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神様が1年間の余分な寿命をくれるなら、「勉強」と「スポーツ」のどちらをやるほうが結果を出すのに効率が良いか、中学で習う関数を使って考えてみた。

Y=aX+b   ‥‥①
Y=aX^2+b  ‥‥②
①式は中学校の時におそらく習うはずの1次関数です。
同様に、②式は中学校の時におそらく習うはずの2次関数です。

私は今は医学部で勉強しています。世間一般のイメージでは医学部に入るような人は理数系が得意なんだろうと思われがちですが、数学が苦手な私のような例外も実はいます。ほとんどの人は数学が一定程度のレベル以上にできるからこそ入学できているのですが、私はお世辞にも数学が好き・得意とはいえない人間でした。

日本の義務教育では中学数学で関数を学ぶと思いますが、当時のやさぐれていた私は「なんでこんなことしないといけないのか。」と思っていました。「変数Xに任意の数値を入れるとYが計算される、だからどうした。そもそも任意ってなんだ。」という感じでした。

今となって考えると、関数は人生においても非常に大事な考え方だと理解していますが、当時の私はこの計算が何の役に立つのかわからず、その解釈を考えようともしなかったのかもしれません。だいぶ昔なので細かいことは忘れましたが。

私の話はさておき、
スポーツと勉強どちらがいいかという話に戻ります。
人生はこれ以外にもやるべきことは沢山あると思いますが、話の都合上この2つに絞っていくことをご了承ください。

スポーツの能力をごくごく簡単に表現するために、それを「筋力」に置き換えて考えることにします。当然スポーツも頭脳や動作のテクニックなどその他の要素が必要ですので、ここでは単に人体の構造的な話として聞いていただければ思います。

人間の運動の基本となる筋力は、随意筋である骨格筋の収縮によって引き起こされています。骨格筋は文字通り骨格にくっついて、骨格を動かす筋肉です。骨Aと骨Bにくっついて、筋肉が収縮することで骨Aと骨Bを繋ぐ関節が屈曲・伸展することで体が動き、それが「運動」と表現されます。
ここで筋肉の出力を考えます。すると骨格筋では点Aと点Bを結ぶ線上にA⇄Bの求心性の出力が起こることがわかります。筋細胞のことを筋線維とも呼びますが、実際のところ、筋力は点Aと点Bの間で筋線維が束になって出力されます。つまり、出力としては並列な筋細胞によるパワーのということになります。
筋細胞のパワーがそれぞれ1と仮定すると、筋C+筋D=2となります。
(骨と混同しないように筋をC・Dとしました。)

一方で、勉強や学習の基本となる神経細胞はどのように配列しているでしょうか。神経細胞は電線にも例えられますが、神経細胞は何かを出力する際に筋肉のように、それ単独で完結する出力ができません。具体的には、情報伝達をする際に、いくつかの神経を乗り換えて情報を伝えていきます。この神経と神経のつなぎ目をシナプスといいます。シナプスは結構有名な用語なので、ご存知の人が多いかと思います。このように神経は、直列の性質と並列の性質を兼ね備えていると考えることができます。神経はこのように縦方向だけでなく、横や斜めなどに繋げることができ、これを全体的にニューラルネットワークと表現しています。

これを最も簡略化して表すと
神経A→神経B
神経C→神経D
この2つの直列な回路と2つの並列な回路があると考えることにします。
情報としては初期の状態ではA→BとC→Dの2通りしかありませんが、神経細胞は可塑性を有しているので物理的に形を変えて新たな結合点を作り出すことができます。適切なトレーニングするとA→DとC→Bという新たな伝達経路を作ることができるようになります。実際は、空間的に他の神経が多数密集しているため、ここに書く以上にバリエショーンが生み出せると思われます。

まとめると、筋肉の出力は和で表され、神経の出力は積で表される。
ということになります。

冒頭で1次関数と2次関数の例を出したのはこれを言いたかったからだったのです。まずは、ここまで読んでいただきありがとうございます。

もちろんこれはかなり単純化した話なので、他の要素も考える必要がありますが、簡単に表すとこうなるのではないかと私は考えました。

どちらも共通ですが、傾きaはトレーニングの効率、質、やる気などの変更可能な要素になります。aを高めるとYの成長到達点まで早くたどり着くようになります。また、切片bは持って生まれた能力とでも言えるかもしれません。そのため、bが大きければより少ない労力で目的のYに到達できるのがわかると思います。

運動に関しては、筋肉の容積に限界があることからもお分かりの通り、出力には限界があります。そのため、実際にはシグモイド関数とかミカエリス-メンテン式で表す方が正しいかと思います。初期では一次関数のように能力が伸びるのですが、伸び続けることができないのです。つまり、運動能力は必ず頭打ちになるということです。

筋力は限界までいくとプラトーになる証拠として、以下の2つの例をあげます。
・メジャーリーグで昨年61年ぶりに更新されたロジャー・マリスの年間61本塁打を塗り替えたアーロン・ジャッジの年間最多本塁打は62本だった。(ステロイドを使っても、マーク・マグワイアが非公式の記録として打った70本が限界だった。)
→60年たってやっと1本更新
・陸上だと、60年前の1960年頃の100m走世界記録が10.0秒。現在はウサイン・ボルトの記録した9.58が最高記録。
→約50年で0.4秒の更新

