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第六十七話 海岸通り

もくじ

 二十分くらい前だったか。水分補給とトイレに行くため、海辺のコンビニに立ち寄った。平日とはいえ、海水浴シーズンの店内は、人でごった返していた。レジに並ぶ客が手にした満杯のかごを見て、買い物をする気が失せた真一は、ぐるっと店内を一周しただけで店を出た。

 車の鍵はトイレ待ちの行列に並んでいた久寿彦が持っていたが、車に戻っても暑いだけなので、表で時間を潰すことにした。

 店先の喫煙コーナーへ行って、煙草に火をつけたときだ。

「どうして気を利かせられないのよ。あんたも美汐のあのこと知ってるでしょ」

 店舗の脇から美緒の声がした。怒鳴り声というほどではないが、強めの口調。

「でも、ほかの車は荷物がいっぱいで……」

 もう一つは四谷の声。

「荷物ぐらい何とかしなさいよ」
「でも、荷物をどかして座ったらかえって不自然じゃ、」
「でもでもうるさい! デモ星人かお前は。そう思われないように頭を使うのっ」

 美緒が声を荒げた。やはり、怒っている。四谷が何かやらかしたのか。会話の流れからいって、そう考えるのが自然だ。四谷は性格的に抜けているところがある。

 どうしようか。店舗の角から出て行こうか。だが、どんな顔をして出て行ったらいいのかわからない。お取り込み中すみません……なんてのも変だ。

 かといって、ここにいるのも盗み聞きしているようで気分が悪い。

 仕方がないので、もう一度店に戻ることにした。喉が渇いていたし、やっぱり飲み物を買うことにしよう。火をつけたばかりの煙草が名残惜しかったが、あきらめて吸い殻入れに放り捨てた。

◇◇◇

 車がまたトンネルに進入した。山がちな道では、トンネルを出たり入ったりの繰り返しだ。強烈な陽射しと闇が目まぐるしく入れ替わる。

 カーステレオから流れる音楽を上の空で聴きながら、真一は考える。あの時、美緒は何に対して怒っていたのだろうか。美汐の名前が出ていたから、美汐が絡んでいるのだろう。ただ、美緒と美汐の接点は挙げられても、そこに四谷が加わるとなると、一気に真相がわからなくなる。

 三人の間には何があるのだろうか。

 まあ、そのうちわかるかもしれない。わからなくても、真一に関係ある話ではなさそうだ。

 そう結論すると、まだ飲み切っていない缶をドリンクホルダーから抜き取った。「XAQUA (ザクア)」 なるスポーツドリンクの新商品。冬虫夏草エキス入りだそう。「QUANFOO (カンフー)」 や 「維力 (ウィリー)」 みたいな漢方系飲料の仲間なのか。よくわからない。

◇◇◇

 短いトンネルを何本か抜けると、久しぶりに前方の見晴らしが良くなった。真夏の陽射しに輝く街に向かって、長い下り坂がまっすぐ伸びている。これまで見てきた海辺の街でいちばん大きい街だ。弓なりの海岸線に面した一角にリゾートマンションがまとまって聳え立ち、周りに住宅など低層の建物がひしめき合う。海と山に囲まれた手狭な土地では、建物の密集度は都会とほとんど同じ。真一のアパート周辺の住宅の立て込み具合もこんな感じだ。今夜泊まる民宿も、マスターの別荘もこの街にある。マスターの別荘は、半ば従業員のクラブハウスみたいなもので、真一も何度か行ったことがある。だから、この景色を見るのは初めてではない。

 商店街に入ってすぐ、道の流れが悪くなった。海水浴場が近いらしく、歩道を海パンで歩いている人が散見される。店先に溢れる色とりどりの浮き輪、ビーチボール、ビニールボート……土産物屋や玩具店だけでなく、スーパー、衣料品店、履物屋、薬局、本屋、果ては魚屋と、商店街を構成する店がこぞって扱っているため、通り全体が七夕飾りで彩られているようだ。海辺の街は、今がいちばん活気づく時期。

