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魂の流れゆく果て。イクラは固かった

金曜日は蕎麦の日なので、お昼を気にせず出勤。

上役の方に、来月くる実習生のオリエンテーションのための資料を作るように依頼されていて、パワーポイント作るの大好きなので、わくわくしつつも、月末最終営業日って忙しいから、久々に心して、職場に向かう。

 わが職場で起きるあれこれを海に例えてみると、今は荒れている方。
 漂着した、不発弾とか、汚染水の入った瓶、切実な手紙が入った瓶が、波打ち際にたどり着いては、また沖の方へ流れていく。
 そんな感じ。 
大きな津波が、来るかもしれない。
そんな気配が、あちこちに感じられる。

 オリエンテーション用の資料は、ボリュームがありそうで、ざっと半日作って確認して、夕方までにできそうだと踏み、朝から非常に速いスピードで作業するよう心がける。その間、いつものルーチンワークとか、あと、膀胱の違和感がまだ続いているため、トイレにこまめにいく・水分摂取を忘れない。
 お昼は、蕎麦。久々に、ぶっ続けで仕事したので(普段はペース配分を意識しているので)逆に頭がギラギラのメラメラとなってしまい、ずっとランニングしているような、興奮状態のまま食事。

 蕎麦を一口すする。 うまい。うまいまいうまうい。
目をつむる。蕎麦が在ってよかった、ありがとう、美味しい。
野菜のてんぷらと、今日は濃い味な気がするツユの、協奏、舌が鼓を、鼻の奥に抜けるワサビ、強い、涙、ここは一人だから思い切って、芸人のように、「からああああい!」とリアクションを一人でとった。
ワサビの塊を食べたため、五感がさらに研ぎ澄まされ、全身で蕎麦を堪能する。 
シイタケのてんぷらを最後に残しておいて、ツユに浸って、でも衣の歯ごたえを失わない健気なキノコ類
(家族が食べないのでキノコ類が食卓に上らない)噛むとムチっとして、うまさの塊だったキノコ、キノコ、キノコをもっとおくれよ、キノコ……。

 濃い味だったので、ツユを控えて、食べながら読んでいた、梁石日の
「魂の流れゆく果て」を読む。「もぬけの考察」は、あと少しなんだけど、今日はこちらを鞄に入れてきたのだ。
 出自や時代、そして幼少期を過ごした場所。飄々としているのに、血生臭さが流れる文章で、わたしは彼の書くものが好きだなと思う。
 言葉を紡ぐこと。紡がれる言葉に、心を動かされること。
 僥倖だ、僥倖だ、と思いながら、昼休みは終わっていく。

 パワーポイントはすべて出来上がり、レイアウト・誤字脱字・印刷して確認の作業が待っていたため、早めに休憩を切り上げる。
 九月が本当におわるのか。
自席から見える、神社の森の紅葉はずいぶん進んでいた。

資料作りは終わったが、昼間に残していた作業などを整理するため、残業。久々に、一人きりの部屋の中で残業。
 実家の母から連絡が来ていて、またイクラを漬けた、あと海鮮が安くて珍しかったから夜ご飯を食べに来るようにと連絡。
 遅くなることを伝え、母のラインの文章が威圧的に感じることについて、自分なりに考えながら、仕事。
 急がないけど、残すと溜まる系の作業を来月に持ち越し、バスの時間まで、小説を書く。
 今まで、人物の相関図とか、年齢・経歴などのプロフィールをノートにまとめて(似顔絵付きで)(もしくは芸能人なら誰々みたいなー)(身近な人ならこんな性格ー)とかやっていたんだけど、無駄だったの? っていうくらいに、最近では小説の中の人物がするすると喋りだしたりする。

 これは、危険なことなのかもしれないが。

ぎりぎりまで執筆、ダッシュで着替えてバス停へ走る。梁石日の続きをめくる。

『あくまで文学の真実を信じていたからである。その根底には、文学は民衆の側に立つという信があった。民衆の側に立とうとしない文学を私たちは信じなかった』

 文学を信じる。
わたしは、文学を信じているのだろうか。でも、わたしが書く小説は、わたしが信じたものを書かなければならないし、誰かを、糾弾するものであってはならない、と思う。

 生きてきて、大きな失敗を何度もした。立ち直れないと思うことも、失敗未満の些細なことに傷つきながら生きてきた。
 
 そんな時に、いつも本があった。もちろん、読めない時期もあった。けれど、本はいつも、わたしを待っていてくれる。
 誰にも、待たれなくても。
 焦がれるように待たれて煩わしい時でも。本は、静謐な激しさを、頁の一枚一枚にひた隠しにしたまま、わたしを眠らずに、待っていてくれた。

 だから本が好きだった。
 胸を波打たせる言葉に出会うたびに、本が好きでよかった。本があってよかった、そう思う。


 バスを降りて、実家へ。家族の一人は、パソコンでソリティアをやっている背中でふりむき、『おかあさん!』と嬉しそうに笑ったと思う。
 
 母が遠くの海鮮が充実しているスーパーで仕入れた、生のマグロや、筋子でイクラのしょうゆ漬け、茄子レンジ煮びたし、マグロの尾の煮つけ、キュウリの浅漬け、などで夕食をごちそうになる。

 いくらは、皮が固くもう時期を過ぎたのかもしれない、と母が言った。
 父も食卓に着く。
 父との関係も、また我が家を語るときに要になっている。
 久々に見た父は、少ししぼんだ風体をしており、目が少し濁っていた。
 髪の毛は、汚く伸びており、思わず「髪切らないの?」と尋ねる。「切ったら、なくなっちゃうから、切らない」と父は答えた。それでも、まだ働いているのだ。八十近いというのに、信じられないけれど。
 父の生き方は、独特だ。誰とも交わらないのだ。だから、胸の内を知るのは、父自身だけだと思う。それを、良い生き方だと父の事を認め、いつか肯定できる日が来ると思う。
 それは、父が死んだ後だと思う。

 わたしは、ボランティアを今まで何度かしている。
 その中で、生活困窮者や路上生活者への炊き出し活動なども、何度か参加している。
 わたしは、家族を愛するのと同じくらい、憎んでいるような気持になることがある。
 どうして、あの時助けてくれなかったの。どうして、話を聞いてくれなかったの。もっと、真剣に向き合ってくれなかったの。
 
 ボランティアで【助ける・支援する】人びとと、わたしの家族になんの違いがあろうか。
 他人に施して、身内には複雑な思いを抱いている。これからも、まだボランティアを続けるつもりだった。簡単に答えを出す問題ではないだろう。

 そんな思いをずっと抱えている中、職場で読んだ「精神看護」のとある記事の中で、ヒントにがあったから、今度借りてきて読んでみようと思った。生活保護の本丸に迫る、という号だったはず。

 ご飯を食べ終え、姿見で自分の体を見て、ガクゼン、味覚の秋の効能がてきめんに、つぶれた樽のような、わたしの体が鏡に映っていた。


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