このように、少しの時間でメジャーリーガーが年間100本打てるようには到底ならないわけです。もしこれを達成するには、身体的な要素以外の何らかのブレイクスルーが起こらないとあり得ないことだと思います。

次に学習に関して考えます。
学習に関しては、まず個人レベルで説明してみます。
学習の一例として、日本人の年齢別の一般的な語彙数の獲得の推移を考えてみます。以下にデータがあるので、参照してください。
このサイトでは、このように書いてあります。

小学生から国語を伸ばす習慣(1)|徳島国語英語専門塾つばさ (tokushima-tsubasa.com)

引用部分
「このデータは、東京のある教育研究所の調査結果です。このデータを頂いた時、非常に背筋が冷ややかになったことを覚えております。標準の中3生の語彙数と、最上位の小4生の語彙数がほぼ同じなんですよ!?衝撃的ですよね?」
生データをみていただくとわかると思いますが、このサイトの筆者が言う衝撃より遥かに背筋が冷ややかになることがあります。
語彙数=Y
年齢(歳)=X
の間に、Y=100X^2
の関係があるではないですか。20歳でだいたい獲得単語数が4万語になるというデータがありますから、Y=100×20×20=40000ということで、だいたいこれで説明できるのではないでしょうか。私はこれを発見した時、震えました。

集団レベルでは、どうでしょうか。
学習は新しいテクノロジーを生み出し、人々の生活を豊かにします。60年前の世界と現代では、技術革新が起こり、大幅に便利な世の中になりました。ここは技術のレベルを定量化して比較できないですが、この主張に対しては誰も異論はないかと思います。とにかくレベルが異次元に変わっています。

これが、私が説明したかった、学習のアウトプットは構造的に2次関数で表されるというところの説明です。

余談ですが、この単語数を二次関数で表現できることを私がひねり出した経緯を説明します。

私は、医学部学士編入を受けるまで、いわゆる本格的な受験勉強といったものはしたことがありませんでした。大学も推薦入学で、英語も食わず嫌いのまま社会人になり、医学部受験の段階に来ました。医学部受験では当然ですが、英語の能力が必要とされます。私は、英語が嫌いでしたし、英語の能力がおそらく相当低かったと思います。しかし、医学部に入るためにはどうしてもその能力を獲得する必要がありました。
そのため、まずは単語を徹底的に覚える必要性を感じました。その理由として、人間が発達する上で、まずは言葉を一つ一つ覚え、徐々に連結して文法的な知識を身に着けていくからです。英単語数を増やす前に、通常、単語はどのようなスピード感で増えていくのか調べる必要がありました。日本人が年齢別にどの程度語彙数を増やしていくのか確認した上で、自分の学習を考える必要があったのです。そのため、それらの数値をエクセルにデータを入力した時、このY=100X^2が浮かび上がったのでした。

私の時間Xは限られていました。そのため、傾きaを最大化するための工夫をする必要があるとわかりました。その後、努力の甲斐あって半年後には中学レベルも微妙なくらいだった英語をTOEICでスコア800を取るまで進化させることができたのです。

ここまでくれば説明が不要だと思いますが、1年どちらかをやる時に、より効率的に結果(アウトプット)を出せるのは生理学的に考察すると「学習」だと結論付けられます。

筋肉と神経の性質上、筋肉は興奮から収縮まで時間的な制約(タイムラグ)が生じますが、神経の出力形式は興奮の伝達または抑制のみなので、スピーディーであり、これも神経の出力が筋肉の出力よりも有利である一つの理由になると私は考えています。これは、学習で必ずしも手を動かす必要がないことも示唆しています。極論ですが、学習では、頭の中で論理的に説明する経路を想起して、その思路が形成されればそれでおしまいです。単語を覚える際に、筋肉を動かして文字を起こす必要がないのは、その動き自体にあまり意味がないのと、最も重要な点として時間のロスにつながるからだと私は考えます。

これらより、勉強(学習)もスポーツも忍耐強さは必要だが、
学習は、短期的でもドラスティックな変化を見込める。
スポーツは変化するまで時間を要する。
野球未経験の30歳を超えたおじさんが、1年でアマ・プロ野球選手を目指しても到底無理だけど、医学部は行けた。という感じです。プロフィールにも書きましたが、実際は2年かかったのですが、、、笑

ここに書いたようなことは、言語化できなくとも生きていれば直感的に誰もがわかるような話だと思います。私は、この何とも言えないふんわりとした直感を言語化できた時に勉強の楽しさを感じられずにいれません。

今日は熱くなって4000字を超えるような文章になってしまいました。
本当は、私はこんなことをしている場合ではないのです。卒業試験が6月に控えているので、そろそろロングバージョンはやめて、ライトなネタにして無事卒業できるように勉強を始めていきたいと思います。

それでは、ごきげんよう。

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