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2008年インド旅 アーグラー編

Googleドライブの整理をしていたら過去の日記が出てきたので、加筆修正してノートに

2月5日〜2月8日 アーグラー

皆さんこんばんは

アーグラー今回も長かとです。日本のビール旨かとです。でも、キングフィッシャービール懐かしかー

その日は何故か目覚めが良かった。たぶん、インド初の列車の移動に緊張していたのだろう。
時間は、5時。窓の無いホテルの部屋は真っ暗で何も見えやしない。携帯電話の明かりを頼りに照明のスイッチを入れる。

ホットシャワーと言い難いぬるま湯で、顔を洗い、歯を磨き、髪型を整えた。インドではワックスなんて1回も使わなかった。
電気剃刀で髭を剃り、約束の時間に1階上のアマグチさんの部屋をノックした。
僕がノックしたのと同時にアマグチさんの携帯の目覚ましがなった。

後で気づいたが、僕の時計は少し進んでいたらしい。

僕は、部屋に帰り荷物をまとめフロントに下りた。
フロントでは従業員が床で2人、ソファーで1人寝ていた。

カルチャーショックだろ!ホテルのフロントマンとボーイが床で寝てんだぜ。

僕は、なるべく起さないようにそっと歩き小声で「チェックアウト プリーズ」と、囁いた。
初のチェックアウト。難なく、終了。

インドでホテルに関しては何も問題がなかった気がする。

お金の面に関しては、って事だが。

クリケットの試合がテレビから垂れ流されていた。しばらくすると、アマグチさんが降りてきた。

英語の堪能な彼は、僕のそれとは違ってスマートにチェックアウトをこなしているように思えた。

僕たちは、早朝のメインバザールをくそ重いバックパック背負って靄の中を歩いた。朝のメインバザールの道は広かった。

昼間はすれ違うオートリクシャーを避けるにもギリギリだったが、店がすべて閉まっている通りはやけに広かった。

朝靄の中暗がりの中、掃除をしているインド人。
インド人は掃除なんてしないのかって思ってた。
それぐらい汚れている町並み。
後で判った事だが、掃除をするカーストとの事だ。

早朝にもかかわらず、人であふれるニューデリー駅。

僕はNO.1Prat Form、アマグチさんNO.12Prat Form
僕たちは、プラットフォームでお互いの写真を撮り、硬く握手をして分かれた。彼は、きっと良い人だって思った。

僕は、彼が居なかったらインドでやっていけなかったかも知れない。それぐらい、今回のインド旅行でキーポイントになった人だ。
ああ、連絡先ぐらい聞いとけば良かったな。後で後悔するのが僕の悪い癖。くそ

予定時間を10分過ぎて列車は到着。僕は、出入口に書かれている乗客リストに目を通して乗車した。

欧米人女性がレディーファーストが当たり前の様に僕を押しのけて乗っていった。僕は、欧米人女性が嫌いになった。
くそ、くそ何がレディーファーストだ。ここはインドだ!カーストだうんこ踏め

僕は、この旅で初めてエアコン付きの列車に乗った。エアコンが必要ないぐらいに冷え込んだ朝に。

チケットに記入されたシートに座り3列シートには、隣に身なりのきれいな初老のインド人と、欧米人女性。
その他のシートには、欧米人旅行者と、若干のインド人。やはり、この車両は高かったようだ。

配られるボトルウォーター。続いて、チャイとビスケット。さらに、ブレックファーストでパンとジャガイモを揚げたやつと、マンゴージュース。

僕は、チャイをこぼした。隣のインド人は何も言わなかった。彼も、ミルクパウダーをばら撒いていた。

この後のインド旅行中に乗った寝台車には何も出ては気やしなかった。やはり高級車輌は違う。
お金を出せば、違う角度からのインドが見える気がした。

車窓には薄靄の中、時々見え隠れする立ち木しか見えなかった。非常につまらない世界の車窓から。

予定到着時間は2時間後。おおよそそれぐらいの時間がたった。インドの列車は車内放送なんてまったくない。

最後に行ったMumbaiの郊外列車くらいしかアナウンスしない。これでよく降りる駅が分かるなって毎回感心していた。

今回も多分に漏れず僕のチキンハートはドキドキした。
周りを見回し乗降する人数が少ないところは却下。
おそらく時間的に次の停車駅がアーグラー。

ぼくは、隣の身なりの良いインド人に聞いてみた。
「すいません。次の駅はアーグラーですか?」
「ああ、そうだよ」
彼は、言葉少なくそういった。
僕は英語の才能が無いから多分だが。

列車が駅に近づいてきたとき、車内の大半の乗客が降車準備を始めた。僕も、それを見習って準備した。
もらった、ボトルウォーターをバックパックに差し込んで。

降り立ったアーグラー。そこは、ニューデリーと違って田舎だった。
僕は、まず駅のResarvation Offceを確認した。

次の目的地、バラナシ行きの列車の時刻を調べるために。
結果良くは分からなかったが、チケット申込用紙を4枚ほど貰い駅を後にした。

多少南下したとはいえ寒い。吐く息が白い。

ニューデリーと違って、ここのリクシャーは客引きがしつこくない。あくまでデリーと比べたらって事だが。

駅前に建つ建物は、デリーのそれと違ってすべてが低かった。つまり、田舎だった。
僕は、何故かニューデリーの町並みが恋しくなった。
僕は、先天的にごゴミゴミした町並みと、人酔いするぐらい人が居るところが好きなんだろう。落ち着く。

リクシャー客引きの声を無視して、僕は地球の歩き方を片手に歩いた。

僕は、インドで歩いた歩いた。くそ踏みながら歩いた、歩いた理由を挙げたら、30時間はかかるだろうな

リクシャーとの交渉が面倒だってのもある。街の写真が撮れないってのもある。歩くのが好きなのかも知れない。

インドは歩いていてドキドキする。道を歩いていて面白い。
何なんだこの国。まじ面白いんだぜ。みんな行けば良いのにって言っても、みんな行かないな。

僕だって、ハワイを勧められてもきっと行かないもんな。あー沖縄なら行くな、だって呼ばれっから沖縄に。

歩く僕の肩にはパックパックが食い込む。腕が麻痺する。「あーちょっとひと休み。」バックパックを下ろして道端で一休み。

バックパックからボトルうウォーターを取り出して、乾いたのどを潤す。
たぶん、僕の目指しているホテルまでは約三キロ。20キロ近い僕の荷物は、確実に体力を消耗させた。

