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②画家だった祖父

秋田生まれの私。
祖父は日本画家でした。
私が生まれた頃はもう秋田では
有名でした。
「舘岡栗山」といいます。
(たておかりつざん)

子供の頃から絵が好きで
田舎を飛び出し京都や東京で
飲まず食わず修業を重ねたようです。

私の記憶の中では祖父はもう齢を重ねていて
大きな体を家族が支えていたイメージしかありません。
祖父がわりと偉人っぽいと知ったのは
大人になってからです。

私は初孫だったので
祖父が絵を描く時に
邪魔しても怒られなかったようで、
あぐらをかいた股に
幼い私はちょこんと座っていたようです。

賑やかなことが大好きだったようで、
記録にはおもしろいネタがたくさん
あります。
今度noteに書いてみようと思います。
明治、大正、昭和の体当たりな文化を
感じるので。

私は覚えてないのですが
祖父と私は近くの銭湯に行ったそうです。
私がおもちゃで遊んでいると
溺れかけ
それを助けようとした祖父が風呂の中で
転び
二人で溺れかけたそうです(^▽^;)

誰かに助けられて
今、ここに私はまだ生存しているみたいです。

私は子育てのかたわら
俳句を続けてきました。
まだ、納得のいく俳句を詠めないでいます。
祖父はどんな情熱で絵描きを
続けていたのだろうか。
絵を描いて飯を食うってどういう覚悟が
あったんだろうか。
時々思います。
もう会えないけど。
今の世の中
パソコンだけじゃなく
いろんな技術や材料が
発展していて、
文化という世界ももう溢れている気がします。
なんというか
人の想いを伝える方法がたくさんありすぎて
私などの俳句なんてちっぽけだなあと
思うので。
まあ、日記と思えばいいのでしょうが
やはり、長く続けてくると認められたいとか
欲が出てくるから不思議です。

おじいさんのように
好きなことして好きな酒飲んで
好きな歌うたって、好きな友達と集まれた
時代も良かったでしょうね。

好きな道を歩んだ祖父を
羨ましく思いつつ
遺伝子に期待したいです。

サトウエイコ 

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