 華やかな沿道の景色に見とれていたら、街の中心部で赤信号に引っかかった。ホテルやマンションの谷間にカッコーの声が木霊する中、大勢の若者たちが目の前の横断歩道を横切っていく。大きな荷物を担いで、合宿に来た学生たちだろう。駅のほうから長い行列が続いているので、東京方面からの電車が到着したばかりに違いない。

「お前らも誰か一人降りて、ここから歩け。そしたら車も涼しくなる」

 かったるそうに歩く若者たちを眺めつつ、久寿彦が軽口を叩く。

「芳一、どうだ? いい運動になるぞ」
「ええ!?」

 巨体をビクつかせ、本気でおののく四谷。久寿彦は口を開けて笑い、

「冗談だよ。さすがにここから歩かせるのは酷だよなあ」

 信号機のカッコーの声がアオゲラの声に変わって、車が走り出す。

 賑やかな街なかの区間を過ぎると、海端に出て、海岸線を走ることになった。少しの間、道沿いの防波堤が海の景色を隠していたが、ガードパイプに切り替わったところで、道路のすぐ隣に砂袋をたくさん積んだ海の家の屋根が見えた。右手に山が迫る波静かな海水浴場だ。白い砂浜をパラソルが埋め尽くし、発泡体のブイに囲まれた海面に、ゴムボートやビニールイカダが気持ち良さそうに浮かんでいる。

 そこを過ぎると、小ぢんまりした漁港が現れた。道路脇の船揚場に白い漁船が何艘も並び、空き地に積み上げられた蛸壺、物干し竿に吊るされた臙脂色の漁網、ケースにまとめ置かれた黄色い浮子など、様々な漁具が間近に見て取れる。助手席の四谷が、物珍しそうに窓に貼り付いている。四谷は岡崎と同じ大学に通う学生だが、出身は海から遠く離れた山国だ。生まれて初めて海を見たのが、修学旅行で江ノ島に行ったときだそうで、海にはほとんど馴染みがない。真一たちと釣りに行ったのも数回程度。ほかには、大学の友だちと潮干狩りに行ったことがあるくらい。海岸沿いの道は見たことのないものだらけで、外国にでも来たような感じなのだろう。

「ねえ、いつまでそれ聴くつもり。ほかのにしてって言ったでしょ」

 漁港を過ぎてトンネルに入ると、美緒がうんざりした声で、さっきの問題を蒸し返した。

「だから、ほかのにしただろ。お前が女のヴォーカルは嫌だって言ったから」
「うるさいのは変わんないわよ」

 今、車内にかかっているのは、アッシュの 「1977」。うるさいかうるさくないかの二択でいけば、このアルバムもうるさい部類に入るだろう。

「うるさいくらいでちょうどいいんだよ。静かな曲なんか聴いてたら眠たくなっちまうだろ」

 久寿彦はCDを取り出そうとしない。お気に入りのアルバムを二枚とも悪く言われて、意固地になってしまったようだ。

 だが、簡単に引き下がる美緒でもないだろう。暑さを我慢した上に、険悪なムードにも耐えなくてはならないのかと思うと、真一は気が重い。

「いっそのこと、お前のバンドの曲でもかければ?」

 やぶれかぶれになって言ってみた。ラゲッジにカセットテープがあるのは知っている。

 意外なことに、美緒は反対しなかった。

 もちろん、賛成するわけでもない。光の射し込むトンネルの出口を、じっと見つめるだけ。

 本当にいいのだろうか……?

 うるさいのはこれも同じだ。まじまじと美緒を見つめた真一だが、クールな横顔から心の内は読み取れない。

 まあ、この状況を脱することさえできれば、事情はどうでもいい。

 体をひねってラゲッジに手を伸ばす。

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