「短編小説」学園の事件簿 第6話
第6話 先生たち江戸を走る —三毛猫の慕情—
あらすじ
仙台の私立高校二年の男子生徒が、逃げる三毛の飼い猫を追うと、猫は稲荷神社の境内で消え、生徒も消えて、江戸にスリップした。そこで大店の娘の誘拐事件に巻き込まれ、現世から高校の指導教員と担任の応援を求め、娘を救いだした。その中で昔と今をつなぐ生徒と娘の因縁が明らかとなる。
本文
六月になって雨が降った。雨は降ったが涼しくならず、高温多湿の中で、竹本成久は寝不足気味で学校に登校した。仙台の私立高校で二年生となった成久は、その日は朝から体がだるく、気分のすぐれないまま午後の授業を迎えた。昼飯を食べた後、机に突っ伏して寝ていたが、授業開始の時間が迫っているのに気づき、慌てて図工室に行こうと教材を持ち、教室の前の出入口から飛び出した。そのとたん、これも慌てて後ろの出入口から走ってきた橋中元太と鉢合わせとなった。
二人とも相手に気付きよけようとしたが、間に合わず横ざまに転がった。
「気をつけろ。廊下を走るんじゃないよ」
成久が起き上がるなり、今朝からの鬱屈のはけ口を見つけたかのように元太を怒鳴った。
「何をいう。お前が急に出てきたからじゃないか。そっちこそ気をつけろ」
そう言われて引っ込みがつかなくなった成久は元太に掴みかかった。それに元太が応戦し、くんずほぐれつの大喧嘩となった。
「おい。待て、待て、どうしたんだ」
そこに、クラス委員の通報で担任の畑石孝信先生が駆け付け、二人を引き離した。
「喧嘩の訳を言いなさい」
畑石先生が、繰り返し理由を求めたが、二人とも息が上がり、肩を上下するだけで、なかなか声にならなかった。それでも冷静になると、二人は、喧嘩の原因のばかばかしさに気付き、照れ臭そうに訳を言い、小さくなって、図工室に向かった。
放課後になって、教員室の応接コーナーのソファーに、指導教員の皆橋公子先生と畑石先生を前にして、成久が神妙な顔を見せ座っていた。
「相談って何ですか」
畑石先生が、怪訝な顔をして、成久を見た。
「はい。さっきの喧嘩ですけど、本当言うと、俺が朝からのむしゃくしゃな気持ちをぶつけたからで、元太は悪くないから。それを言いたかっただけなんだ。すみませんでした」
「よしよし。竹本。なかなか正直でよろしい。褒めて取らすぞ」
畑石先生が、相好を崩し、昔の殿さまをまねておどけると、皆橋先生が横から口を出した。
「竹本君。それだけで来たんじゃないでしょう。本当はむしゃくしゃは口実じゃないの?」
「さすが皆橋先生。聞いていただけますか」
「私を褒めても、点は上がらないけど、何ですか」
「とても妙な話で信じられないと思いますが」
成久は、そう前置きして、ゆるりと話を切り出した。
「俺は、猫が好きで三年前から三毛の可愛い奴を飼っていたんだ。とてもなついてね。学校へ出るときは玄関で見送ってくれるし、帰ればお出迎えで、何か目に入れても痛くないとはこんなことかと思うほどでした。それが、一週間前に突然いなくなり、探したけど見つからなかった」
何だ、猫かと畑石先生は、興味のない話にやめさせようかと隣を窺うと、皆橋先生が前のめりで、頷きながら聞いているのが見えた。言いだすのをやめて、腕を組んで目をつむったが、話が進むにつれて、腕がほどかれ、目が開いて、皆橋先生よりも前に身を乗り出していた。
「そしたら、三日前の下校途中に、町のはずれのお稲荷さんのところで、歩いているのを見つけたんです。パンジーと名前を呼ぶと、いや、猫の名ですけど、『ニャー』と鳴いて振り向きました。『おいで』と呼ぶとかぶりを振ったようで、すたすた境内の中に入っていきました。俺も追いかけてゆき、何度も『おいで』と声をかけたのに、その都度、足を止めて振り返るけど、まん丸いとび色の目を開け、小さな丸い鼻の下でおちょぼ口が妖しげに『ニャー』と鳴くだけで、そのまま前に歩くのです。なんだか俺を誘ってるような感じでした。白い二体のキツネの像が口を尖らし、細い目で見つめてるし、境内の小高い杉の木の枝が、うす暗がりの地面に落ちてきそうで、周りの雑木は風に揺らぎ、何だか怖くなって逃げ出したくなりました。それでも猫は歩みを止めず、小さな社の右横に進み『ニャー』と鳴いたなり、俺を振り返り、そのまま消えてしまったのです。俺は急いで、その場に駆け寄りました。そしたら何か舞い上がるような感じがして、俺は気を失いました」
