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「不便」のすすめ

人類は進化する欲望、発展する欲望を原動力として繁栄してきた。20世紀には鉄道、飛行機、自動車等、移動の範囲を飛躍的に拡大し、半導体、インターネットの普及により、村単位の社会からグローバルな社会に急速に発展した。その恩恵はとてつもなく大きい。先進国やある程度の収入がある人々の生活は豊かになった。いつでもどこでも読める、遊べる、繋がれる。「便利である」ことの豊かさである。

その代償として、自然を犠牲にした。多大なエネルギーを捻出するために、自然資源を利用し、いわゆる地球のゴミを遠慮なく排出してきたのだ。その結果、今地球には異変が起きている。日本の猛暑や亜熱帯化が分かりやすい例だ。

次世代にこれ以上負の遺産を残さないために何ができるだろうか。子供たちが外で遊べる、遊びたいと思う世の中を遺してあげたいと切に思う。

思えば、今我々が享受している「便利さ」はなくても良いことが多い。

例えばいつでも音楽を聴けること。私自信利用するサービスだが、正直に言えばなくても良い。むしろアナログだったころ、CDの発売を待ち、テレビやラジオに好きなミュージシャンが出ることを知り、今か今かと待った日々のほうが心が高揚したように思う。文化は進んだけれど、楽しみは減ったのではないだろうか。

「不便であること」は意外に人々の生活を充実させる。なぜなら体験の価値は「今しかできない」ことによって高まるからだ。「いつでもどこでも」できる「便利さ」は、逆に希少価値を下げる。「不便さ」は機会の限定につながり、希少価値を上げる。

簡単にできないことは、それだけで価値があることなのだ。時間と手間をかける。限られた時間とタイミングで、できる限りのことをする。「不便であること」の価値と時間を楽しめば良い。それは自分でできる範囲のことをすることにつながり、不要なエネルギーを使わない。

次世代の子どもたちが自由に自然を満喫できるように、少し「不便」を楽しもう。そこにはきっと、現代人が求めている幸せがあるはずだ。

#未来のためにできること

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