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完璧主義なので、減点方式から加点方式にしてみる

最近、減点方式を採用している自分に気付きました


進学校ではないけど、
負けず嫌いで常にテストの数字と戦っていた
経験が強いのかもしれません


「見た目や肩書きで判断したく無い」
と思いながら
結局はそれも考慮して判断する自分


理想(100点)が何かは
明確に言語化出来ないけど

良い大学を出て、正社員で終身雇用
結婚して、子どもがいて、夫婦仲良く老後

そんな“当たり前”を夢見て


彼氏がいない
➡︎ マイナスポイント

正社員じゃない
➡︎ マイナスポイント

仕事を決めずに辞める
➡︎ マイナスポイント


誰が決めた理想なのか

誰にとっての理想なのか

わからないけど、とりあえず減点していました



でも、実際人と話してみると
全然マイナスじゃないことに気付きました

みんな散々口では理想を語るけど
実際、綺麗に生きてる人って何人いるんだろう

案外いないんじゃ無いかと思います


そりゃ
理想は可能な限り良い方がいいに決まってて


でも、自分が生きられない人生を語って
人に押し付けてる

それは私含め誰でも

そんなに綺麗に生きる必要なんてないし、
全員が綺麗に生きられないんです

きっと

というか
その“綺麗”は誰にとっての綺麗
って感じでもありますが




減点し続けて

0になったらどうするの?
生きるの辞めるの?


って気づいたんです


仕事もない、恋人もいない

世間の役に立ててるかわからない

迷惑しかかけてないかもしれない



そんな私は生きる価値がないのか



それは違う気がしました

価値が無いことなんてないなって


親がいて、友達がいて

ありがたいことに好いてくれてる人がいる
気遣ってくれる人がいる

その人との関係はいつか切れるかもしれない


結局はひとりになるかもしれないけど


それでも私は生きる価値があるはず

価値をつくれるはず


何か出来ることがある時点で

それが何の役に立つかはわからないけど

プラスに変わりはない気がします


というか、
理由なんていくらでも付けれるから

私が生きる意味は私が勝手に決めるもので

誰かに決められることでも
相対して評価することでも

ないのかなと思います


生きててえらい!

寝てえらい!
起きてえらい!

鬱の時に学んだことを活かして

加点方式で生きることを
許可した方が良いのかもしれません


幸せって考え方次第だし、

人によって違うし、

誰かを犠牲にして存在するものでは無い
気がしていて



自分に甘くしたら

何も出来なくなる気がして怖いけど

私はそんなことを許さないはずだから

人間最低限度は保てるはずだから

(というか、
保てなくても生きる価値はあるはずだから)


これからは

「人もえらい!自分もえらい!」の精神で

良いものは良いとも素直に言えるように
していきたいです


100点が上限じゃなくて、

110点でも1,000点でも
10,000点でも

上限なんて無くしていきたい

何点とれるかを楽しんでいきたい⸜(๑⃙⃘'ᵕ'๑⃙⃘)⸝⋆︎*

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