「おっと。竹本そこまでだ。そんな夢の話で、先生をからかう気か」
成久の話に、半信半疑で引きずり込まれかけていた畑石先生が、現に戻り声をあげた。
「あら。面白い話だわ。もっと聞かせて頂だい。畑石先生だって、本当は面白いんじゃないですか」
両手を握り合わせ、聞き入っていた皆橋先生が、話の続きをせがんだ。成久は、両先生の顔を見比べた後、再び語りだした。
「気が付いたら、どこか知らないが、俺は夕暮れの道のはずれに立っていました。その時『誰か助けて―』との女の人の悲鳴が聞こえました。見ると、何か様子が変でした。二人の男に担がれた駕籠が一つ、両脇を男に囲まれ走ってくるのです。妙な感じに打たれ、映画のロケかとも疑いました。『邪魔だ。そこどけ』駕籠のわきの男が、何やら長い棒のようなもので俺に打ちかかりました。とっさに手元に飛び込み、得物を奪い取り、その男を、俺はけり倒しました。尻もちをついたその男は、すぐに駕籠と一緒に逃げ去りましたが、手元に残った棒を見ると、何と本物の日本刀でした。びっくりして放り投げましたが、えっ、えっ、疑ってますか。俺は剣道部ですから、その男が弱すぎたのだと思います。それでね。追ってきた町役人に神田の呉服問屋に連れていかれたんだけど、旦那は三右エ門で、女房はお滝と言ってました。どうやら俺は下っ引と間違えられたみたいなんです。娘のすみれがかどわかされ、千両を要求されたそうです。『どうか助けてください』と頼まれました。お滝は、浮世絵の女のようにあでやかで、身を悶え、さめざめと泣くのです。俺は言いました。親分に逐一伝えるからと」
「こら。竹本。何を言う。お前高校生じゃないか」
畑石先生が、己の心を見透かされた気がして、成久をにらんだ。
「へへ―。先生はいつまでも独身だから、少しは浮いた心が必要だと思ってね」
成久がとぼけると、今度は皆橋先生が騒いだ。
「親分って何よ。でたらめ言って、何なのよ」
「皆橋先生に決まってるじゃないですか」
「私は嫌よ。隣にいるじゃないですか」
「隣は、無理。子分じゃないですか」
「おほほ。何ですか。私たち。捕り物ごっこをやってるのではないですよ。うっかり乗せられるとこだったわ」
皆橋先生が現実に戻り、眼鏡をはずして、目をしばたたかせた。
「嘘じゃないってば。先生は、生徒が困っていたら助けてくれるんじゃないですか。嘘だと思うなら、お稲荷さんに来てみてください」
「いやだ。いやだ。私はいかないよ」
成久が正論をはいて懇願するが、皆橋先生がどこまでも拒んだ。
「嘘かどうかは社に行けば分かる。この際、竹本の願いを聞いて、確かめれば本当のことが分かるじゃないですか」
終に、畑石先生が折れて、次の土曜日に社に行くこととし、皆橋先生もしぶしぶ頷いた。土曜日になった。朝から曇り空で、梅雨前線が北上してきて、線状降水帯がどうのかのとマスコミが騒いでいて、西日本では豪雨が降り被害が出ているという。
「こっち。こっちですよ」
成久が先頭に立ち、畑石、皆橋の両先生が恐々とそのあとに続いた。烏がバタバタと鳴き叫び、込み入った杉の木立が天から降ってきそうで、細目のキツネの白像が見ている場所を過ぎて、不穏な思いで三人は進んだ。
「社のわきで、ここで猫が消えました」
成久がそう説明して、そこに立つと本当に彼の姿が消えてしまった。
「あっ。竹本さん。どうしたの」
皆橋先生が、そう叫んで。畑石先生より早くそこに飛び出すと、彼女が消えた。
「ひえー。先生」
畑石先生が両手を出して、皆橋先生を止めようと飛び出したら、彼も消えた。後には、騒々しい烏の鳴き声だけが響き渡った。白い二匹のキツネの像が薄い笑いを浮かべ、三人を見送った。
江戸の神田の呉服問屋で、その奥座敷に目明しの親分、お公と子分の孝それに成の三人が怖い顔で座っていた。
「包み隠さず話してみて、娘のかどわかしはどうして分かったの」
頭は丸髷、着物は緑地に朱色の牡丹柄、紺色の袴で覆い、あでやかな姿で、お公親分が金房の十手を上げ下げしながら、旦那の三右エ門を問い詰める。
