私の成り立ち
今日は「哲学」の授業を受けた。
「私」とはなにか❓
私は私であるという授業だった
要約するとそうなるが
ディカルトやカントの考え方の思想など
含めて考えていて社会学を学ぶとまた
違った思想があって面白い
何より貧困を体験した頃のコンプレックスというものがだんだん消えていって
そんな私も私であると思えるし
人間が狼のように噛み付く理由も
人間とは何かの問いの中で探し求めてる理由も
私は「人間」は「コンプレックス」の塊なんじゃないか?と考える。
「コンプレックス」があるから「私なんか」という言葉が出るし「自己承認欲求」を満たそうとSNSのいいねやフォロワーの数で競ったりする
でもその奥の裏には「嫉妬」や「人間」という恐ろしい生き物のこの格差社会や
選ばれないとこの年齢には売れないと
という気持ちが相まって邪魔してるように
みえるが人間は本来自由なんだと思う
誰に縛られることもなく生まれた場所で
人間関係を構築したり恋愛をしたりできる
でもそこに「神」という善良なものがいて
人間という不思議な生き物が誕生したのは
「神」の加護があったから、とか
宗教だったりでその国の思想を作っている
でも日本人である私は
ただの私という個人の日本人で
そこに色々なごちゃ混ぜだいじめとか
そうやって人をぞんざいにみたり
蹴落としたりすることが普通にあると考える
そう考えるとそういった
承認欲求から離れて「人間とはなにか」
みたいな「哲学」的思想にはまるのも
悪くないと考える
「我思う故に我あり」も読んでみたいとおもう
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