではなく「線B」だったのだ。しかし、一次元の点しか見えないあなたには、点Bは永遠に点Bなのだ。
そしてここで点Cが重なり挨拶をしてきた。
点A:「おはよう」
点B:「おはよう、今日も伸び縮みしているね」
点C:「おはよう、今日も小さいね」
さて、実はこの点Cは「点」ではなく「立体C」だったのだ。しかし、一次元の点しか見えてないあなたには、点Cは永遠に点Cだし、二次元しか見えていない線Bには線Cは永遠に伸び縮みする線Cなのである。


一度絶望していた私だが、ここでさらに絶望する事になる。

「私は世界を知る事・感じる事が永遠に出来ない」と感じたその世界は本当に全てだろうか。
点Aの私からすれば全てかも知れないが、立体Cの視点から見れば取るに足らない範囲でしかないのでは無いだろうか。

なるほど、アカシックレコードだとか、超ひも理論だとか、神だとか、幽霊だとか、錬金術師だとか、は点Aだと永遠に理解できないのか。知らんけど。

そんなくだらない事を考えながら、やはり「全てを知る事が出来ない」と感じて絶望した。
実に健全な大学生である。

■考察

さて、ここまでのあえりから、なぜ「極論、あえて、逆に」が「甘美な響き」になるのだろうか。

それはおそらく、「自身の世界外の要素」であり「線Bや立体Cの視点が得られるかもしれない」と言う期待感が内包されているのではないだろうか。

私にはまだ知れる要素があるのだと言う期待感が。

最後に、米澤 穂信さんのミステリ小説『氷菓』の言葉を引用して終わりとする。

期待っていうのは諦めから出る言葉なんだよ。 福部里志

あえてね。


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