「へい。丁稚の利吉が娘の買い物についていって『娘が連れていかれた』と血相変えて逃げ戻ったからです」
「逃げ戻った。それで、他には何か言ってなかったかい」
それに対し、三右衛門が瞼を伏せて言いよどんだ。
「黙ってちゃ、先に進まない。悪いようにはしないから、洗いざらい言って頂だい」
お公が、十手でトントン床を突きながら、話の先を促した。
「旦那様。早くしないと、すみれが可哀想。あーあ―」
その時、三右エ門のそばに座り、悲嘆に暮れていた女房のお滝が、切なげな声を漏らした。細面で、長いまつ毛の下で目が潤み、横目で旦那をにらみ、紅色の着物が小刻みに揺れうごいた。
「うーん。分かった。分かった。実をいうと、利吉が脅しの文を持ってきたのだけど、それには『娘の命を助けたければ、千両箱を夜になったら稲荷神社の鳥居の陰に置いとけ』と書いてました。娘の命が心配なもんで言いだせなくて」
「なるほど。娘の命ね。それで千両箱は用意したんですか」
「はい。用意してました」
「それはよかった。奴らの居場所も分からないし、ここは千両を持たせて、その後をつけて隠れがを見つけるのが先決だね。早速、やってもらいましょう。それで孝と成は奴らを見張って隠れ家を見つけてもらいたい」
「へい」
「合点」
二人の子分が頷くのを見て、お公親分の作戦が動き出した。
夜になり、呉服問屋の番頭と手代が千両箱を神社に運び、鳥居の後ろに置いた。子分の孝と成が社の陰から鳥居を見張った。
「あーあ。今頃は、親分は、あったかい布団にくるまって、いい夢を見てるんだろうなあ。それなのに。あーあ」
何も見えない暗い部屋の中で、女となった公が、無防備な自然の姿で胸元もあらわに横たわっているのを想像し、子分の成が首を振りながら愚痴った。
「しっ。今、鳥居のところで人影が動いた」
孝の声で、成も目を凝らすと、月明かりの薄闇の中で、四人の男が駕籠に千両箱を入れているのが見えた。入れ終わると、二人が駕籠を担ぎ、刀を差した二人が両脇につき走り出した。
「兄貴。連中はこの間の奴らだよ」
「この間の連中?それは後にして、とにかく追いかけよう」
孝が走り出すと、成も遅れずと続いた。半里も走ると川岸につき、盗賊は船に乗って向こう岸につき、消えていった。
お公親分が笑顔で聞いて
「大変だったねえ」とお茶を煎れ菓子を出して、さらには暖かいうどんまで振舞って、二人をねぎらった。
「なにね。借りてきたこの脅迫の文を見ていたんだけど、これお御籤なのよ。大吉で、こちこち努力すれば大成すると書いてある。何がこちこちと思って、おかしくなってねえ。よく見ればキツネの像が入っている。ひらめきました。孝と成は明日の朝早くこの界隈の版元を当たってもらいたいのよ。どこの神社か分かるかもしれない」
お公親分の指図に、孝と成は翌朝早く探索に出かけたが、一刻もすると番屋に現れた。
「親分、分かりました。版元の話によれば、最寄りの神社に頼まれたものだそうですが、それは五年前に火事でなくなったそうです。一里ぐらい北の藪の中だそうです」
孝が報告すると成が付け加えた。
「建物の一部が焼け残ったといってました」
「それじゃ、すぐに見に行ってみましょう」
お公親分の決断は早かった。速足で三人が駆け付けると、確かに雑木と藪の中に焼け残った建物が見えた。その周りに手入れのない松の木が三本、無造作に伸びていた。松の木の陰に三人がそろりと忍び寄り、建物を窺うと、何やら人の声がする。人をはばからぬ大きな声だ。
「さて、金も入ったし、そろそろ退散するか」
「そうですね。それで娘はどうするんですか」
「何、返すことはねえ。どこかで売り飛ばせば金になる」
そこまで聞いて、お公親分が子分の成に言いつけた。
「すぐに番所に駆け付け、同心の丸村旦那に仔細を知らせてきて頂だい。段取りはついているから、話したらすぐ戻っておいで」
「へい。合点」
成がそろりと後退し、いなくなった。二人になって周りを見ると、廃屋の近くには、白や紫など様々な花菖蒲が美しく、ところ狭しと咲いていた。どこからか小鳥の鳴き声がのどかに聞こえた。お公親分も子分の孝もこれから起きる修羅を前に目と耳の保養に存分に浸った。半刻ぐらいで成が返ってくると、お公親分が前に出た。孝と成が後に続いて、焼け残りの廃屋に近づくと、お公親分が、金色の房が揺れる十手を振りかざし、凛とした声で叫んだ。