トレーニングしといてよかったなって思う瞬間。吐く息は白いのに、僕の体は汗ばんでいた。

通学中だと思う小学生から「ハロー!」って、僕もなれない英語で「ハロー」

彼らはコミュニケーション能力が異常に高い気がした。隣に座ったお金が絡まない関係だったら、国籍なんて関係なく町中で友達になる感じ。
居心地がいいって、こういう事なのかなって思ったりもした。

再び歩き出す僕。小学生だと思う。僕らはくだらない話をしながらしばらく歩いた。写真も撮った。
僕の立った髪型で笑うチャリ通のインド人。僕は中指を立てた。彼らは、それを見てさらに笑った。
彼の学校まで一緒に歩いた。手を振って僕たちは別れた。

僕は、さらに歩いた。インドでは、ほんとによく歩いた。帰国してからアキレス腱が炎症するぐらい歩いた。

話しかけてくるサイクルリクシャー。こいつはしつこかった。ぼくは、無視してリスの写真や家の写真を撮った。

しばらく歩いて、目的のホテル周辺になった。僕は地球の歩き方を片手に地図を確認。サイクルリクシャーのおっちゃんも覗き込む。

「この「この通りがThe Mallだ。お前の行くホテルはこの通りを曲がったところだ」

僕は、インド人を決して信用しない。地球の歩き方を見て僕は納得いくまで見て、彼の言っている事が正しいと確証した。

「日本人さん、乗っていくか?」

僕は、朝早くおきて、重い荷物を担ぎ2キロの道なりを歩いて来たから意外に疲れていた。

僕は5ルピーって言う彼の言葉もあり、初のサイクルリクシャーに乗り込んだ。彼の、棒のような足で漕ぐサイクルリクシャーは、日本の人力車とは違い風流とはかけ離れていた。

乗り心地はちっとも良くはない。何だか、ちんどん屋か何かの見世物になった気がした。

彼のペダルを漕ぐ棒の様な足を見ていたら、何だか悲しい気分になった。きっと、朝早かったからだろう。きっと、そうだ。

ものの3分ほどで、Tourist Rest Houseに着いた。昨日の夜と列車の中で決めたホテル。

僕は、この旅ではガイドブックに書いてあるホテル以外には泊まらないって決めた。
なぜか、そう決めた。サイクルリクシャーのおっちゃんが話しかける。「今日は、タージマハル行くか?アーグラ城見に行くか?」

僕は、嘘をついた。「いや行かない。今日はホテルで寝ている」っておっちゃんに言った。おっちゃんは「明日は?」僕は「決めてない」
不毛な会話は何も生み出しやしなかった。この辺にいるからいつでも声掛けてくれって。

「ナマステー」ホテルの支配人だろうか、人当たりの良さそうな体格の、口髭が印象的な支配人。

僕と彼は部屋を見る為2階へ行った。この部屋は500ルピー。くそ、いつも予算オーバーの部屋から見せられる。

ああ、僕が予算の話をしないでシングルルームの部屋って事だけを伝えていたからだって後で気づいた。
僕は、もっと安い部屋って言ったら、悲しい事に彼の言ってる英語がまったく分からない。

だから途中で、何度も彼は「わかったか?」って、確認してくれる。
なんとなく分かるんだが、合ってる保障なんてヤギの糞以下だった。

たぶん彼の言っている事は、これからチェックアウトする部屋があるから、チャイでも飲みながらしばらく待ってくれって。

僕は、ホテルのレストランでチャイを飲みながら、歩きすぎと早起きの影響だろうか居眠りをした。正しくは、眠いから寝た。

1時間ぐらい寝てたのだろうか、案内されたシングルルームは中庭のレストラン兼通路にある部屋だった。

ホットシャワー付で1泊300ルピー。予算より高めだったが、中庭の小洒落たレストランが気に入った。
いや、すでに他のホテルに移動するだけの気力が無くなっていただけだが。

いつもの通り、パスポートを出しチェックイン。荷物を解きベッドに横になるが時間は12時前。僕は観光することにした

ベットから起き、僕は重い体を引きずるようにタージマハルへ向かった。
重い体だが、歩いていくことにした。言い寄ってくるサイクルリクシャー。この、おっちゃんもしつこかった。

僕は、黙って首を横に何度も振った。僕は、黙って右手で制した。彼は、あきらめなかった。僕は、彼を見ながら何かを怒鳴った。
あーなんでこうなるんだろう。ぼくは、インドで大声を張り上げた後で後悔した。いつも怒鳴った後は、なんとも言えない気持ちになる。あああぁ

そんな、気持ちも子供たちの「ハロー」で吹っ切れる。僕は幾度となく、下らない会話を彼らと繰り返した。

そんな僕も、結局はサイクルリクシャーに乗ってタージマハルに向かった。どうも、彼らの目を見ると負けてしまう。ああくそ

僕は、いつもサイクルリクシャーに乗ると彼らの細い足を見る。その棒のような足を見ると、いつもなんとも言えない気持ちになった。
10ルピーって事だったが、僕は5ルピーチップとして多めに払った。何食わぬ顔で受け取る彼。

