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さよなら古い衣

 いよいよ、新年に。

 実家で、といっても近所だけれど、紅白などみて、手巻き寿司の食卓を囲んだ。わたしは、ローストビーフをつくった。とても、上手な仕上がりで、湯煎調理が危険らしいとネットの記事でみかけたため、オーブンを低温にして作ったのだけど、とてもうまくいったのだ。今度からこの作り方でいってみよう。あとは、昨日ちょこちょこ作っていたものもあって、大掃除の合間と、母と兄、それにわたしの家族、六人きりの正月。

 これが、一人かけて、二人かけて、というのが人生だなと思った。わたしは、いつも喪失を望んで居るみたいに、感傷的で、幼い。頼りないから、本当にいつも宙に浮いているみたいに、現実と折り合いをつけている。たぶん、逃げながら、立ち向かっているんだと思う。大袈裟なのは性分だから。

 一昨年は、クリスマスに親戚が来たけれど、それがすごくにぎやかで、わたしは昔から、親類の集まりがこそばゆく、そのときもうんと大人になったはずなのに、なんだか居心地がわるかった、それは、嬉しさの証なんだけど、でも人前で旨く振る舞うことが苦手で、変に、きおってしまったりする、しかし、きっと大丈夫、わたしは立派な大人だったから。割と上手に役割を果たせていたような気がする。

 昔から、とか辛気くさい話が多いけれど、新年に何か目標とか、区切りとかつけたがったりするタイプなんだけど、今年はそれはせず、黙って内側の声に手を引かれていこう。

 それも、一種の目標だから、もともこもなし、けど、よりゆったりとしたイメージがわたしの頭の中にある。もうひとつあるのは、むなしさだ。

 自分の家族との関係や、自分の親とか兄弟との関係にたいして、納得いっていない。

 人との関係に、納得も何もあるはずがない、と書いていて、自嘲してしまう。

 去年の前半の暗さが、また戻ってきたような予感がするのだ。

 さて、暗さこそ、わたしの武器である。だから、輝く暗さを盾に、見えぬ敵に向かっていく次第だった。

 家族の要望で、音楽番組ばかりみているせいで、才能を目の当たりにする機会が多く、美しくゴム人形みたいに踊ったり歌ったりする人々の姿に、苦しくなる。

 年をとれば、この気持ちを失うものだとばかり思っていたのに、どうやらちがうようで、失ったものや持たずに成長したものを、数えるばかりで、わたしの弱さがここにありけり、と理解はしているのに。

 美しく生まれ、美しく歌い、もてはやされ、はやしたてられ、そう生まれなかったものの、運命は。

 

 さて、新年だ。今年は、駆け抜けるだけの一年にする。

 人に流されない。

 そして、わたしの物語には、思う存分翻弄されよう。

 人を助ける。

 本をたくさん読む。ただ、刻むように生きていこうと思う。 

 

 

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