「御用の筋のものだが、調べるものがある。神妙に表に出てくるように」
その声に、壊れたツタの絡んだ建物の中から、ぞろぞろ蟻が湧き出るように十五、六人の荒くれ男たちが出てきた。
「何だ、女の目明しか。先生方、少し痛めつけておくんなせい」
盗賊の頭がだみ声でいうと、三人の風体の乱れた侍が刀を抜きながら前に出てきた。
「仕事に女も男もあるもんか。つべこべ言わずにおとなしくした方が身のためよ」
お公親分が勇ましく啖呵を切ると、侍たちが刀を振り上げて切り込んできた。すると、前の二人が突然、左頬を抑えてうずくまった。見るとそれぞれに銀色のかんざしが付き刺さっていた。お公が帯の間から取り出し投げたのだ。後の一人は、子分の成に十手で首をしたたかに打たれ倒れ込んだ。打った成は、そのあと猛虎のごとく廃屋の中に駆け込んでいった。その間、子分の孝は、へっぴり腰で十手を構えているだけで動くに動けなかった。
「どうだい。かんざしのお公とはこの私、恐れ入ったか」
お公が、盗賊の頭に見えを切ると、その時
「ピー、ピー、ピー」と呼子が鳴り、丸村同心の一団がなだれ込んできた。盗賊の一味はいっせいに逃げようとしたが、その間もなく全員が捕まった。かどわかされた娘のすみれはといえば、廃屋の前で、成に手を取られ、呆然と盗賊たちが捕まるのを眺めていた。成はといえば、やわらかな小さな手を握り、黒髪は日干しのニシンの匂い、瞼の涙は塩辛く、赤いほっぺはリンゴ味、怖い怖いの声を聞き、娘の五体を受け止めて、金輪際、逃がすまいと、しっかり、すみれを掴まえて離さなかった。
盗られた千両箱も見つかり、呉服問屋の三右エ門に届けて、お公親分たちが帰ろうとしたら、思いもかけず娘のすみれが泣き出した。
「私も行くー。成と一緒に行くー」
「何を言うの。馬鹿ねえ。住む世界が違うのよ」
紅色の着物で、なよなよと母のお滝が娘を諭す。
「同じ人間で、そんなはずはないじゃない。私は必ず行くよ」
すみれがなおも言い募ると、お滝は強く娘の手を引き抱きしめた。茶色の着物で黒髪、白顔のすみれが母に抱きつき、身を震わせて、紅色の胸に顔を沈め、後はそのままで、三人が消えていくのを見るのをやめた。脂粉で埋めた白い顔を斜めにして見送っていた狐のようなお滝の細い目が、いつの間にか丸くなりとび色となって輝いた。丸い大きな目のすみれが、母親の目を借りて、三人が遠くに消えるまで見送った。庭先の緑葉の上から、青白い紫陽花の花が風に吹かれて揺れ動いた。
教員室の応接コーナーで、竹本成久が、皆橋、畑石の両先生に神妙に頭を下げて礼を言った。
「色々心配かけてすみませんでした。おかげでパンジーも帰ってきて、落ち着きました」
「いやいや。猫のことは心配したことはありませんよ」
畑石先生が本意を取り違えたような返事をすると皆橋先生が笑いを押し殺すような声を出した。
「おふふ。お世話掛けましたということでしょう」
「はい。それで、猫の名をすみれと変えたら、名を呼ぶと尻尾を振って,いや猫だから振らないか。そう。前よりも甘えるんですよ」
とどのつまりは、成久は猫の話に終始し、とどまることを知らなかった。
「言いたいのは、猫とは仲良くしているということか」
畑石先生が、持て余し気味で、成久に結論を促した。
「はい。俺は分かりました。実際にこの世には輪廻、転生とかがあるということを」
「おほほ。何を言うんでしょう。二十歳にもならないのに仙人みたいなことを言いだして」
皆橋先生は、成久の言いたいことは理解したのだが、あまりにも不思議な三人の体験を消化しかねて、できれば常識的な現実の世界に戻りたかったのだ。
「上には大学もあるし、しっかりしないとだめよ。竹本君」
「へい。お公親分」
成久が笑いながら返事すると、畑石先生が笑いだし、皆橋先生も笑った。三人の笑い声は、和やかな雰囲気を醸し出し、三毛猫の話は、他には言えない三人の秘密事項となった。
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