公園のようになっているタージマハルの敷地。サルとリスと犬とうんこの写真を撮りながら僕は歩いた。

行列が出来ている横にチケットオフィスがあった。悪評高いインド考古学局に払う外国人料金を上乗せされたくそ高いチケット。750ルピーもした。

ボトルウォーターゲートとシューズカバーを受け取り、係りのインド人から「どっから来た。韓国か?」このころは、僕は決まって韓国人か?って聞かれる。

それは、寝台車でバラナシに向かうとき隣の寝台の韓国人女性からも、韓国人ですか?って聞かれた。ボアみたいな女の子だった。

日本人だって言ったら、ガッカリしていた。モテル男はつらいぜよ。ああ、この場合モテてないか?うんこ

係りのインド人は、僕を行列の一番前へ入れてくれた。不満げなインド人がやたら詰めて来た。ああ、インドだな
警察によるやたら厳しいボディーチェック。空港のそれより厳しかった。

中は、インドのそれとはまったく違った。やけに静かなインド。客引きがいない。声を誰も掛けてこない。
これでもインドかって物足りなくも思ったが、しばしの開放された感じは、やけに新鮮に思った。

門の暗闇のなかに見えるタージマハル。僕は、思わずうなり声を上げた。でかい。何だこのでかさは。
くそ高いお金を払っても、来た甲斐があったってもんだ。
うげー、なんじゃこりゃーって素直に思った。インドらしからぬ、きれいな庭園には、きれいに整備された芝生と、きれいに並んだ噴水からは、きれいに水が迸る。
インドであってインドらしからぬその空間は、僕をひきつけた。

結局4時間ほどタージマハルに居た。王妃の墓に4時間。きっと、観光客に写真を撮られている王妃と王様は、めんどくせーって思ってる気がした。

お墓に観光に来ている僕も、何やってるんだってちょびっと思った。
後ろに広がるヤムナー河を眺めながら、幻に終わった黒いタージマハルを想像しながら。
はいうんこ。まったく想像していません。何にもない広大な土地に、牛が一杯だなって思ってました。はい、うんこ
日本じゃ考えられない、広大さに改めてインドの大きさは感じた。しかし、汚い河だった。

くそ高い考古学局に払ったチケットは、その日であればどこでも共通って事だった。
僕は、くそ不味いチベット人客引きのレストランで2月5日〜2月8日 アーグラー

皆さんこんばんわ。
いやはや、デリーの日記は糞長かったですね。最後まで読んでくれた方暇なんですか?
あわわ。うそです。ありがとうございます。
アーグラー今回も長かとです。日本のビール旨かとです。でも、キングフィッシャービール懐かしかー

その日は何故か目覚めが良かった。たぶん、インド初の列車の移動に緊張していたのだろう。
時間は、5時。窓の無いホテルの部屋は真っ暗で何も見えやしない。携帯電話の明かりを頼りに照明のスイッチを入れる。
ホットシャワーと言い難いぬるま湯で、顔を洗い、歯を磨き、髪型を整えた。インドではワックスなんて1回も使わなかった。
電気剃刀で髭を剃り、約束の時間に1階上のアマグチさんの部屋をノックした。
僕がノックしたのと同時にアマグチさんの携帯の目覚ましがなった。
後で気づいたが、僕の時計は少し進んでいたらしい。

僕は、部屋に帰り荷物をまとめフロントに下りた。
フロントでは従業員が床で2人、ソファーで1人寝ていた。カルチャーショックだろ!ホテルのフロントマンとボーイが床で寝てんだぜ。
僕は、なるべく起さないようにそっと歩き小声で「チェックアウト プリーズ」と、囁いた。
初のチェックアウト。難なく、終了。僕は、インドでホテルに関しては何も問題がなかった気がする。
お金の面に関しては、って事だが。クリケットの試合がテレビから垂れ流されていた。しばらくすると、アマグチさんが降りてきた。
英語の堪能な彼は、僕のそれとは違ってスマートにチェックアウトをこなしているように思えた。

僕たちは、早朝のメインバザールを、くそ重いバックパック背負って靄の中を歩いた。朝のメインバザールの道は広かった。
昼間は、すれ違うリクシャーを避けるにもギリギリだったが、店がすべて閉まっている通りはやけに広かった。
朝靄の中暗がりの中、掃除をしているインド人。インド人は掃除なんてしないのかって思ってた。それぐらい汚れている町並み。
後で判った事だが、掃除をするカーストとの事だ。

早朝にもかかわらず、人であふれるニューデリー駅。
僕はNO.1Prat Form、アマグチさんNO.12Prat Form
僕たちは、プラットフォームでお互いの写真を撮り、硬く握手をして分かれた。彼は、きっと良い人だって思った。
僕は、彼が居なかったらインドでやっていけなかったかも知れない。それぐらい、今回のインドでキーポイントになった人だ。
ああ、連絡先ぐらい聞いとけば良かったな。後で後悔するのが僕。くそ

予定時間を10分過ぎて列車は到着。僕は、出入口に書かれている乗客リストに目を通して乗車した。
欧米人女性がレディーファーストが当たり前の様に僕を押しのけて乗っていった。僕は、欧米人女性が嫌いになった。
くそ、くそ何がレディーファーストだ。ここはインドだ!カーストだうんこ踏め

僕は、この旅で初めてエアコン付きの列車に乗った。エアコンが必要ないぐらいに冷え込んだ朝に。
チケットに記入されたシートに座り3列シートには、隣に初老の身なりのきれいなインド人と、欧米人女性。
その他のシートには、欧米人旅行者と、若干のインド人。やはり、この車両は高かったようだ。
配られるボトルウォーター。続いて、チャイとビスケット。さらに、ブレックファーストでパンとジャガイモを揚げたやつと、マンゴージュース。
僕は、チャイをこぼした。隣のインド人は何も言わなかった。彼も、ミルクパウダーをばら撒いていた。
この後の、インド旅行中に乗った寝台車には何も出ては気やしなかった。やはり、高級車輌は違う。
お金を出せば、違う角度からのインドが見える気がした。

