もうはんぶんの、月はどこへ。

よし、金曜日が終わる。

昨日有給だったため、職場のあれこれを確認。
心配なニュースが耳にはいる。

同僚に、昨日のわたしにまき起こった、詐欺の一件のはなし。
一笑いする。

もそもそしゃべって、わらって、仕事を開始する。ここで飲むコーヒはうまい。
昼間は出前のお蕎麦を堪能。
梅納豆そば。
ずるずると音を立ててすする。うますぎて、目をつむりながら食べる。うまくて、うまくて、一生なくならないでほしい。納豆と梅とそばの絡み合った関係。あっさりしていて、それなのに、粘着。とにかくうまい。毎日そばでもいい。

月末が近くなっていることもあり、一気に仕事が煩雑になるけど、いつも通りで大体の目処をたてながらこなす。

何年前は、8時9時までなんでか、働いていて、バカだった。なんでも自分でやろうとしていたし、単純に業務量が多くて、なんでわたしの仕事なのっていう、委員会の資料や会議の資料の作成までやっていた。
できる人だと、思われたいとか、そういうのが透けて見える。

もう、あんなバカな真似はしない。ちゃんと自分の意思を伝えて、おかしなことには、声をあげたい、と今さら思っている。ごめんね、あのときの小さな家族を思い出すと切ない。

誰かに、言われたことをやろう黙ってやろうと思っていた。それがわたしの役割だと思っていた。
幼い子供たちに、寂しいおもいをさせた。でも、仕事逃げ場であったこともある。

道で小さな子供を見ると、わたしの小さかった家族を思い出す。保育園のお迎えも、いつもギリギリの延長保育だった。

日記を書くようになって、自分の心は安定したように思う。定点観測ができるのだ。
ままならない気持ちも、誠実に書くことによって解体され、自分にしかわかり得ない形、過去から響く、自分自身の声からの気付きにより、きっと、癒しの作用をもたらしているのだろう。

帰り道のバスのなかで、「優しい地獄」を読み進める。かすみがかった幻想的な風景が、わたしの頭のなかに広がったり、ふいに、現実に連れ戻されたときに感じる力強い著者の言葉に、頼もしさを感じる。

途中下車して、歯磨き粉探しに、スーパーとドラッグストアを行脚。
つきが、見えた。半月だ。
秋の夜はどうして深いのかな。

いつも使っている石鹸歯磨きが売り切れていて、浮気しようと思ったけど断念し、移動の途中にある、書店へ。ニマニマしながら、新刊のコーナーを。
並んでいる本を見ると勇気が出る。この世の喜びよ、の装丁をみて、前に読んで号泣して顔がむくんだことを思い出す。

雑誌を立ち読み。ユリイカの大江健三郎追悼の号の、市川沙央さんの寄稿に、なんかわからん打ちのめされたことを、思い出し、いつも、ああわたしは、こうやって、本の間にいるなと思ったりする。
 ファッション雑誌は読まぬから、

○GINZA特別編集 一生もの、本と映画と音楽とアート (マガジンハウスMOOK)

こういう企画は楽しくてつい買おうかなと思うけど、我慢する。金の余裕がないのだ。
皆軽やかに生きている、と、ため息。嬉しいため息なのか、悔しいため息なのか、わからない。
嫉妬、は感じない。
すると、植本一子さんが、すごくシンプルな感じで登場した。
ああ、また出会ってしまった。
昨日の夜、コロナ初期の頃の号で、クロワッサンを風呂のなかで読んでいたら、植本一子さんが、またわたしの前に現れたのだ。

もちろん読んでいたけど、全然覚えていなかった。
でも、きっと、積み重ねられた頭の片隅の気になる気持ちが、今、彼女の本を貪るように読んでいる理由なのだろな。

雑誌を閉じて、出どころがわからない誇らしさを抱えて、本屋をでる。

違うドラッグストアに移動。石鹸歯磨きが割り引きされていてラッキー。で、アクアフレッシュのヴィーガン対応の歯磨き粉が売っていて。安かったので買う。あと、パック。顔の艶を保ちたい。ないけど作りたいつや肌。豆乳ラボの、三十枚入りの。
パックは、MEGUMIの影響で。そこしか真似できない。

またバスを待つ。

空気は固く、澄んでいる。暗い寝床みたいに。
わたしの足取りと、少し吹いてきた風、ああ、秋が、やってきた。とうとう、やってきた。

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