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197、介護は、そのひとからの贈りもの

久しぶりに、母と歩いたウォーキングコースを歩いてきた。

母がいつも、一生懸命になって、歩く練習をしている顔を思い出す。

陽も長くなり、19時ごろだとまだ、群青色の空がきれいだ。

あの頃は母と、毎日、午前9時ごろ、その道を腕を組んで歩いていた。

ぼくは、とにかく、一人になれる時間を確保するため、朝6時ごろ起きて、自室で文章を書いていた。7時ごろになると、階段を降りてくる音が聞こえてきていた。母が目覚めた合図だ。母が勝手に外へ出ていかないように、ぼくも、支度する。そして、まず、トイレへ向かう。母のお腹を「『の』の字」にさすり、便を出してもらう。母の便は、いつも規則正しく、それにトイレ介助は、仕事でも、嫌ってほどしていたので、嫌悪感はなかった。出ないときもあったが、大抵は出ていた。

トイレが終わるとやることがなくなり、ぼくたちは、また布団に戻る。

音楽をいつも、かけていた。母は、ジャズが好きでも、嫌いでなかったが、ぼくの趣味でかけていた。

朝9時になると、決まって、ウォーキングに出かけた。母は、嫌がったりもしていたが、ぼくが力づくで、外に連れ出していた。

春、夏、秋、冬。習慣にしていると、結構、母も乗り気になっていた。

ウォーキングコースは、普段、人通りの少ない道。途中の自販機で、いつも、ジュースを欲しそうにする。帰りまで、近づくと、牛乳屋の自販機があるので、「そこでええやん」とたしなめていた。


母との毎日。すごく貴重だった。あの時は、悩みばっかり増えていたけど、「介護は、そのひとからの贈りもの」。介護施設で働いていたころ、看護師さんから教わったことばだ。意味は、その時、ぼんやりとしかわかってなかったけど、いまなら、はっきりとわかる。

母がぼくに、仕事を与えてくれていたのだ。

仕事というのは、大切で、何もしないでぼやぼや過ごしていると、体がなまっていく。ぼくの仕事は、母の認知症の進行を遅らすこと。なんて、貴重な仕事なんでしょう。頭をかなり、悩ませていたが、あれほど、ひとのためを思って生きたことはなかった。


ありがとう!お母さん。     

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