車窓には薄靄の中、時々見え隠れする立ち木しか見えなかった。非常につまらない世界の車窓から。
予定到着時間は2時間後。おおよそそれぐらいの時間がたった。インドの列車は車内放送なんてまったくない。
最後に行ったMumbaiの郊外列車くらいしかアナウンスしない。これでよく降りる駅が分かるなって毎回感心していた。
今回も、多分に漏れず僕のチキンハートはドキドキした。周りを見回し乗降する人数が少ないところは却下。
おそらく時間的に次の停車駅がアーグラー。ぼくは、隣の身なりの良いインド人に聞いてみた。
「すいません。次の駅はアーグラーですか?」「ああ、そうだよ」彼は、言葉少なくそういった。多分だが。

列車が駅に近づいてきたとき、車内の大半の乗客が降車準備を始めた。僕も、それを見習って準備した。
もらった、ボトルウォーターをバックパックに差し込んで。

降り立ったアーグラー。そこは、ニューデリーと違って田舎だった。僕は、まず駅のResarvation Offceを確認した。
次の目的地、バラナシ行きの列車の時刻を調べるために。よく分からなかった。チケット申込用紙を4枚ほど貰い駅を後にした。

多少は南下したとはいえ寒い。吐く息が白い。

ニューデリーと違って、ここのリクシャーは客引きがしつこくない。あくまでデリーと比べたらって事だが。
駅前に建つ建物は、デリーのそれと違ってすべてが低かった。つまり、田舎だった。
僕は、何故かニューデリーの町並みが恋しくなった。僕は、先天的にごゴミゴミした町並みと、人酔いするぐらい人が居るところが好きなんだろう。落ち着く。

リクシャー客引きの声を無視して、僕は地球の歩き方を片手に歩いた。
僕は、インドで歩いた歩いた。くそ踏みながら歩いた、歩いた理由を挙げたら、30時間はかかるだろうな
リクシャーとの交渉が面倒だってのもある。街の写真が撮れないってのもある。歩くのが好きなのかも知れない。
インドは歩いていてドキドキする。道を歩いていて面白い。
何なんだこの国。まじ面白いんだぜ。みんな行けば良いのにって言っても、みんな行かないな。
僕だって、ハワイを勧められてもきっと行かないもんな。あー沖縄なら行くな、だって呼ばれっから沖縄に。

歩く僕の肩にはパックパックが食い込む。腕が麻痺する。「あーちょっとひと休み。」バックパックを下ろして道端で一休み。
バックパックからボトルうウォーターを取り出して、乾いたのどを潤す。
たぶん、僕の目指しているホテルまでは約三キロ。20キロ近い僕の荷物は、確実に体力を消耗させた。
トレーニングしといてよかったなって思う瞬間。吐く息は白いのに、僕の体は汗ばんでいた。
通学中だと思う小学生から「ハロー!」って、僕もなれない英語で「ハロー」
彼らはコミュニケーション能力が異常に高い気がした。隣に座ったお金が絡まない関係だったら、国籍なんて関係なく町中で友達になる感じ。
居心地がいいって、こういう事なのかなって思ったりもした。

再び歩き出す僕。小学生だと思う、僕らはくだらない話をしながらしばらく歩いた。写真も撮った。
僕の立った髪型で笑うチャリ通のインド人。僕は中指を立てた。彼らは、それを見てさらに笑った。
彼の、学校まで一緒に歩いた。手を振って僕たちは別れた。

僕は、さらに歩いた。インドでは、ほんとによく歩いた。帰国してからアキレス腱が炎症するぐらい歩いた。
話しかけてくるサイクルリクシャー。こいつはしつこかった。ぼくは、無視してリスの写真や、家の写真を撮った。
しばらく歩いて、目的のホテル周辺になった。僕は地球の歩き方を片手に地図を確認。サイクルリクシャーのおっちゃんも覗き込む。
「この「この通りがThe Mallだ。お前の行くホテルはこの通りを曲がったところだ」
僕は、インド人を決して信用しない。地球の歩き方を見て僕は納得いくまで見て、彼の言っている事が正しいと確証した。
「日本人さん、乗っていくか?」僕は、朝早くおきて、重い荷物を担ぎ2キロの道なりを歩いて来たから意外に疲れていた。

僕は5ルピーって言う彼の言葉もあり、初のサイクルリクシャーに乗り込んだ。彼の、棒のような足で漕ぐサイクルリクシャーは、日本の人力車とは違い風流とはかけ離れていた。
乗り心地はちっとも良くはない。何だか、ちんどん屋か何かの見世物になった気がした。
彼のペダルを漕ぐ棒の様な足を見ていたら、何だか悲しい気分になった。きっと、朝早かったからだろう。きっと、そうだ。

ものの3分ほどで、Tourist Rest Houseに着いた。昨日の夜と列車の中で決めたホテル。
僕は、この旅ではガイドブックに書いてあるホテル以外には泊まらないって決めた。
なぜか、そう決めた。サイクルリクシャーのおっちゃんが話しかける。「今日は、タージマハル行くか?アーグラ城見に行くか?」
僕は、嘘をついた。「いや行かない。今日はホテルで寝ている」っておっちゃんに言った。おっちゃんは「明日は?」僕は「決めてない」
不毛な会話は何も生み出しやしなかった。この辺にいるからいつでも声掛けてくれって。

「ナマステー」ホテルの支配人だろうか、人当たりの良さそうな体格の、口髭が印象的な支配人。
僕と彼は部屋を見る為2階へ行った。この部屋は500ルピー。くそ、いつも予算オーバーの部屋から見せられる。
ああ、僕が予算の話をしないでシングルルームの部屋って事だけを伝えていたからだって後で気づいた。
僕は、もっと安い部屋って言ったら、悲しいね。彼の言ってる英語がまったく分からない。
途中で、何度も彼は「わかったか?」って、確認してくれる。
なんとなく分かるんだが、合ってる保障なんてヤギの糞以下だった。
たぶん、これからチェックアウトする部屋があるから、チャイでも飲みながらしばらく待ってくれって。

僕は、ホテルのレストランでチャイを飲みながら、歩きすぎと早起きの影響だろうか居眠りをした。正しくは、眠いから寝た。
1時間ぐらい寝てたのだろうか、案内されたシングルルームは中庭のレストラン兼通路にある部屋だった。
ホットシャワー付で1泊300ルピー。予算より高めだったが、中庭の小洒落たレストランが気に入った。
いや、すでに他のホテルに移動するだけの気力が無くなっていただけだが。

いつもの通り、パスポートを出しチェックイン。荷物を開き、ベッドに横になるが時間は12時前。やはり観光することにした
ベットから起き、僕は重い体を引きずるようにタージマハルへ向かった。
重い体だが、歩いていくことにした。言い寄ってくるサイクルリクシャー。この、おっちゃんはしつこかった。
僕は、黙って首を横に何度も振った。僕は、黙って右手で制した。彼は、あきらめなかった。僕は、彼を見ながら何かを怒鳴った。
あーなんでこうなるんだろう。ぼくは、インドで大声を張り上げた後で後悔した。いつも怒鳴った後は、なんとも言えない気持ちになる。あああぁ

そんな、気持ちも子供たちの「ハロー」で吹っ切れる。僕は幾度となく、下らない会話を彼らと繰り返した。

そんな僕も、結局はサイクルリクシャーに乗ってタージマハルに向かった。どうも、彼らの目を見ると負けてしまう。ああくそ
僕は、いつもサイクルリクシャーに乗ると彼らの細い足を見る。その棒のような足を見ると、いつもなんとも言えない気持ちになった。
10ルピーって事だったが、僕は5ルピーチップとして多めに払った。何食わぬ顔で受け取る彼。

公園のようになっているタージマハルの敷地。サルとリスと犬とうんこの写真を撮りながら僕は歩いた。

行列が出来ている横にチケットオフィスがあった。悪評高いインド考古学局に払う外国人料金を上乗せされたくそ高いチケット。750ルピーもした。
ボトルウォーターゲートとシューズカバーを受け取り、係りのインド人から「どっから来た。韓国か?」このころは、僕は決まって韓国人か?って聞かれる。
それは、寝台車でバラナシに向かうとき隣の寝台の韓国人女性からも、韓国人ですか?って聞かれた。ボアみたいな女の子だった。
日本人だって言ったら、ガッカリしていた。モテル男はつらいぜよ。ああ、この場合モテてないか?うんこ

係りのインド人は、僕を行列の一番前へ入れてくれた。不満げなインド人がやたら詰めて来た。ああ、インドだな
警察によるやたら厳しいボディーチェック。空港のそれより厳しかった。

中は、インドのそれとはまったく違った。やけに静かなインド。客引きがいない。声を誰も掛けてこない。
これでもインドかって物足りなくも思ったが、しばしの開放された感じは、やけに新鮮に思った。

門の暗闇のなかに見えるタージマハル。僕は、思わずうなり声を上げた。でかい。何だこのでかさは。
くそ高いお金を払っても、来た甲斐があったってもんだ。
うげー、なんじゃこりゃーって素直に思った。インドらしからぬ、きれいな庭園には、きれいに整備された芝生と、きれいに並んだ噴水からは、きれいに水が迸る。
インドであってインドらしからぬその空間は、僕をひきつけた。

結局4時間ほどタージマハルに居た。王妃の墓に4時間。きっと、観光客に写真を撮られている王妃と王様は、めんどくせーって思ってる気がした。
お墓に観光に来ている僕も、何やってるんだってちょびっと思った。
後ろに広がるヤムナー河を眺めながら、幻に終わった黒いタージマハルを想像しながら。
はいうんこ。まったく想像していません。何にもない広大な土地に、牛が一杯だなって思ってました。はい、うんこ
日本じゃ考えられない、広大さに改めてインドの大きさは感じた。しかし、汚い河だった。

くそ高い考古学局に払ったチケットは、その日であればどこでも共通って事だった。
僕は、チベット人客引きのレストランでクソ不味い焼きそばを食べた。
タージマハルの周辺を散歩してみた。お土産屋は少ない。

ちょっと行くとそこは、居住区になっていた。僕は、どうやら迷ったらしい。くそ。

ガイドブックの地図以外のところを歩いていることはなんとなく分かった。
最悪オートリクシャーに乗れば戻ることはできるが、何とか自分の足で戻りたかった。そう思った

歩く僕、追いかけてくるインド人のガキ。「フォトフォト」「ハーイ撮るよー」僕は、散々写真を撮った。いや、撮らされた。

はじめは3人だったインド人少年少女。気がつけば、僕は20人ぐらいに囲まれていた。
怒鳴るインド人爺。ああ、日本の田舎によくあるあるあれか。僕だってこの状況なら怒鳴る。

言葉は分からないが、たぶんうるせーって言ってる気がした。僕と、43の瞳は行進した。写真を撮りながら、お金を要求するガキたち。

僕はハーメルンの笛吹き男みたいだった。たぶん金くれって言葉なんだろ?僕も、一緒になって真似して言った。

言いながら歩いた。子供たちは笑ってた。

時間があまりないこともあり、オートリクシャーでアーグラーフォートに向かった。

やはりでかい。何だろう?インド。どうなってるインド。王様の権力が壮大だったことをイメージさせるには余りある大きさ。石の量。

そこに入って行く僕は、まるでドルアーガの塔を登って行くギルか、キングダムハーツのソラになった気がした。しかし、それは気のせいだった

僕の腓腹筋は限界をとっくに過ぎていた感じだった。夕暮れに閉館するアーグラー城。
もはや、僕は歩いてホテルまで帰れる気がしなかった。

サイクルリクシャーの親父が、「めっちゃ安いよ。5ルピーでいいよ」それは、破格の値段だった。

僕は、たぶん疲れていて思考能力が低下していた。言い訳をさせてくれ。つまり、そうだった気がする。

つかれきった、足で帰る気がしなかった僕は、一番安い値段で言い寄ってきた黒褐色爺のサイクルリクシャーに乗った。

坂道を彼はサイクルリクシャーを押しながら、喋った。「お土産屋があるんだ。日本人、お茶とか好きか?シルクとか、宝石とかあるぞ」
僕は、非常に疲れていた。歩くことすら苦痛。喋ることは出来る。僕は、ホテルに行くように促した。
ホテルには行くがお土産屋にも行くの1点張り。
はー。マジめんどくせー。僕は、有無を言わさず降りた。彼は5ルピー払えって言っていた。僕はファックって言った。何か叫んでいたが無視して歩いた。

やれやれ、今日二度目だ。僕は、最近怒りっぽくなってるような気がした。怒鳴るたびに嫌な気分になる。くそ。

つかれた体を引きずり。ガイドブックを見ながらホテルまで歩いた。怒鳴った事をあれこれ考えながら。

ホテルに帰り、屋上にのぼり夕焼けを眺めながらストレッチをした。空には凧があがっていた。
夕焼け空は、いつも、どこでも感傷的にするなって思った。

一休みして、列車の時刻表を調べるためにホテルの1室にあるInternet Cafeに向かった。
日本人女性がやってきた。僕らは色々試したがどうやら日本語の表示が出来ないらしい。

隣のInternet Cafeに行った。今度は速度が遅すぎて何も開けなかった。僕たちは断念してホテルに戻った。

夜になって、日本人女性2人組みとチャイを飲みながら喋った。彼女たちは、インドに来て3週間らしい。

たぶん、マザーハウスのボランティアメインで来た様な気がした。彼女たちはエアメールを書きながら喋った。

僕は、エアメールのやり方を聞いた。僕も書こうと思ったが、住所を知らないなって思った。

1人の彼女は、インド以外にもタイ・ベトナム・フィリピン・ブラジル・ネパール・カンボジア等を回っているとの事だった。
純粋に行動力が羨ましかった。
僕が、逆立ちしてうんこしながらカレーを食べる以上に行動力があるって思った。

その日の夢には、日本で女の子と喋ってる夢を見た。やれやれ

翌朝は、昼過ぎに目覚めた。相変わらず昼か夜か分からないホテルの部屋は、あーめんどくせー

今日の予定を考えながら、中庭でチャイとトマトチーズサンドイッチを食べた。プラスチックの赤いコカコーラって書かれたテーブルで食べた。

陽の差し来む中庭では、インド人が談笑している。ああ、ぼくは紛れもなくインドに来ているって思った。なにか、映画のワンシーンの中にいるような気もした。
ああ、こりゃ自分に酔ってんなって客観的にそう思った。あー恥ずかしいったらありゃしねー。

今日の予定は、列車のチケットを取る事。
予想外になくなって列車のチケットすら買えそうも無い持ち金をATMで補充する。
ネットカフェで列車のダイヤを調べる。エアメールを出す。洗濯する。こんな予定。

日本の感覚で駅前向かって歩いた。
インドはきっと違う。違った確実に。駅前が発展してはいない。必ずだった。

僕は、ネットカフェもATMも無い駅前にうんざりしながら、駅で時刻表を確認した。たぶんこの列車なのだろうがよくわからん。
チケット買うお金も無い。くそ

次に目星をつけたのが、高級ホテル街。この日も僕は歩く。歩く。

しかし、僕の頭の中では、ああATMが見つからなかったら一生インドから出国することができないんじゃないかって妄想が広がってきた。

ガイドブックにすら記入されていないATM。歩く距離が増えるごとに少しずつ絶望感が高まっていった。
くそ。何のための携帯だ。何のためのネットカフェだ。僕は、最悪ネットカフェがあれば何とかなるって思いながら歩いた。

僕は、写真すら取ることを忘れて歩いた。我武者羅に何も口にするのを忘れて歩いた。その日は珍しく暑かった。

高まりつつある、喪失感と絶望感。ああ、僕はインドでインドで。くそくそあわわわぁぁぁ。
リクシャーに八つ当たりとも取れる罵声を僕は浴びせた。おかげで、僕の中に更なる感情が芽生えた。あぁあぁぁわあわわああがががががあぁぁ

ん!あれ?メインロードのThe Mailに車が走らなくなった。自転車すらだ。僕は何か嫌な予感がした。もしや、暴動か何かか?

もう、僕の精神状態はインドの河より混沌としてきた。たぶん、何か天中殺と厄日と大殺界が一緒に来たような感じ。僕は、インドが嫌いになった。

静まり返ったメインロード。僕は、端っこをこっそり歩く、交差点で道路を封鎖している警官。封鎖のため行き場がなくなったインド人達。

ぼくは、警官に怒鳴られて封鎖されているところまで走った。インド人の手招きに答えるように小屋の中に入った。
英語が出来れば状況を聞くことが出来るんだけど、僕は状況を見つめるしかなかった。

どのくらいだろう、僕たちはしばらく佇んでいた。封鎖された道を疾走する軍あるいは警察の車両。そして、封鎖は簡単に解かれた。
いったいなんだったのか分からない。結局、2回ほど封鎖されるメインロードに遭遇した。

今日はきっと厄日だ。たぶん、呪われた日だ。くそ。くそ。大して暑くもないのに、背中に汗を掻いていた。あわわわ。
インドに帰化するの巻き。

インドでは、毎日歩きながらいろんな妄想が広がった。むしろ、妄想しかしてなかったな。妄想の旅。股旅。靴下。
この日の妄想は、地球の終わりを連想させた。くそ。ATMが見つからないってだけなのに

妄想しながら歩く僕。ん!Internetの文字。うんこー。あるやんけー。くそうんこ。マジうんこ。いいぞ俺うんこ。

入った、ネットカフェでは日本語が出来なかった。きっと、ほかにもあるって確信した僕は水を得た魚。

いや、プロテインを飲んだみつはたしかり、がんがん勇気がわいてきた。くそ。おれ簡単だな。ん!Citi Bank発見!

はー、まじ俺マジ俺わわわ。うんこここここここ
よく使い方の分からないATMに四苦八苦しながら7000ルピーGet。はー、やっぱ金です。ほんとこの時そう思った。拝金主義になろう
ネットカフェも、難なく見つかり、インド人に覗かれながら、列車のダイヤは分からなかったが、必要な情報は何とか手に入った。

翌朝は起きたらすでに疲れていた。どうやら、インドに来て歩きすぎのようだ。くそ。欧米人の怒号で目覚める。くそ寒い朝に

夜は、寒くて厚手の毛布1枚しかないベッドでは、寒くて夜中に起きる。日中はTシャツで問題なし。こりゃ風邪引くなって思った。
案の定、僕は後にインドで3日間風邪でダウンした。

今日の予定を立てるべく、中庭のテーブルで地球の歩きかたを見ていると「日本の方ですか?」
オオイシさん。確か38歳の男性だった。今日アーグラーに着いて、ホテルを探しているとの事だった。
僕と同じで、チェックアウトがまだ済んでいないから暫くチャイでも飲みながら待っとけって事だったらしい。

僕と、オオイシさんはお互いの情報を交換した。僕は、列車のチケットの取り方とを聞いた。僕は、アーグラーについていろいろ話した。
オオイシさんの話では、寝台車は毛布が無いと、寒くて寝れないって話だった。僕は、今日の予定に毛布を購入するのを付け加えた。

僕は、チャイとトマトチーズサンドイッチを食べ、今日の予定のトレインチケットと毛布とエアメイルを出すべく歩いた。
出掛けに、ホテルの支配人にナマステと言って、行き先を伝えたら道を教えてくれた。
僕は知っていたが、ありがとうと言って手を合わせた。

午前中の街は良い。みんな、昼の営業に向けて準備中。客なんかに構っている暇は無いっと言った感じで、僕に話しかけてこない。
インドらしからぬ状況が新鮮だった。

アーグラーフォート駅のリザベーションオフィスで、昨夜電子辞書と格闘しながら書いた紙を、係りのインド人に差し出す。

相変わらずナニ言ってるか判らない。僕の英語力には糠に糠といった所か

何とかチケットは購入できた。列車の時間が、僕の調べた6時発ではなくて夜21時になっていたが。まあ、何とかなるだろう。

ブランケットを探すべく、駅周辺のバザールをうろついた。

アーグラー駅周辺は、布の店が多い。ジーパン・Tシャツ・サリー・布団・スカーフ・シーツ。繊維街の西日暮里か!って思った。

くそ、インドで西日暮里。僕の泊まっているところは、さしずめ駒込といったところか。

くそ、こういう時、優柔不断はまったく困る。ぜんぜん決まらない。きまらなすぎておなかが減ってきた。しかも迷った。くそ。

ホットミルクの甘いやつと、ジャガイモ潰して揚げたやつを、食べた。ミルクスタンドみたいだった。
こんな、屋台がインドには死ぬほどある。僕は死ぬほどは食べなかったが

疲れたから、チャイ屋で一休み。なぜか、インド人に笑われてる。くそ。僕の視線で笑ってたインド人は黙った。くそ、何だってんだ。

いい加減面倒になった僕は、ブランケットのスモールサイズを140ルピーで購入した。日本円で500円と言ったところか。
もっと、交渉すればよかったと後で後悔。だって、きっとボラレテイルカラ

ホテルに帰ると、オーナーが「何買ったんだ?」
僕「ん!ブランケットだよ」
オーナー「俺にか。おおThank You」
僕「あほか!やらーん」
ぼくと、オーナーは笑った。肩を組んで笑った。

コカコーラとボトルウォーターを買って帰ると、僕の部屋の前のテーブルに日本人女性が2人座っていた。たぶん関西の人だ。

ぼくは、彼女達の事が苦手な気がしたので2、3言喋って屋上に登った。夕焼けが綺麗だった。空には凧が上がっていった。

10個ほど揚がっていた。僕は屋上で腕立て伏せとスクワットをした。インド人ホテルマンが僕を見て親指を立て笑ってた。

オオイシさんとホテルのレストランで1時間ほど食事をしながら話した。先出の関西人女性2人組みがやって来た。
オオイシさんが話しかけた。彼女たちも、僕たちと同じように転職のタイミングで旅をしているとの事だ。
彼女たちは、4ヶ月ほど海外を旅行していて、タイ・カンボジア・バリ・インドで終わる旅。僕と、オオイシさんは項垂れた。

女性の行動力には頭が下がる。オオイシさんが知り合った、映画監督でインドに招待された人と、ヨガを学びに4ヶ月インドにいる人も女性だと言っていた。

欧米人のドンちゃん騒ぎでその日は中々眠れなかった。早く寝ろ欧米人。

翌日の朝は、糞が付くほど寒かった。しかも、喉が痛い。風邪を引いたかも知れないと。
ホットシャワーとは言いがたい微温湯でシャワーを浴びた。今日でアーグラーともおさらば。
体調が思わしく無い為、この日は体力温存日にしようと決めた。

今日の予定は、列車の時刻表を買う。昨日オオイシさんに聞いたタージマハルの元になった、何とかカンとか楼を見に行くの二点。

ブレックファーストを取り。ホテルをチェックアウト。オーナーが今日はどうするんだって聞いてきた。
僕は、21時の列車でバラナシに行くって言った。
荷物を置いていても良いよって言ってくれたが、僕は断った。だって、駅から遠いんだもんモン悶
ナマステって言って、僕はホテルを後にした。

糞、道に迷った。いや、間違えた。くそ。バックパックをしょった状態での遠回り。気が緩んでいたんじゃないかって糞。

駅で、チャイを飲んで一休み。30ルピーの列車の時刻表を買って。何とかカンとか楼へ向かった。
今にも壊れそうな橋をサイクルリクシャーで渡った。

芝生で寝転んで時刻表を読んだ。意味が解らなかった。インド人家族が僕の近くの芝生に座った。その家族の末っ子が話しかけてきた。
僕のカメラで家族の写真をとっていいかって。僕は、ちょっと迷ったが渡した。革ジャンが似合う何とか君に。
いろいろ話したが、すべて忘れた。くそ、僕の記憶力はアルツハイマー。なんだか、嫌になる。くそ。

小声で、写真とってやったから金くれって小声で言ってくる革ジャン。あーインド。僕は黙って首をゆっくり振った。

時間は15時。列車は21時くそ。

僕は駅前のチャパティーとスープの屋台で食事をとる事にした。5ルピーだった。しかし、辛い。

隣に座っている黒褐色のインド人爺が笑ってる。おれは辛いの無理やねんって言ってやりたがったが、わわわ
インド人爺、青唐辛子を勝手に取りナイフで切り中に塩を詰めだした。僕は、それを何気なく見ていた。店の親父に焼いてくれって言ってた。たぶん。

インド自由だなって思ってたら、焼いた青唐辛子を店の親父が僕に差し出した。意味が分からん。

ああ、あれかBARとかで、あちらのお客さんからってあれか?あれは、恋愛のきっかけじゃねーか!あほかって思った。

爺からも、食べろ日本人みたいな空気。くそ。っくそ。なんだこいつら、ふざけんなって思った。
ここで引いたら、大和魂が廃るって思っちまった僕は、きっとスパイスで脳がスパイシーになってたんじゃないかなって思う。

試しに、尻尾の部分をちょびっと、ホンノチョビット食べてみた。ん?辛くねーぞ?ん?
爺が「だろ、チャパティーに巻いて食ったらうまいぞ」って、たぶんそんな感じ。僕は、巻いて食べた。

馬鹿ですねインド人と僕。口の中がカオス。かおす。意味が分からん感情と口内。くそ。水が辛い。くそ。

顔中から滴り落ちる汗。僕のTシャツが見る見る汗ばんで行くのが分かった。
糞インド人笑ってんじゃねーって、思ったがそんな些細なことに構ってる余裕は皆無。糞。

さすがに冗談が過ぎたのかと思ったかどうかは分からんが、黒褐色の爺がビニール袋から林檎の砂糖漬けの甘いやつを取り出して僕に進めた。

僕は、それを食べたがまったく収まりやしない。道の反対側からインド人が笑いながら見てる。くそ。時間にして10分ぐらいだろうか、そんなカオスな状態も治まった。

しらっとしている爺。チャイ飲むかって言われたが、ホットのチャイは僕の口には今は入れるべきではなかった。爺のおかげで
爺に別れを告げ、別の屋台に行った。チャイとサモサを食べ、しばらくぼけっとしてみた。列車の時間まで4時間は確実にある。糞。

僕は、プラットホームに向かいベンチがいっぱいだったから、輸送用荷物の木箱に座って本を読んだ。

プラットホームでは、犬とサルが喧嘩している。インドも犬猿の中らしい。
キオスクでチャイとチョコレートとヴィックスドロップを買い、ベンチで本を読んだ。夜になると寒くなってきた。

本を読むのも飽きてきた僕は、チケットに書いてあるシート番号の意味を推理してみた。デリーから来た時と何かが違う。

変な不安がよぎった。それは、まさに直感の通りだった。係の人にチケットを見せながら聞いた。

係りの人が「ここのチケットはウエイティングチケットから、リストで確認しなきゃ駄目だよ」

まさに、悪夢。糞。記憶の片隅に地球の歩き方に書いてあったあれだ。くそ。背中に変な汗が滴るのが分かった。くそ。
アーグラーに延泊も視野にはいった。あわわわあ糞

ウエイテイングチケットとは、キャンセル待ちチケット。僕のチケットには147の数字が書いてあった。
この数字が示すのは、キャンセル待ちが僕の前に146人居るって事。まさに絶望的状況

ウエイテイングリストが数十枚プリントアウトされた掲示板を教えてもらった。見たがさっぱり要領を得ない。くそ。
僕は、嫌な汗しかかかなくなってきた。内臓と脳がおかしくなりそうだった。

ヘルプデスクに行き聞いてみた。インド人爺が掲示板まで付いて来てくれた、「ペンを持ってるか」僕はペンを渡した。

僕のチケットにS-6/13と書いた。「日本人これで良いか?」爺は微笑みながらそう言った。僕は彼が神に見えた。ごめん嘘だ。
彼は去ろうとした。僕のペンを持ってだ。僕は、彼にペンを返して貰うべく、ペンを指差した。彼は、ばれちゃったと言わんばかりに笑いながら、ペンを返してくれた。

ほんとに助かった。S-6/13僕はこの番号を一生忘れることは、うん忘れるな。

インドの列車は遅れる。これがインドだ。インドとはインドだ。

21:10DEP マルダラEXP。1時間遅れるとのアナウンス。吐く息が白くなったホーム。1時間伸びるのはつらかったが、インドでは不思議といくらでも待つことが出来る。

チャイを飲みながら、待った。日本人男性が居た。僕らは、くだらない話をしながら待った。

彼のチケットを見せてもらったら、彼のチケットもウエイティングチケットだった。時間は22:00。未確認との事。曲者のウエイテイングチケット

僕は、彼と一緒にウエイテイングリストを糞重いバックパックを担いで小走りで確認しに行った。

やっぱりよく分からない、ヘルプデスクで聞いたが今回はポーターに聞いてくれって事だった。
彼のウエイティング番号は15番。僕の番号は147番。たぶん大丈夫な気がした。

列車到着5分前に、僕たちはホームに居た。やはり彼も大丈夫だった。彼はポーターに10ルピー支払い、列車の到着位置まで連れってもらった。
僕たちは、バラナシで再会することになるが、このときは名前すら知らない彼。

1時間遅れてきたマルダラEXP。初の寝台車。僕は3段ベットの中段に寝転がり、日記を書いていた。韓国人女性が隣のベットから視線を送ってくる。
ボアみたいな感じだった。出身を聞かれて日本と答えたら、お休みって言われた。たぶん、僕が韓国人ぽかったからかな。

この日は、列車箔。結局3時間も寝れなかった。やれやれ、明日はこの旅のメイン、バラナシだってのに。

バラナシ編に続く

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